「失礼します……」
「は、はい! どうぞ!」
楽土が声のした方に振り返り、応える。部屋のふすまが開き、宿の者が頭を下げる。
「按摩さんが参りました……」
「え? 頼んでおりませんが……」
「只今、特別にタダで施術を行っておりまして……」
「タ、タダで⁉」
楽土が驚く。
「どうぞ、良かったら……」
「い、いや、悪いですが……」
「もう来てしまっていますし……」
宿の者がふすまの向こう側に視線をやる。
「し、しかし……」
「せっかくですので……」
宿の者が再び頭を下げる。楽土は不承不承ながらも頷く。
「そ、それでは、お願いしましょうか……」
「ありがとうございます……按摩さん、お願いします」
「へい……」
やや小柄で禿頭の老人が部屋に入ってくる。
「お布団を敷きます……」
宿の者が手際よく布団を敷く。老人が楽土に指示をする。
「それでは、そちらに横になってください」
「あ、はい……」
「あ、まずはうつ伏せで」
「は、はい……」
楽土が布団にうつ伏せの状態になる。
「ごゆっくり……」
宿の者がふすまを閉めて去っていく。
「失礼します……」
老人が楽土の側に跪く。
「はい……」
「ああ……!」
「え?」
「お客さん、とても大きい体をなさっていますねえ……」
「さ、触ってもいないのに分かるのですか?」
楽土が尋ねる。
「声の調子で分かります」
「ええ? こ、声?」
楽土が戸惑う。
「ははっ、それはいくらなんでも戯言でございますが……」
「戯言ですか……」
「なんとなくこう……雰囲気で分かります」
「ふ、雰囲気?」
「ええ、感じ取れると言いますか……」
老人が両の掌を広げてみせる。
「ふむ、達人の領域ですね……」
楽土が感心する。
「達人だなんて、そんなそんな……ただこの生業が長いだけですよ……」
老人が手を左右に振る。
「しかし、タダで施術を受けるとはなんだか申し訳ない気が……」
「いやいや、あまりその辺は気になさらないでください……」
「でも……」
「ここだけの話ね……」
老人が小声になる。
「はあ……」
「……ここの宿代、多少割高だったでしょ?」
「え、ええ、正直……」
「その割高の分のいくらかが、あたしらに入る仕組みになっているんですよ」
「あ、ああ、そうなのですか」
「だから、お客さんは何も気になさらないでいいんです」
「ふむ……」
「ご安心いただけましたか?」
老人がくしゃっと笑顔になる。
「ええ」
楽土が頷く。
「それでは体もほぐれたところで……あたしはお暇させて頂きます」
老人がその場から去ろうとする。
「え? ちょ、ちょっと……」
「ふっ、冗談でございますよ……」
「は、ははっ……」
「それでは施術をさせて頂きます。よろしくお願いします」
「お願いします……」
「ああ失礼、服を脱いで頂きますか? 上だけで構いません」
「分かりました」
楽土が上半身裸になる。
「ではこちらに手ぬぐいを乗せて……失礼いたします」
老人が楽土の背中に触る。
「む……」
「ほう、結構固くなっていますね~」
「え、ええ……」
「そうとうお疲れなのではないですか?」
「あ、ああ、疲れはそれなりに溜まっているとは思います」
「こちらにはご旅行で?」
「まあ、そんなところです」
「どちらから来られたのですか?」
「江戸の方から」
「お江戸から! わざわざこんな田舎まで……退屈でしょう?」
「いいえ、そんなことはありません」
「お一人で?」
「一応、連れがいます」
「お連れの方は?」
「今、風呂に入っております。そういえば……」
「そういえば?」
「いえ、ちょっと長いなと思いまして。そろそろ上がってきてもいいんじゃ……」
「……上がってこないと思いますよ」
「え? があっ⁉」
楽土の背中に強烈な衝撃が加わる。老人の拳が楽土の硬い体にめり込む。不意の攻撃を食らった楽土は動かなくなる。
「ふん、他愛のない……」
老人はすくっと立ち上がる。
「……終わったかい?」
宿の者がふすまを開けて尋ねる。
「ああ、ご覧の通りだ。と言ってもあたしには見えないが……かかっ!」
「笑うな……なんで私がこんなことせにゃならん……お前らでなんとかしろよ」
宿の者が服をつまんでぼやく。
「そう言うな、相手を油断させる為だ」
「なんで危険な橋を渡らにゃいかん……私は単なるからくり技師だというのに……」
宿の者がまとめていた髪を一旦ほどいて、一つ結びにし、眼鏡をかける。
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