優しい異世界に行った話

〜ねずみたちとの、まったりスローライフ〜
戸田 猫丸
戸田 猫丸

第3話

公開日時: 2021年8月14日(土) 22:54
更新日時: 2021年8月31日(火) 10:24
文字数:2,246

 

「ふふ、おもしろかったね!」


「続きはまた明日ね。じゃあ寝る支度しましょ」


「はーい!」



 絵本の読み聞かせが終わると、ミライくんはすぐにすやすやと眠ってしまった。チップくんとナッちゃんは、それぞれのベッドへ移動する。お風呂から上がってきたモモちゃんは、1階からぼくらを見上げてニコッと笑った。


 モモちゃん、ナッちゃん、ミライくんのベッドは2階、トーマスくん、チップくんのベッドは3階にある。

 それぞれ間隔を置いて、同じ向きに設置されている。



「マサシ兄ちゃん、こっちー!」


「いま行くね」



 チップくんに呼ばれ、ぼくははしごを上って3階へと上がった。トーマスくんはベッドに寝転んで小説のような本を読んでいる。



「ちょっと狭くなるけど、ベッド入りなよ。ふかふかであったかいよ」


「ありがとう。お邪魔するね……。ほんとだ、ふかふかだ」



 ぼくはチップくんのベッドに入れてもらい、体を横にする。布団の中に入ると一瞬無重力になったような感覚になり、すぐにでも夢の世界へと行ってしまいそうだ。

 2階から、おかあさんの子守唄が聴こえてくる。



「つきが みている もりのなか♪よいこは おやすみ いいゆめを♪……」



 子守唄をぼーっと聴きながらうとうとしていると、チップくんがとんとんと肩を叩いて話しかけてきた。



「ねえマサシ兄ちゃん、寝ちゃダメだよ。もっとお話聞かせてよ」


「はは、そうだね。なにから話そうかな……」


「えっとね、マサシ兄ちゃんは、どこに住んでんだっけ?」


「えー、その……。普通に、人間が住む街に住んでるよ」



 ……うーん、何て答えればいいんだろう。

 悩むぼくに構わず、チップくんは続ける。



「どうやってここに来たか、覚えてないんだよね? マサシ兄ちゃんのおうち、ここから近いのかなあ。近いといいのにね」


「うーん、そうだね……。ちゃんと帰れたらいいんだけど……」



 家に帰るには、まず絵本の世界から抜け出さなくちゃいけない。一体、どうすればいいのだろう。今のところ、手がかりは全く無い。

 ——だけど今は、そのことは忘れよう。悩みごとは何もかも忘れて、絵本の世界、ねずみたちの世界を存分に楽しむんだ。



「マサシ兄ちゃんの家、また遊びに行っていい?」


「あはは、いいよ。……今日遊んだお友達は、みんなこのへんに住んでるの?」


「うん! 近くの小川を下ったとこや、野原の周りにみんな住んでるんだ」


「そうなんだ。今日遊んだあの〝ヒミツキチ〟は、みんなの遊び場なんだね」


「そうなんだ! 〝ヒミツキチ〟の他にも、小川、林の中……、遊ぶとこはいーっぱいあるんだ!」


「楽しそうだね。ぼくももっとチップくんたちと一緒に遊びたいな」


「もちろんだよ。いっぱい遊ぼ!」



 太陽の下、涼しい風。青い空、流れる雲——少年時代の思い出が脳裏に浮かび上がってくる。いつの間にか、自然の中で遊ぶ機会が少なくなっちゃったなあ。


 ぼくは今21歳。夕方までは大学の講義、夜からはバイト。大学休みの日もだいたいバイト。夜11時に帰宅してシャワーを浴びてからが、自由時間。そのまま夜中の2時や3時まで、ダラダラとお酒を飲み、お菓子をつまみながら、SNSを見つつゲームをする。だからろくに睡眠もとらないまま朝7時半に起き、体はバキバキのまま大学へ行き、疲れが溜まったままバイトへGo……、毎日そんな生活だ。子供の頃の純粋な心を、元気いっぱいの体を、いつのまにか失ってしまった。


 自然の中で元気に走り回る自分をまた取り戻すことができたのは、〝ヒミツキチ〟に誘ってくれたチップくんのおかげだ。風を切って走る、あの感じ。陽射しを受けて汗ばむ、あの感じ。子供たちと一緒に何もかも忘れてはしゃぐ、あの感じ。



「チップくん、早く寝なきゃ……。いつもはもう寝てる時間だよ」



 読んでいた本を閉じ、眠たげな目をこすりながらトーマスくんが言った。



「そうだね。じゃあマサシ兄ちゃん、明日話の続き聞かせてね」


「わかった。……じゃあ寝よっか、チップくん」



 窓から月の光が優しく射し込み、ぼくらを照らしている。こんなに早い時間に眠るのも、いつぶりだろうか。

 今日1日を思い返しながら天井をボーッと眺めていると、ねずみのおばあさんがはしごを上ってきたことに気が付いた。おばあさんはにっこり微笑んで、ぼくに話しかける。



「マサシくん、賢そうなニンゲンのお兄ちゃんね。私にも明日またお話聞かせとくれ。……私の名前、覚えてくれたかね?」


「はい、よろしくお願いします。サンディおばあちゃん、ですよね」


「おお、その通り。さすがだねえ。ふふふ、チップたちに素敵なお友達ができて良かったよ。さあ、今日はゆっくりおやすみ。いつものこもりうた歌ってあげるわ」



 おばあさんはそう言ってぼくらの布団をそっとかけなおした後、明日着る服をきれいに畳んでくれた。



「さあ、明日もいっぱい遊ぶぞー! ……あっ、その前にマサシ兄ちゃんのおうち、さがすんだったね」


「あはは、じゃあその前にちょっとだけ一緒に遊ぼっか。じゃあおやすみ、チップくん」


「おやすみなさい、マサシ兄ちゃん!」


「はい、みんないい子でおやすみ。……つきが みている もりのなか♪よいこは おやすみ いいゆめを♪……」



 おばあさんのこもりうたを聴いて、眠りにつく。


(だけどこのまま眠ると、元の世界へと戻されてしまうかもしれない)


 ふと、嫌な予感が脳裏をよぎった。

 せっかく心も体も癒されたというのに、また忌々しい現実に苦しめられるのだろうか。——このねずみたちの世界は、束の間の夢に過ぎないのかもしれない。


 いつの間にかぼくは、眠りについていた。

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