「あ、やっと来た」
午後4時15分。遅刻の常習犯ジュンイチは、部屋着のまま、とぼとぼと歩いてやって来た。
「もうなんでそんなダラダラ来るん⁉︎ 早よ準備して!」
「そんなにガミガミ言うなよ、ノゾミー。だって、昨日夜中までバイトやったんやもん」
ジュンイチはヘラヘラと悪気もなさそうな表情でそう言って、大きなあくびをした。完全に舐めきった態度に、ノゾミは怒りで顔を真っ赤にする。
「もう、言い訳とか聞きたくない! 今のままやともう決められた時間までに準備終わらへんから! とにかく早く動けーー‼︎」
「はいよー」
ようやく全員が集まり、夕刻のキャンパスの中庭で、学園祭に向けての準備が始まった。
♢
午後6時半。30分オーバーしたが、何とか全てを終わらせることができた。
解散後、ジュンイチは中庭に残り、ノゾミにこってりと搾られている。
「いい? みんなしんどいんよ。ユウヤだって夜バイトやったんよ? でもちゃんと来てるよね? しんどいんはみんな一緒なんよ。わかる? てか、遅れるなら連絡をするんが常識ちゃうの?」
「充電切れてたから連絡できんかってん」
相変わらず怠そうに薄ら笑いを浮かべるジュンイチの態度が、ノゾミの怒りの炎に油を注ぐ。
「この……! 言い訳するなって言ったろうがー‼︎ それにごめんも無し? もう、いい加減にせえ……‼︎」
側で見ていたユウヤが、ブチギレ状態のノゾミを止めようとする。
「ノゾミ、頭冷やせ。ジュンイチはもちろん反省すべきだけど、ノゾミはもっと冷静になった方がいい。リーダーなんだから、次にどうすべきかも考えないといけないだろ?」
「……そうやね。ごめん、ユウヤ。はあー……。じゃあジュンイチ、次は同じミスをしないために、何をしたらいいと思う?」
「あー、うーん……」
——その様子を見ながらぼくはふと、ねずみたちのことを思い出した。こういう時、あのねずみたちはどうするだろうか。
ジュンイチは、遅刻の連絡はちゃんとした方がいいし、迷惑かけたのならちゃんと謝った方がいい。でもあいつ、最近彼女にひどい振られ方してずっと精神的に病んでいたらしいのだ。さすがに、ちょっとかわいそうだ。ノゾミの言い方にしても、みんなしんどいのはわかるけれど、それを押し付けるのは、違う気がするんだよね。
何のための役割分担なんだろうか。失敗した時にガンガンに責められて、また怒られるのを恐れながらやって、果たしてそれでいいのだろうか。他人に迷惑がかからないようにとか、ちゃんとしないと怒られるからとか、そんな消極的な態度で役割をこなして……それでいいのだろうか。
高校生の時に、部活の先輩から言われた言葉が、ずっとぼくを脅している。
『やるべきことをやらないと、誰からも相手にされなくなるよ?』
確かにそれはそうだ。だが、どこか冷たくて突き放すような考え方だ。正直ぼくは、もっとラクな姿勢で臨みたいと思っていた。
——チップくんたちねずみのみんなは、みんなに喜んでもらうため、1つのものを作り上げるために、それぞれ役割を果たし、誰かがダメな時は他の人が支えてあげる——そんな感じだった。ピリピリしたところなんて見たこともない。1匹1匹個性もありペースも違うけれど、みんな楽しそうに役割を果たしていたように見えた。
一体、何が、違うんだろう。
「マサシくん、お疲れ様。……どうしたの、マサシくん?」
「……ああ、ごめん、ノゾミ。ちょっと考えごとしてただけ。……ユウヤ、ジュンイチも。お疲れ様」
ボーッと考えていたら、ノゾミの説教も終わっていた。すっかり外は暗くなってしまっている。ぼくらはキャンパスを後にし、それぞれ解散して帰途についた。
♢
ぼくはぎゅうぎゅうの電車内で、必死に吊革を握る。誰も彼も、イヤホンをつけてスマホをいじっている。座れる席を探してみたが、当たり前のように人で埋まっていて、やはりみんな下を向いてスマホをいじっている。やる気のなさそうな車掌のアナウンスと共に、臭い匂いで満たされた電車はゆっくり発車した。
「死ねクソが!」
「ああ?」
突然、怒鳴り声が耳に入った。振り向くと、人混みの中、髪を金色に染めた青年と、眼鏡をかけたひょろ長い青年が、胸ぐらを掴み合っている。
「足踏んだやろが、今」
「踏んでないわ!」
「何やとコラ、次の駅で降りろや」
「ああ⁉︎ やんのか、この野郎……!」
やめろよ、満員電車の中でそういうのは……。
ぼくは一気に気分が悪くなり、人混みを潜り抜け、その場から離れた。さっきの青年の怒鳴り声が再び聞こえる。このぎゅうぎゅうの人混みと、聞くに堪えない汚らしい言葉の応酬を、乗り換えの駅まで我慢しなければいけない。
地獄の満員電車を降りることが出来ても、そこは人、人、人の群れ。ぼくはフラフラになりながら、次の電車に乗る。幸いにも空いていたので、倒れるように座席に座った。ドッとくる疲れ。頭が重い。
鈍行列車の中で、ぼくは考えていた。大学生になってバイトもして、いろんな経験して思ったのは、〝人って一人一人は温かいけど、社会って冷たいんだな〟ってこと。自分で自分のことをしっかりやっていかないと、誰も助けてはくれない。そんな〝冷たい社会〟に出て、この先働いていかなきゃいけない——。
ぼくみたいな奴が、果たしてこの先上手くやっていけるのか。つかみどころの無い不安が、日に日に増していく。
♢
ようやく駅に着き、家へと向かう。改札を出ると、LINEの着信音がバッグの中から聞こえた。見ると、母からだった。
『また何時に帰るかの連絡は無いの? 何時にごはんの用意をしたらいいのか分からないでしょう。自分のことだけではなく、他人の都合もちゃんと考えなさい。あと、今日話があります』
案の定、いつものお小言だった。何回も、同じことを言われ続けてうんざりする。ぼくが悪いんだけど。だがそれより、最後の一言が気になった。話って、一体何なのだろう。
重い足取りで坂道を登り、ようやく家に辿り着いた。時刻は午後8時15分。玄関の扉を開き、一言も言わずに台所に入る。
「おかえり」
母は目も合わせずそう言って、バタバタとぼくの夕飯の支度をした。ぼくは黙ってそれを食べる。〝いただきます〟なんて、言う気力もない。お腹は空いているのに、味がしない。ただただ機械的に、喉元を通り過ぎていく。
母は、ひたすらパソコンで仕事をしている。お互い会話することもなく、テレビのニュースの音声だけがただただ無機的に部屋に響いている。
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