彼の話をしよう。
彼は高校3年のもちろん男子だ。背はクラスで1番を常に争う程低い。痩せ型で全く日焼けをしていないため、体育館などの光が強いところに行くとより白さが際立つ。
成績はいつもとても低く、同じクラスのこれまた背が低い友達と成績表が配られた際はよく見比べ、笑い合う。部活には入っておらず、早く家に帰るのが大好きだ。
家に帰ると、漫画を読んだり、アニメや映画、海外ドラマなどを見る。この時間が彼にとって最高の時間だ。
家族はお金持ちという程ではないが、父も母も働いていて、お金に困ると言うことも無い。お小遣いを貰っていて、アルバイトなどはしていない。
お小遣いをそれなりに貰えているのもあるが、家にいる事が好きなので、そんなにお金を使うこともない。高い美容室など行かないし、あまり外にも出ないので高い洋服を買うこともない。だからお金をそんなに必要とはしていなかった。
それに、彼は非常に面倒くさがり屋でアルバイトなどしたいとも思わなかった。貰ったお小遣いは漫画にほとんど使ってしまっていた。でも、彼にとって好きな漫画の続きを読むことは最高の楽しみで、それでお小遣いが尽きてしまっても気にもしなかった。
彼はあまり友達と遊ぶと言うことはなかったが、何故か人に好かれることが多かったので学校ではよく人と喋った。背が小さいのがコンプレックスだったが、それを可愛いと最近よく言われるので、それは解消されつつあった。
最近は大学に行くことを考え始め、受験勉強に取り組み始めていた。何かやりたい事がある訳ではなかったが、大学でやりたいことを探そうと考えていた。
周りの子が家にお金が無くて大学に行くことができず、就職をするという話を聞いて、自分は恵まれた環境にいるのだから頑張らなくてはなくてはいけないと思い始めていた。
だから最近は、今までなら携帯をいじっていた夜の時間に、机に座って参考書や問題集を開くようになっていた。親からは褒められることが増え、勉強を応援されていて、俄然やる気になっていた。
そんなある日、彼は学校から帰宅した。家には両親は働きに出ていて、誰もいなかった。太陽の光はオレンジ色になって、外は目が開けづらく視界が悪かった。ようやく家に帰ってきて、彼は目を大きいた。視界が開けて、とても気持ちが良かった。
家は一軒家で二階に自分の部屋があった。リュックを玄関に投げ捨て、一回の洗面台で手を洗ってうがいをし、冷蔵庫に走った。昨日父親が買ってくれたコーラがあった。冷蔵庫を開け、力を振り絞ってキャップを開け、すっかり冷えた黒い液体を喉に流し込んだ。
ゴクゴクと言う音と共に、自然とハァ~という長いため息のような声が出た。ペットボトルを見るともう半分程無くなっていた。なんだか悲しい気持ちになり、後は残すことにして冷蔵庫にしまった。
それから二階に走って登り、本棚の小さな引き出しを引っ張り出した。何枚かの千円札が入っている。彼が大切にしまっていた今月のお小遣いだ。彼は千円札を一枚取り出すと、それをポケットに入れ、また階段を走って降りた。そして、何も持たず、玄関に乱雑に置かれた靴をかかとを踏みながら履いて、ドアを開けた。
また、オレンジ色の光が目に入って来た。思わず、眩しくて目を細める。そして、そのまま歩き始めた。今日は彼が読み続けている漫画の新刊の発売日だ。月刊誌で連載されているから、新刊が出るまでかなり時間が空く。だから彼は、他の漫画を買うときより一層楽しみで興奮していた。
今日発売の最新刊の、一つ前の刊の話を思い出す。ようやく主人公が敵と対峙し、これから戦うというところで終わっていた。それを思い出すと、より一層興奮して彼は走り出した。
少し行ったところの右手に信号が見えた。青だった。彼は赤信号になって待つのが嫌で、より一層速く走った。不思議と興奮しているからかここまで走った疲れは感じなかった。
ようやく渡る直前のところまで来たとき、信号はまだ青だった。彼は心の中で
「よし!」
