そこは、昔から神話や民話の言い伝えが多く残る場所だった。自然が豊かで、そういったことに興味がない人でも、すばらしい景色やおいしい山の幸、川の幸が楽しめる。大きな観光PRはうっていないものの、夏休みにはそこそこ観光客がやって来る。
そんな土地に、ユカとナオミは旅行にやってきた。泊まる宿は昔の民家をリホームしたとかで、かやぶき屋根と立派な柱が特長らしい。
「おお、すごーい」
「昔話みたいだ~」
狭苦しい都会の暮らしからタイムスリップしたようで、二人のテンションは上がっていた。
「ようこそ、いらっしゃいました。お部屋にご案内いたします」
女将(おかみ)は優しそうなおばさんで、優し気な笑顔で迎えてくれた。
女将に続いて廊下を進む。
「ねえ、女将さん。ここの宿の写真、SNSにあげていい?」
ユカは最近いいね! をいくつもらえるかに命をかけている。
「もちろん! 料理もおいしくてすてきな宿って一言つけてくれるならね」
女将さんの冗談に、二人は明るい笑い声をたてた。
「ああ、でも裏手にある小屋には入らないでくださいね」
「小屋?」
ナオミが聞き返した。
なにか、秘密があるのだろうか?
「あそこには昔醤油を作っていた樽があるの。ああいう樽は大きいから、落ちたら危ないし、古いものだからね。樽が壊れて板が崩れてきたりしたら危ないでしょ」
「ああ、そういうこと!」
理由が分かって好奇心が満たされれば、わざわざ注意を無視してまで入りたいとは思わない。
「わかった、そこには入らないことにする」
二人ははそう約束した。
「それでは、ごゆっくり」
部屋まで案内してくれると、女将は丁寧に礼をしてさがっていった。
「よし、荷物も置いたし、さっそく写真を撮りに行こう!」
「はいはい」
ユカに引っ張られるように、ナオミも外へ出ていった。
それから、二人は自分の気に入ったものを撮りまくった。旅館の玄関、咲いている花、遠くの山、小さな川……写真を撮りながら辺りを散策していると、いつの間にか夕暮れ時になってしまった。ただでさえ暗くなると昼とは景色の感じが違って見えるものだ。なれない場所というのもあって、二人は少し迷ってしまったようだった。
「あれ? 旅館ってこっちだったっけ」
「そうだと思うけど……」
がさがさと茂みをかき分けて進むと、急に景色が開けた。
かやぶきの屋根と裏木戸が現れる。
どうやら旅館の裏手に出てしまったようだ。
「あ、あれが女将さんが言ってた倉じゃない?」
ユカが指さす先をみると、たしかに古びた石造りの建物があった。夕日に照らされ、その影が地面に長く伸びている。
女将の話から、なんとなく二人は小さな物置小屋を想像していたが、それよりもずっと大きかった。ちょっとした家よりも大きいかもしれない。
ナオミが止める間もなく、ユカはその倉に駆け寄っていった。仕方なくナオミもついていく。
入口の戸は金属製だ。左右の扉に小さなU字の金具がつけられ、そこに鎖が渡され、南京錠で止められている。
「入っちゃいけないって言ってたでしょ。行こ」
「そうだね、どのみちこんな厳重に閉められてたんじゃ開けられそうにないし」
おとなしく二人が旅館の正面に回ろうとしたときだった。
旅館の方から誰かやってくる気配がした。なんとなく近寄るなと言われた場所のそばにいるのが後ろめたくて、二人は慌てて茂みの裏にしゃがみ込み、姿を隠す。
地面に長い影を落とし、やってきたのは女将だった。手に、大き目のタッパーと、筒状に丸めた布を持っている。布からは柄が飛び出ていて、包丁の刃を包んでいるように見えた。
女将は、袖から鍵を取り出すと、南京錠を開けた。鎖を外す硬い音が響く。
女将の着物姿が倉の中に消えると、ユカが茂みから小走りでかけだした、
(ちょっ……)
ナオミは呼び止めたかったが、そんなことをしたらここにいるのが女将にバレてしまう。
ユカは壁にはりつくと、カニ歩きで入り口にむかった。
こうなってみると、俄然ナオミも中が気になってきた。ユカの真似をするようにナオミも入り口の横に陣取る。
薄く空いた扉の隙間から、倉の中が見える。中から流れ出る空気はひんやりとしていた。差し込む外の光に淡く照らし出され、大きな樽が並んでいる。ナオミには意識のない化け物が並んでいるように見えた。ちょうど巨大ロボのような。
樽のいくつかにはハシゴがかかっている。確かに落ちたら自力で上がるのは無理だろう。
手前には、鏡割りに使うぐらいの小さい樽が一つ置いてあった。女将は鼻歌を歌いながら、その樽の蓋を開け、茶色く、まるい塊を取り出す。それを包丁でぶった切ると、半分をタッパーに詰め、残りを樽に戻した。
(なんだ、漬物か……)
たぶん、事故を防ぐだけではなく、漬物をイタズラされたくないから倉に入るなと言ったのだろう。
女将がタルの蓋を閉め、片付けを始めたので、二人は慌ててまた茂みの中に身を隠した。
鼻歌を途切れさせることなく、女将はまた旅館に戻っていった。
その日の夜、部屋のテーブルには土地の物を使った夕食が並べられた。
アユの塩焼きや鹿肉と野菜の鍋に、てんぷらなどなど。
「わあ、おいしそう!」
ちょっと地味な感じはしないではないものの、使ってある材料は新鮮そうにみえて、ナオミはさっそくスマホで写真を撮った。
「あれ? これって……」
ユカが小さな器に入った漬物を気にしている。
「それはジビエの味噌漬けでございます」
ビールの栓を開けてくれながら仲居さんが答えた。
「ジビエって、鹿とかウサギとか、野生動物のことですよね」
