「おとうさん、ただいまあ!」
「やあ、おかえり。パンが焼けたから、すぐにごはんにしよう」
庭にある大きな丸いテーブルの上には、こんがり焼けたフランスパンがカットされ、並べられていた。チップくんとぼくは、さっきもらってきた野イチゴをカゴから出し、お皿に盛り付ける。焚き火にかけてあるのは、おとうさんが作ったかぼちゃのスープだ。鍋からほくほくと湯気が上がっている。
「それじゃ、ごはんにしようか」
「わーい!」
丸いテーブルの周りには、9匹分の丸太の椅子が固定されている。おじいさんは、新しくぼくが座る丸太の椅子を作り、埋め込んでくれていた。
みんな集まって席につき、朝ごはんの支度ができた。
「手を合わせて。いただきまーす!」
「いただきまあーす!」
♢
青空の下、庭のテーブルで食べる朝ごはん。
ぼくは焼きたてのパンを手に取り、口に運ぶ。カリッとした食感の後に口の中にふんわり広がる味わい。スッと喉を通り、お腹を満たす。どんぐりの粉で作ったパンらしい。
かぼちゃのスープは、とろっとした食感がより素材の味を活かしている。飲み込めばすんなり体に馴染み、すぐにぽかぽかと温まってくる。野イチゴは、かじるとシュワッとした酸味が口の中を満たし、ぼくは思わず目をつむった。
食べた後には、心と体の両面から元気がみなぎってくる。
「ふふ、おいしいね!」
「さあ今日も新しい1日の、始まりだ!」
普段のぼくは、大学の講義が大体昼からなので、いつも寝坊して10時くらいに起きて、誰もいない薄暗い台所で、菓子パンを2個、パパッと食べてから慌ただしく家を出ていた。
毎日やってくる朝のひと時を、ぼくは全く味わわずに暮らしていたんだ。
「チップくんたちは、いつもみんなで朝ごはん作ってるの? 今日みたいに手分けして」
「そうだよ! マサシ兄ちゃんも手伝ってくれて、とっても楽しかったよ!」
食事の支度——。
母子家庭であるぼくの家族は、いつも母1人で食事を作っているが、その間ぼくも、1人いる弟も、母を手伝うことなくそれぞれ別々の部屋で、好きなように過ごしている。それでも母は文句は言わないし自由でいいんだけど、家族みんな揃わないのは、やっぱり少し寂しい気がしないでもない。
チップくんたちきょうだいは、ごはんもお風呂も、協力しながら準備や片付けをしている。それも楽しそうに。めんどくさそうにしてたり、誰かに言われて嫌々やってる子はいない。みんなすすんでお手伝いをするのは、束縛感がないからだろう。
「ごちそうさまでした!」
朝食後もまた、チップくんたちは手分けして後片付けを始めた。もちろんぼくも、すすんでお手伝いする。
「ぼく、食器持っていきます!」
「ありがとう。マサシ兄ちゃんのおかげで、片付けが早くすみそうね」
「いえいえ、みんなと一緒に手伝うの、とても楽しいですよ」
ねずみたちとぼくの、新しい1日が始まる。
♢
日が高く昇り、雲1つない空がどこまでも広がる。庭の丸いテーブルに座っていると、そよ風が時折、頬をなでてくれる。
「今日は、いい天気だね」
隣でチップくんは空を見上げ、伸びをしながらそう言った。ぼくも同じように、空を見上げながら返事する。
「ほんとだね。空気もおいしいね」
「マサシ兄ちゃん……。やっぱり帰っちゃうの?」
「うん、もっとチップくんたちと遊びたかったけど、やっぱりぼくの家族が心配しちゃうからね」
帰ると言ったものの、本当にちゃんと元の世界に戻れるんだろうか。
ぼくはひとまず、初めて来た野原へと向かうことにした。ゲームなんかでよく見かけるような、光に包まれたワープゾーンみたいな何かがあって、そこをくぐれば帰れたりするのかもしれない。絵本の世界だから、そんなこともあり得るだろう。
無事に帰れたなら、またもう一度絵本の世界に遊びに来たい。辛いことがあったりしたら、そのたびにねずみさんたちとたくさんお話して、ゆっくりと心も体もリフレッシュしたい。
