夢幻怪浪

一話読み切りのホラー&奇妙な短編集。非現実っぽいのから現実っぽいのまで。
三塚章
三塚章

看板

公開日時: 2022年2月16日(水) 19:57
文字数:4,937

 最初は、ただの疲れかと思っていた。とにかく体が重い。ふらふらする。昼間だというののに、眠たくてたまらない。講義の時間もうつらうつらしてしまうぐらいだ。

 まあ、ありがたいことに大学生にもなると、先生の怒声が飛んでくることもない。仮に試験の結果が悪く留年したとしても、それは自己責任という奴。

 というわけで、講義中ひと眠りしてきた俺は、学食で飯を食う気にもなれず、テーブルにつっぷしてぐったりしていた。

「なあ」

 そこに話しかけてきたのは、知り合いの吉岡だった。彼は『友達の友達』という奴で、機会があれば話すけれど、そう親しいわけではない。それが一体何の用だろう。

「ん~」

 あいさつするのも面倒くさく、俺はうめき声で返事をすると顔を上げた。

 吉岡は、俺の体を透視でもしようとしているように、不自然に目を細めている。

「あのさ。君、最近どこか心霊スポットみたいな所へ行った? でなければ昔の合戦場跡とか処刑場みたいなとか」

(なんだ、いきなり) 

 俺は内心面食らった。

 けどまあここで「は? 何言ってんの?」とかなんとかいって空気を凍らせたいわけもなく、素直に最近の行動を振り返ってみる。

「いや、特に思いつかないけど……」

 心当たりがあるとしたら、友人の神谷と行った廃墟の遊園地くらいだ。

 といっても、そこには迷子になった子供が殺されたとか、アトラクションが故障して人が死んだとか、そんな不幸な話は一切ない。そもそも、半日でまわりきれてしまう小さなところだ。スタッフがそうとう間抜けでなければそんな問題は起きないだろう。

 神谷と行った理由だって、肝試しというよりどちらかというと暇つぶしの廃墟探訪のつもりだった。

「急にアレなんだけどさ、何か、全身に悪い念がからみついてるよ」

「ええ?」

 吉岡は、俗にいう見える人、という奴か。それとも、ただ俺をからかっているだけか? まあなんにせよ、霊を信じていない俺にはちょっとイタい奴にしか見えない。

「あ、いや、なに言ってんだコイツとか思ってるだろ。俺も、普段はこんなこと言わないよ」

 不信感が顔に出ていたのか、吉岡は少し弁解がましく言った。

「でも、見た感じちょっとヒドかったから。と言っても、僕もそこまで霊感が強いわけじゃないから、何が原因だとか詳しくはわからないけど。一応、一度お祓(はら)いに行った方がいいよ」

 そう言い残して、吉岡は去っていった。

(なんだよ、それ……)

 幽霊を信じていなくても、そんなことを言われたらいい気はしない。

 かといって、変に気にしていたら精神衛生上とてもよくない。

 そもそも、霊を見たとか心霊現象とかいうのは、ビクビク怯えているからなんでもないものを見間違えてしまうのだ。

 とにかく気にしないことにして、俺はのそのそと家に帰るために立ち上がった。面倒だから、これからの講義はさぼってしまおう。

 自動車通学しているけれど、このままずっとボーッとしていたらそのうち事故るんじゃないかと思いながら、俺は駐車場にむかった。


 その日の深夜、トイレに行きたくなって俺は目を覚ました。用を足して、洗面所へ手を洗いに行く。

 面倒くさいので電気はつけなかった。勝手知ったる家の中、薄暗くても蛇口の場所は分かる。

 冷たい水で手を洗う。闇の中の鏡には、おおざっぱな絵のように自分の姿が何となく映っていた。

 ふと違和感を覚えてこすり合わせていた手を止めた。

 鏡に映る自分の顔が、黒く塗りつぶされている。黒い、楕円形のお面でもかぶっているように、目も、鼻も、口もなくなっていた。

「うわああ!」

 俺は悲鳴をあげてしりもちをついた。強く打った鼓動で肋骨が跳ね上がったようだった。

 他に何かおかしな現象に襲われるのではないかと身構えたが、足音も、誰かの泣き声も聞こえない。

 壁についた両手で体を支え、よろよろと立ち上がる。汗がにじんだ手で、電灯のスイッチを入れた。

 白い光が洗面所を照らし出す。

 鏡には、目を見開いて半開きの口で荒い息をする、間抜けな自分の姿が映っていた。

流れっぱなしの水が、ジャージャーと音を立てている。

 震える手で自分の顔をなでる。ゃんと目も鼻も唇もあるようだ。

「なんだったんだ……」

『何か、悪い念がからみついてるよ』

 吉岡に言われた言葉を思い出す。

(そんなバカなことがあるか……)