「よくご存じですね。近くの山で獲れたものも使っているんです。お客様に評判で、これを食べにわざわざお越しくださる方もいるんですよ」
「へえ」
いいながら、客二人は顔を見合わせて意味ありげな笑みを浮かべた。
きっと、あの時女将が取り出した漬物に違いない。なんだかこの宿の秘密を知ってしまったようで、イタズラに成功したような奇妙な喜びがあった。
女将が漬けた漬物は確かに「ここに来てよかった」と思うほどおいしかった。
朝になって、ユカはナオミに揺り起こされた。
「ん~? どうしたの、もう少し寝かせて……」
窓から差し込む明かりの感じから、日が昇ってからまだ時間が経っていないように見えた。
眠くて仕方ないナオミにくらべ、ユカはもう服を着替えて目をキラキラさせていた。
「ちょっと、あの倉に行って来るから」
「ええ? でもあそこの倉には何があるか、もう分かったじゃない」
「うん、でもあの倉の中、写真撮りたいなって。あんな大きい樽、めったに見られないし」
「いや、まあそうだけど……あの倉、鍵かかってたじゃない」
「でも、あの倉って鎖で閉じられてたでしょ? 引っ張れば隙間ぐらいできるって」
「ああ、そこを覗き込もうっていう……」
一瞬、ユカにだけに行かせて自分はこのまま寝ていようかと思った。そんなことのためにこの暖かい布団を抜け出す気にはなれない。
けれど、そうしたら調子にのったユカが、なにか変なことをするかも知れない。
「私も行く。着替えるからちょっと待って」
ナオミはのそのそと起き上がった。
セミの声が響き始め、今日もいい天気になりそうだった。山の中ということもあって、外の空気は涼しい。
「ほんとに写真撮るだけにしときなよ」
「はいはい、分かってますって」
ナオミが釘を刺すと、ユカが適当に相槌を打った。
朝の淡い光の中で見る倉は結構おもむきがあった。
「あれ? ナオミなんか言った?」
急にユカがそんなことを聞いてきて、ナオミは首を振る。
「ううん、何も言ってないけど」
「そう? なんか悲鳴みたいなのが……」
ナオミが最後まで言い切る前に、甲高い声がかすかに聞こえた。それは子供の悲鳴のようだった。遊ぶ子供が興奮してあげるものではなく、もっと悲痛な、命の危機を思わせるもの。
「聞こえた!」
ナオミの心臓が騒ぎ出す。
「あの倉からだよね?」
ユカはもう走り始めている。
(まさか本当に子供がはしごを登って樽に落ちた?)
鉄の扉には、やはり鎖と南京錠がしてあった。ナオミとユキは、そのまま戸を左右に引っ張った。巻かれた鎖のたるみ分、鉛筆ほどの幅に隙間が開いた。
そうしている間にも、小さな悲鳴は続いている。
ユカが中をのぞき込む。
そして、小さく息をのんだ。
「なに、どうしたの?」
ナオミの質問にユカは答えず、ただ固まったように中をのぞき続けている。
「なんなの?」
とうとう我慢できなくなって、ナオミも倉の中をのぞき込んだ。
差し込む朝の光で、倉の中は意外と明るかった。並んだ、化け物みたいに大きな樽。はしご。そして手前にある小さな漬物用の樽……
小さな樽の上に、何かが乗っていた。それは、着物を着て、髪を後ろで一つに結んだ小人のようだった。黒い粘土で作られたように黒一色しかない。
かた、かたとかすかにフタの音をさせながら、伸びあがり、片手をあげ、崩れたように膝をつき、ひきつっているように首をまげている。踊っているというより、発作で体が暴走しているという動きだった。そして、その両腕は翼になっている。
近くでギクシャクとユカが腕を動かす。戸の隙間に、スマホのカメラレンズをセットしているようだった。
こんな時まで写真を撮るつもりかとナオミは半ば呆れた。
カシャッとシャッター音に似せた音が鳴った。
その途端、小人はパッと消え失せた。
しばらく言葉もなく、二人はしばらく何もない樽の上の空間を見つめていた。
「……なに、今の」
ようやく出たナオミの言葉はかすれていた。
「私に分かるわけないでしょ!」
ユカは、震える指でスマートフォンを操作した。
「写ってる!」
見せられた画面には、確かに今見たモノがはっきりと写っていた。
「ちょっとこれ知ってる人いないか聞いてみよう。『これって妖精ですか。♯詳細希望』」
ユカは、自分が撮った写真をSNSにアップした。
ナオミがのぞきこんだ画面に、みるみる通知が届く。ユカは手慣れた様子で画面を操った。返信を確認するユカの手が早く、横から覗き込んでいるナオミには完全に読めないものの、大抵は『怖い』とか『加工?』みたいなものが多い。
ユカは不意に画面をスクロールさせる手を止めた。
「これだ! 『これって、何時摩天(いつまてん)という妖怪だと思います』」
ユカがあるツイートを指し示した。
『供養されずに酷い状態になっている子供の死体のそばに現れる妖怪です』」
(それって……!)
「『ひょっとしたらその樽の中に入っているのは』」
(だとしたら、夕飯に私達が食べたのは……)
足音を聞いた気がして、ナオミは文章の途中で顔をあげた。
ユカの肩を揺さぶる。けれどそんな風に注意を促されなくても、ナオミは気が付いていた。
目の前に立っている、大き目のタッパーと包丁を持った女将。
「あら、困ったお客さんだこと。あの倉はのぞかないようにって言ったのに」
女将はにっこりとほほ笑んだ。そして、刃を包んでいた布をほどき始めた。
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