「イザベラ、お前との婚約を破棄する!」
「はい?」
突然の宣言に私は思わず目をまたたいた。
ここは学園内にある大講堂。
本日は卒業パーティーということで生徒や保護者も大勢集まっており、ざわめきが大きくなっている。
そんな衆人環視の中でこの人は何を言っているのかしら?
目の前にいるのはこの国の王太子であるエドワード・ラ・イース殿下だ。
金髪碧眼といういかにも王子様といった風貌をしている彼は、私の婚約者でもある。
……だけど、どうしてこんなことになっているんだろう?
さっきまで私たちは二人で楽しくお茶をしていたはずなのに。
「えっと……どういうことでしょうか?」
私が困惑してそう尋ねると、殿下は大きくため息をついた。
「まったく、白々しい! お前のように性格の悪い女とは結婚できないと言っているのだ。アリシア嬢こそ俺にふさわしい」
その言葉に周囲の生徒たちからどよめきが起こる。
どうやらアリシアさんもここにいるみたいね。
私は周囲を見回してその姿を探したけれど、すぐに見つかった。
彼女は殿下のすぐ隣に立っていて、こちらに向かって微笑みかけている。
うん、やっぱりかわいいわね。
アリシア・ウォーカー男爵令嬢。
彼女はこの国の貴族の中でもかなり有名な人物だった。
それは彼女の能力がずば抜けて優れているとかそういう理由からではない。
むしろその逆だ。
彼女が『残念美人』と呼ばれるくらい変わった子だということで知られていたからだ。
顔立ち自体は整っているし、スタイルだって悪くない。
それどころか胸のサイズだけなら私よりも大きいかもしれない。
でも、彼女には決定的に足りないものがあった。
それが何なのかはご想像の通りだと思う。
「お言葉ですが殿下、どうしてそのようなことを仰るのです? 私達、うまくいっていたではありませんか」
私はできるだけ穏やかな口調になるように気を付けながら尋ねた。
すると殿下は鼻で笑うような仕草をした。
「ふんっ、どの口が言うのだ。今までの俺はどうかしていた。アリシアへの嫌がらせの数々、俺の耳に入っていないと思っているのか?」
「嫌がらせなんてしておりませんわ。アリシアさんへの嫌がらせなど一切しておりません」
私はきっぱりと否定した。
確かにアリシアさんのことはあまり好きじゃない。
貴族としての常識にあまりに疎かったり、マナーやダンスが壊滅的だったりするからだ。
それでも、だからといって故意に傷つけようとは思わない。
最近は彼女もそれなりに努力しているようだし……。
「嘘をつけ! お前以外に誰がやると言うのだ!」
「他の方々だってやろうと思えばできるでしょう? 殿下ともあろう方がまさか証拠もなく人を疑うわけありませんよね?」
「証拠ならある! 目撃者が証言してくれたのだ!」
「あらまぁ……。一体誰なんですか?」
「それを明かすことはできない! お前が圧力を掛けてうやむやにする可能性があるからな!」
「…………」
思わず黙ってしまった。
どうやら殿下はその目撃者とやらの証言を鵜呑みにしているらしい。
でも、これはまずいわね。
「殿下、一つ確認させてください。もし仮にその証人の方が嘘をついていたらどうしますか? 例えば誰かに脅されて言わされているとしたら?」
「その時は然るべき処置を取るだけだ」
殿下はあっさりと答えた。
「では、その証言の信用性を証明してくださいますか?」
「そんな必要はない! 王子である俺が信じるに値すると判断したのだ!」
殿下の言葉を聞いて私は大きなため息をついた。
この人は本当に何もわかっていないようね。
王族として民を守る責任があるというのに、その自覚が全く感じられない。
「殿下のお考えはよくわかりました。ですが、私は無実です。何かしらの証拠がない以上、婚約破棄を受け入れることはできません」
私が毅然とそう告げると、殿下の顔色が変わった。
そして大声で怒鳴ってきた。
「いい加減にしないか! これ以上俺に逆らうつもりか!?」
殿下の大声のせいで周囲の視線が集まってくる。
「姉上、見苦しいですよ。殿下の決定を受け入れてください。アディントン侯爵家にこれ以上恥をかかせないでいただきたい」
そう口を挟んできたのは、私の義弟であるフレッドだ。
背は低いものの、青髪が映えるかなりの美少年である。
次期国王であるエドワード殿下の将来の側近になると言われている優秀な男だ。
ただし、少々傲慢な性格をしている。
私があまり好ましく思ってない相手だ。
昔はかわいげもあったんだけどねぇ……。
「本当にみっともねえぜ! こんな奴が殿下の婚約者だったとはな!!」
そう言ってゲラゲラ笑ったのはエドワード殿下の親友。
将来の側近候補の一人である騎士見習いのカイン・レッドバースだった。
赤髪の男らしいイケメンで、家柄もそこそこ良い。
学園内でもかなりの人気者だが、女癖が悪いことでも有名だった。
「その通りですね。過ちは誰にでもあるものですが……。反省をしない人間には何を言っても無駄でしょう」
そう言ったのは、同じく殿下の親友にして側近候補の一人。
伯爵家の跡取り息子、オスカー・シルフォードだった。
眼鏡を掛けた銀髪のイケメンで、成績優秀。
さらに魔法の腕も確かであり、非の打ちどころのない優等生である。
エドワード殿下だけではなくて、フレッド、カイン、オスカーまでもが私を見下すような目で私を見る。
……どうしてこうなったのかしら?