 きっと何かの見間違いか、気のせいだ。暗かったし、半分寝ぼけていたし、昼間のことが心のどこかに残っていたから変な幻覚をみたんだ。

 そう自分に言い聞かせて、蛇口をひねり水を止める。キュッという音が、短い悲鳴のように聞こえた。


 それから、俺はネットであの廃墟の遊園地を調べてみたが、やはり霊が出そうな事件は起きていなかった。つぶれた原因は経営難だったらしいが、オーナーが借金苦で自殺したという事実もない。

 一緒に行った神谷にもきいてみたが、やはり変な噂は聞いたことはないという。

 学食のむかいに座り、俺の話を聞いた神谷は、どこか呆れたように言った。

「ていうか、考えすぎじゃねえの? 俺には怪奇現象なんて起きてないぜ?」

「本当に?」

 だったら、なんで俺がこんな目に遭うのだろう。なんだかすごく理不尽だ。

「きっと吉岡に変なことを言われたから神経過敏になってるんじゃねえの?」

 神谷は俺が洗面所で考えていたのと同じことを言った。

「いやまあ、確かに最近のお前は死相が浮かんでるっていうか、顔色悪いからな。お祓いっていうか病院行った方がいいとは思うけど」

「死相って」

 ハハハ、笑い声をたてた神谷に、思わず突っ込みを入れる。体調は、回復するどころか悪化していた。

 笑い終わると、神谷は真面目な顔になった。

「そんなに気になるんだったらさ、あの廃遊園地の写真もう一度よく見てみるか? 変なもんが写ってたら、それこそ神社か霊能力者のところにでも行きゃよくね?」

「一理ある」

 俺はさっそくスマートフォンを取り出した。

 あちこち色があせたチケット売り場。さびついた観覧車。ジェットコースターのレール。そして……俺は指を止めた。

 そこに写っていたのは、板に描かれた絵。凸凹コンビのピエロが、体を寄せて仲良く並んでいる。そして右側に立っている、背の低いピエロは、俺の顔をしていた。

 いや、正確に言うと顔の部分の板が楕円形にくり抜かれていて、そこから俺が顔を出しておどけているのだ。観光地によくある、おもしろ写真を撮るためのあれだ。

(そういえば、園内にあるのをみつけて、ふざけて撮ったんだっけ……)

 子供用に穴が低めの位置に開けられていて、顔を出すのに苦労をしたのを思い出した。もちろん撮影したのは神谷で、あとで送ってもらったものだ。

 面白いから神谷もやってみろと言ったのだけど、「いいよ、アホらしい」と断られてしまったのだった。

 そして、その次は俺の顔なしバージョンの写真。穴の向こうは真っ黒に塗りつぶされているように見える。それこそ黒い紙で作ったお面をかぶっているようだ。いくら薄暗い時に撮ったといっても、むこうの景色や明かりなんかが見えるのが自然なのに。

 そして、鏡に映った顔のない自分。

「こいつだ!」

 気づいたら俺はそう叫んでいた。

 今までの異変の原因は、こいつに違いない。

 俺は校舎を飛び出した。そして駐車場に向かい、自分の車に飛び乗る。

「おい、一体どうしたんだよ!」

 心配してくれたのだろう、ついてきた神谷が助手席に乗り込んできた。

 車を発進させながら俺は叫ぶ。

「詳しいことは俺もわからねえよ! あのピエロのせいなんだよきっと!」

 夕方の六時を過ぎていたが、通りはまだ明るい。駐車場を出て道路へ出る。行きかう人々を見て、俺は悲鳴をあげそうになった。

 普通のおっさんや主婦の間に、明らかに人間でないものが歩いていた。黒い霧でできた人型をした者が、何人も。腕のないもの、限界まで首を傾げているもの、立てないのか、道路にはいつくばっているもの。中には、街路樹の枝から逆さまにぶら下がっているのもいた。

