――世界には、色々な国がある。
砂丘の国、常夏の国、雪原の国。そうした気候的特徴以外でも、人の気質が得意な国も存在する。
今から行くのは、そんな国だ。
――私は入国審査を終え、安宿へと到着していた。
道中、歩く人々の人相が怖かったが、何かあったのだろうか。
そこで、店員の方に聞いてみることにした。
「失礼、この国は最近、何か大変なことが起きたのですか」
「客?」
「ええ」
私は勘定を払った。
「いらっしゃい。何も起きてないわね」
「そうですか」
「ええ」
そういうわけで、私は二階の部屋へ行くべく、階段を登ろうとしていた。
カランカラン、扉に取り付けられた鈴の音が来客を告げる。
「すみません!」
客が先の店員に宣った。
「客?」
「いいえ、一つお聞きしたいのですが……」
「――帰れ。仕事の邪魔をするな」
店員の冷たい言葉により、客は血相を変えて、外へ飛び出していった。
私はこの様子を見て、なんとも居心地が悪かったので、ここを後にしたのだった。
街の人々を観察していると、口々に他人を裁く言葉が散見された。やれ「アイツは程度が低い」だとか「あいつより無能なヤツはいない」だとか、もっと酷いのだと、罵詈雑言の悪口もあった。
が、私が話しかけると、私のそれなりに高価な服をまじまじと見つめ、態度が柔和になるのだ。やれ「どうされましたか」だの「長旅で苦労されたことでしょう」と言う。
その後、この国のあちこちを巡ったが、同様の対応だった。
どうやら、この国は「人を裁く国」らしい。己が小さな価値観で他者を冷酷に裁く。そんな蛮行が横行している。
中には直観力が発達していて、批判の〝内容こそ〟正しいと思えるものがあった。が、それもその人の価値観によって裁いている、という事実は変わることがないのだった。
――人を裁いてはいけない。
何故なら、人は誰しも〝未熟さ〟――つまり、不完全性を備えた存在だからだ。
裁いている人間は自分が「普通ないし優れた人間」と思っているが、とんだお門違いだ。
「普通」も「優れた」もその人間の独善的な判断に過ぎない。
人間は過去の自分を見つめると、恥じるものだ。それは自分の未熟さを知っているからであり、現在の自分より未熟だったからに他ならない。
したがって、未熟な我々人間が他者を裁く資格は無いのだ。
私はこの国を後にした。
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