私と彼らの関係はそこまで険悪じゃなかったはずなのに。
いや、さほど良くもなかったけどね。
「イザベラ、お前はもうこの国に必要ない。お前から貴族の身分を剥奪し、国外追放にしてやる!」
「そうだな! あんたみたいな性悪女の居場所なんてこの国にはない!」
「僕たちは殿下の判断に従うまでです。アディントン侯爵家の名誉にかけて、姉上の国外追放に同意します」
「それがよろしいでしょうね。そうすれば、さすがのイザベラ殿も反省するでしょう」
殿下、カイン、フレッド、オスカーがそんなことを言う。
私はもう一度大きなため息をつく。
これはかなり面倒なことになってしまったわね。
さすがにここまでされるなんて予想外だったわ。
「……殿下、お言葉ながら私は何も悪いことをした覚えがありません。そもそも、陛下はこのことをご存知なのですか? 私の父、アディントン侯爵にも話を通してあるのでしょうか?」
私はまだ冷静さを保って尋ねた。
すると、殿下が不愉快そうな表情を浮かべる。
「父上やアディントン侯爵は関係ないだろう! 俺とアリシアの問題なのだから!」
「しかし、王族である殿下が侯爵家の娘である私に対して一方的に婚約破棄をするというのは、問題があるでしょう」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!!!」
殿下がヒステリックに叫ぶ。
ここまで感情的な人だっただろうか?
金髪碧眼の容姿端麗な王子様だが、今の彼は醜悪だ。
その眼は黒く濁っているように見える。
「もういい! お前のように屁理屈ばかり言う人間は、この国どころかこの世に必要ない! この場で処刑してやろうではないか!」
殿下がそう叫び、腰の剣を引き抜いた。
「……は?」
殿下のあまりの言動に思わず呆然としてしまう。
今ここで殺すとか言った?
嘘でしょ……?
私が呆然としている時、腕に痛みが走った。
「……っ!?」
見れば、私の腕にナイフが突き刺さっていた。
「僕も殿下に同意します。姉上に国外追放の処分は甘い。アディントン侯爵家の名誉を守るため、死んでいただきましょう」
私の義弟であるフレッドが濁った眼でそう言い放った。
「ぐっ……」
私は苦痛の声を漏らし、その場に倒れ込んだ。
「あはは。僕が調合した毒です。致死性はありませんが、もはや満足に体を動かせないでしょう?」
フレッドが無邪気に笑う。
「うぅ……」
ここまでのことをされるなんて。
このままじゃ本当に殺されてしまう……。
私は痺れる体を何とか動かし、這うようにして彼らから少しでも距離を取ろうとする。
それにしても、他の生徒や保護者達はいったい何を……?
これほどの暴挙を黙って見ているとは、信じ難い。
いや、それよりもカインだ。
粗暴な彼だが、一応は騎士見習い。
殿下の暴走をさすがに止めてくれるはずだ。
「ははっ! 見ろよ、この女。這いつくばって逃げやがるぜ!」
そう言ってゲラゲラと笑い出すカイン。
彼もこの騒動を止めないとは……。
「無様ですね。万が一にも逃げられないようにしてあげましょう。……【氷結鎖縛】」
オスカーが魔法を発動させる。
彼の手から冷気が放たれ、私の体にまとわりついたかと思うと、凍り付いた。
「きゃあああっ!?」
私は悲鳴を上げるも、身動きが取れず、そのまま力なく床に倒れ込む。
まだだ。
私には奥の手のペンダントがある。
これには回復魔法が込められていて、これを使えば……。
そう思って胸元に手を伸ばす。
その時だった。
「せいやあああぁっ!!」
「あっ!? あああああぁ!!!」
カインの剣によって、私の手の筋が切られた。
私はペンダントを取り落としてしまう。
もう腕に力が入らない。
「ひゃーっ!! すげえぇ!!」
「これが騎士の戦い方なのか!」
「さすがカイン様! 見事な腕前ですな!」
「悪女をぶっ殺せ!」
周囲の人々から歓声が上がる。
私は激痛に耐えながらも、必死に周囲の状況の把握に努める。
彼らの眼は一様に濁っており、私の死を心から望んでいるように見えた。
ただ一人の例外は……、アリシアさんか。
意外にも彼女だけが、顔面を蒼白して狼狽えていた。
そんな中、エドワード殿下が輝く剣を高々と掲げる。
「どうして……。どうしてなのです、殿下……」
「…………」
「その剣で、魔獣から私を守ってくださったではありませんか……。あれほど優しくしてくださったではありませんか……」
私がそう訴えるも、殿下は無言のまま。
ただただ冷たく濁った視線を向けるだけだった。
「殿下、お答えくださいませ……。殿下は……、私を愛してくださっていたはずです……。なのに、なぜこのようなことを……?」
「真実の愛に目覚めただけだ。アリシア嬢こそ、俺の運命の人なんだ」
殿下は最後にそう呟いたかと思うと、剣を勢いよく振り下ろした。
私は迫りくる剣の切っ先を見ながら、静かに瞼を閉じるしかなかったのだった。
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