 道の隅に、黒い靄(もや)のようなものがわだかまっている。溶け残った雪がわだかまるように。

「うわ!」

 驚きで、前の車にぶつけそうになって、俺は慌ててブレーキを踏んだ。

「バカ! 危ねえ!」

 神谷がどなってくる。

「お前、アレが見えないのか? あの影みたいな奴!」

 神谷だけではない、道を歩く他の人間も特に騒いでいる様子はない。あの影も、道の隅の闇も俺にしか見えていないんだ。

「は? 何言ってんだ? お前おかしいぞ! いいから運転変われ!」

 確かに今の俺の状態では、確実に事故る。俺はおとなしくハンドルを譲った。

「それで、どこへ行けばいいんだ?」

「あの廃墟の遊園地!」

 

 チケット売り場を通り、俺はまっすぐにピエロの看板に向かった。

 体力は人並みにあるはずだが、今は少し走っただけですぐに息切れして倒れそうになる。

そして急に表れた黒い人影とぶつかりそうになって慌てて避ける。

 そう、通りだけでなく、ベンチの上や柵の影、もっと堂々と道の真ん中にも、大小の黒い影は立っていた。

 闇はどんどんと浸食を広め、気をつけないと踏んでしまいそうだ。

 異様な光景と、走る苦しさで、俺はなぜか段々と腹が立ってきた。確かに勝手に廃墟へ入り込んだのは悪いが、それってこんな目に遭わなければならないほどのことか? なんで俺だけこんな目に!

 ようやく看板の前までたどり着いた。

 袖と裾に大きなレースがつき、赤地に白の水玉というど派手な服を着た二人のピエロ。背の高い方は、十字の目をして笑っている。

その面(ツラ)が無性にむかついて、俺は看板をつかむと足を使って真っ二つにへし折った。

「おい! ちょっと待て!」

 さらに折ろうとする俺を、神谷が止めた。

「なんだよ!」

「ちょっと、いいからちょっと待てって! なんだよこれ!」

 神谷は割れた看板を指さした。

 その看板には、裏全体にツヤツヤした白い紙が貼られていた。写真を撮るため客が後ろに回ったとき、ベニヤ板のままでは見苦しいと思ったのだろう。だが俺が看板を割ったせいで、その紙が破れてめくれあがっている。

 紙で隠されていた看板の裏に、何か赤い曲線が書いてあった。

「なんだ、これ」

 いやな予感に襲われながら、べりべりと紙をはがす。

 開けられた穴を中心にして、複雑な模様が描かれていた。シールをはがした時のように、はがれなかった紙が残り、全体を見ることはできなかったが、その模様が魔法陣なのは見てとれた。

 『悪い念が絡みついている』

 吉岡はそう言っていた。そして、あの洗面所の鏡に映った顔のない自分。

 おそらく、俺はこの看板をのぞいたことで呪いにかけられたのだろう。軽い不調としか自覚はなくても、少しずつ確実に生命力を削っていく呪いを。

 黒い影は、きっとあの世の人間だ。俺にだけ見えるのは、俺が呪いでゆっくりと死にかけ、あの世に近づいていたからか。

「これが原因だったのか?」

 神谷の言葉で、考え込んでいた俺は現実世界に引き戻された。

「あ、ああ。たぶん……」

 改めて辺りを見回してみると、もう黒い影はいない。きっと魔法陣が壊れたから、俺への呪いが解けたのだろう。

 いったい、この看板を作った奴は何を考えていたのだろう。無差別に呪いをかけるようなマネをするなんて……

 そこまで考えて、俺は吐き気がするような恐怖に襲われた。

 あの看板は、子供がのぞくサイズに作られていた。

 つまり、看板に魔法陣を描いた者は、子供に呪いをかけようとしていたことになる。恨みも何もない、大勢の子供に。月並みな言い方だが、鏡の異変よりも、うろつく影よりも、その悪意が一番怖かった。

 もちろん、この看板を使った子供全員が死んだわけではないだろう。そうでなかったら、大騒ぎになっていたはずだ。

(いや、待て)

 そこまで考えて、俺はすぐ自分の考えを打ち消した。

 看板を使ってからすぐに死ぬわけでないのだから、子供たちはそれぞれ自分の家に帰って、しばらくの間普通に生活していたはずだ。そして、俺のように少しずつ体調を崩し、それぞれの場所でそれぞれが衰弱死したとして、それを一つの遊園地に結び付けられる者がいるとは思えない。

 ひょっとしたら、この看板を使った者全員、犠牲になっているのかも知れない。

 どちらにしても、俺に知るすべはないだろう。子供の生命力はすさまじいから、呪いの被害が少なければいいと思っている。


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