「そっか……。もう、行っちゃうの?」
「そうだね……、ナッちゃんとお話ししたら行こうかな?」
「そうだったね。えへへ、昨日約束してたもんね。ナッちゃーん! マサシ兄ちゃんもうすぐ行っちゃうよー!」
ナッちゃんが全力で、ぼくの所に駆けてきた。
「マサシお兄ちゃん! まだ帰っちゃダメ! ナナとお話するの!」
「うん! 昨日約束したもんね」
「お兄ちゃん、今日も鬼ごっこしに行こうよ!」
嬉しそうに、ピョンピョン飛び跳ねるナッちゃん。もっともっと、一緒に遊びたいんだろうな。
「うーん、したいけど、もうすぐ行かなきゃいけないんだ」
「えー、もっとマサシお兄ちゃんと遊びたいよう」
「ごめんね。昨日はすごく楽しかったよ」
「やだあー!」
「また来るから、その時遊ぼうね」
「うん! 約束だよー? じゃあまた、ゆびきりげんまんしよ!」
「そうだね、2回目のゆびきりげんまん! ウソついたらはりせんぼんのーます!」
「のーます! ナナとの約束ね! ……あ、マサシ兄ちゃん、これあげるね!」
ナッちゃんは、草を編み合わせて作った首飾りを、ぼくの首にかけてくれた。黄色、オレンジ、赤の草の実が、所々にあしらわれている。
「ありがとう。作ってくれたんだ」
「マサシお兄ちゃんとの約束のしるしだからね!」
「じゃあ大切にするから。……じゃあ、そろそろ行くね」
「うん!」
ぼくは9ひきのねずみたちの家へと戻り、服を着替え、帰る支度をした。窓の外からは、小鳥の歌声と、子供のねずみたちのはしゃぐ声が聞こえる。
♢
「チップくん、そろそろ行くよ」
「わかった。じゃあ、みんな呼んでくるね」
玄関先に、9ひきみんな集まって来てくれている。ぼくは、深くお辞儀をして挨拶をした。
「お世話になりました。またこの世界に来れたら、是非寄らせてもらいます。ありがとう」
そう言うと、ねずみたちは1匹ずつ、一言メッセージをくれた。
「僕も楽しかったよ。次は一緒に野原探険に行こうね!」
ニコッと笑って、そう言うトーマスくん。
「気をつけて帰ってね。またおいしいお菓子作って待ってるわね」
モモちゃんも同じように、ニッコリ笑顔で言ってくれた。
「マサシ兄ちゃん、行っちゃやだ!」
ナッちゃんは、やっぱり寂しそう。目に涙を浮かべている。
「ほらミライくん、ばいばいって手を振ってあげて」
「ばいばい」
おかあさんに抱かれ、ちっちゃな手を振るミライくん。
「また、いつでも来てね。良かったらマサシくんのお友達も、連れてきてね」
おとうさんはそう言ってお辞儀をする。
「ほっほ、また会えるのを楽しみにしとるよ」
「ステキなお兄ちゃんね。これからも幸せを祈ってるわ」
おじいさん、おばあさんも、笑顔で送り出してくれた。
「マサシお兄ちゃん、きっとまた遊びにきてね。きっとだよ。また会えるよね?」
最後にチップくんが、ぼくの腕をぽんと叩いて尋ねた。
また会えるなんて、保証はない。もう、これでさよならかもしれない。でも。
「うん、きっとまた会えるよ!」
——そう、ぼくの部屋の本棚にある、表紙に群青色のキャップをかぶったねずみの子供が描かれた絵本を開けば——。
いつだって、会えるんだ。
「気をつけて帰ってね。元気でね、マサシくん」
「マサシ兄ちゃん! またねー!」
「ありがとう、皆さんもお元気でね。それじゃ、お世話になりました」
ぼくはもう一度お辞儀をしてから、野原へと向かった。
9ひきのねずみたちはみんな、手を振ってくれている。ぼくは時折後ろを振り向き、9ひきの姿を確かめつつ、野原の方角へと足を進めた。
そして9ひきのねずみたちは、岩陰に隠れて見えなくなってしまった。
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