とつぶやくと走って渡り始めた。途中で黄色になったから一層腕を振って走った。もう少しで渡り切るというところになって、彼は突然何かに吹き飛ばされた。一瞬だった。彼は自分が浮いている事を意識したとたん、地面に叩きつけられた。
頭から落ちたようで、最初に頭をぶつけた感覚があった。それからまず最初に眩しいと思った。オレンジの光が目に直接差し込んで来る。目を細めながら少し下にすると、そこにはかなり大きいトラックがぼんやり見えた。どうやら、光でトラックが見えなかったようだ。運転手がトラックから降りて、僕に向かってトボトボと歩いて来るのが薄目に見えた。そして、僕に話しかけて来た。
「君が赤で渡るから」
動揺していて、何だか苛ついた様子だった。僕はその言葉に怒りがこみ上げ、
「まだ黄色でした!」
そう強く言い返そうとしたが、息のような物が口から出ただけでそれは音にはならなかった。周りにいたと思われる人も、僕に駆け寄ってきた。
「早く救急車」
と叫ぶ声が聞こえた。僕は何だか頭がフワフワして、無意識に目を閉じ始めていた。気がついたとき、僕は四角のような空間にいた。
それが救急車の中だとすぐに分かった。隣りにいる二人が水色と紺色の2色のジャンバーを着ていて、白いヘルメットをしていたからだ。僕がイメージする救急救命士そのものだった。
彼らは、僕には分からない医療用語や何かの数値を口にしていた。彼らは何かの装置を見て、僕の意識がある事に気付いたらしく、僕の顔を見て僕の名前を大きな声で呼んでいる。
ただ、それを聞いても僕には何かを返すことが出来なかった。顔も動かせないし、口も動かすことが出来ない。何とか手を動かそうとしても、その司令を頭が出せていないようで何の反応もない。ただ、腕には何か冷たい鉄のような物の感覚があった。多分、僕が寝ている、人を運ぶための物の周りにある鉄の部分だと思う。まだ、腕に感触が残っていることに少し安堵した。
だんだん、救命士の声が頭に入らなくなって来た。僕は死ぬのかもしれないという考えが、ふと頭に浮かんだ。すると、家族の顔が浮かんで来る。
父さんは家ではだらしないけれど、仕事が出来る人でとても尊敬している。でも、その気持ちを未だに伝えてはいない。母さんは、本当にいろんなことを助けてくれた。毎日仕事も忙しいのに家事をやってくれて、僕の苦手な家庭科の裁縫や美術の課題を手伝ってくれた。何でも出来て、いつも助けられていた。なのに、感謝の気持ちを伝えたことなど数える程だ。もっと言わなくちゃならなかった。
弟とは本当に仲が悪いけれど、よく一緒にゲームや将棋、チェスを勝敗にこだわって本気で勝負した。それは本当に楽しい時間だった。またやりたかった。
ふと、学校の事も浮かんで来た。自分が死んだら、悲しんでくれる同級生はどれくらいいるのだろうか。あまり、友達は多い方ではなかったけれど、たくさん喋ったあの何人かには悲しんで欲しい。何となく、そう思った。
自分の机に誰も座らなくなって、クラスは今までと何か変わるのか。時間と共に自分がいた事など忘れられて行くのか。急に、何だか悲しくなってきた。だから、楽しかった事を考えた。
ずっと読んでいて、今日も買いに行ったあの漫画の最終回はどうなるのだろう。あの探偵漫画の黒幕は一体誰だったのか。あー。あの海外ドラマの最新シーズンがまだ見れていなかった。あのアニメずっと見ていたのに、あの敵との戦いがまだ描かれていない。あと少しで見れたのに。今度は何だか悔しくなって来た。
何だか、一気に意識が薄くなって行く。今まで考えていた事が何もかも消えて行くようだ。もし、まだ生きていたのなら、ちゃんと家族に感謝を伝えよう。大学にはちゃんと合格して家族に喜んで貰いたい。勉強もするけど、見たかった漫画もアニメも海外ドラマも全部すぐ見よう。今生きる事に感謝し、一日一日を大切に生きる。そう心に誓い、やがて僕の意識は消えて行った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!
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