優しい異世界に行った話

〜ねずみたちとの、まったりスローライフ〜
戸田 猫丸
戸田 猫丸

第3話

公開日時: 2021年11月1日(月) 19:36
文字数:2,848

 

「マサシくんが元の世界に帰る方法が、わかったんじゃよ」



 ずっと探し求めていた、元の世界へ帰る方法がついに分かった——。おじいさんの言葉に、ぼくはびっくりして聞き返した。



「え、ほんと⁉︎」


「ああ、ほんとじゃよ」



 少し、表情を曇らせながら答えるおじいさん。何故そんな悲しそうな顔をするんだろうか。



「その帰る方法って……?」


「その前にまず、わしが子供の頃に訪れた、不思議な客人について話そうかの。……わしのベッドの下に大切にしまわれていたご先祖様の書物を読んでいるうちに、全てを思い出したんじゃ」


「うん、是非聞いてみたい!」



 おじいさんはひと呼吸おくと、ゆったりとした口調で、子供の頃に出会った不思議な客人についての話を始めた。



「わしがまだ小さい小さい子供の頃のことじゃ。広間で遊んでおったら、見たことも会ったこともない誰かが、椅子に座ってお茶を飲んでおったんじゃ。……その姿は、とてもかしこまった服を着た、ニンゲンの男性じゃった」



 やはり、ぼく以外にも人間が、この世界に来ていたのか。



「その人間は、ぼくと似たような感じだった?」


「いんや、もっと歳をとっていたように思う。表情もとても疲れ果てていて、まるで生気を失っていた。目の輝きが全く無くて、とても怖かった」


「ふむ……」


「ほら、見ておくれ。この書物の最後のページ。〝夜にいつものように眠り、目が覚めたら、なぜか野原でねずみの子供たちに囲まれていた。何が起こったか分からない。どうやっても元の世界に帰ることが出来ない。初めはとても怖かった。しかし、この世界での体験は私の人生を変えた。温かく迎えてくれたねずみの皆様には心から感謝している〟これは、不思議な客人本人の筆じゃと思われる」


「まるでぼくと、同じだ……」



 おじいさんは真剣な眼差しで、話を続ける。



「ところがの、その客人はある日、何の前触れもなく突然去って行ったんじゃ。それからその客人とは、もう会うことはなかった」


「……その人は、自分の家に帰ったの?」


「この……、無事に帰ったはずじゃよ」



 どういうことだろう。一体この書物には、何が書かれているというのか。



「その書物に書かれていたことって?」


「〝ニンゲンが何故、この世界にやって来るかについて〟じゃ。マサシくんも、是非読んで欲しい」


「そ、そうだったんだ! ふむふむ……って、何て書いてあるかこれじゃ分からないよ」



 書物の内容を読もうとしたが、ミミズのような途切れ途切れの文字で、ぼくには全く解読できなかった。ぼくが首を傾げていると、おじいさんはゆっくりと音読し始めた。



「神の望みし世界はなんじが魂の望みし世界。れど、の望みに合わぬ世界をも創りし人の心は、歪みに満ちし世界をも創らん。すなわち自然の法則、人生の指針を見失い、苦しみを生む事を示すなり。人の心を取り戻し、自然に還る為、汝が魂、仮初かりそめの安らぎの世界へと旅立つなり。但し、其の期間は一四日也」


「えっと、……?」


「マサシくん、ここに来る前……とても苦しい思いをしていたんじゃないかな?」



 訳の分からない言葉の連続に、ぼくは頭の中が整理できないまま、おじいさんの質問に答える。



「た、確かにそうだったよ。この世界に来る前は、毎日不安だったり、自分のことが嫌いになったりして、ほんとに押し潰されそうで……。でもこの世界に来てからは、忘れていた自分らしさというか、生きる喜びを取り戻した感じがするよ。もう、何年振りかの感覚かもしれない」


「そうなんじゃ。マサシくんも自然の一員としての人間の生き方に目覚めるために、ここに呼ばれたんじゃ」


「そうだったんだ……」



 自然の一員としての生き方。それはきっと——自分を支えてくれる存在に感謝しつつ、やりたいことをのびのびやる生き方。ぼくはねずみの世界に来てそれを実感したし、この世界のねずみたちもみんな、そうやって生きているように見える。



「ニンゲンの世界、とても大変で生きにくい世界じゃったんじゃな。もうマサシくんは大事な家族じゃ。大変な事があったら、いつでもここにおいで……、と、言いたいところなんじゃが」



 言葉を詰まらせるおじいさん。ぼくは何となく察した。とても悲しい事実を、告げられることを。



「うん……」


「この書には、ここに呼ばれたニンゲンは、この世界に来てから14日が経つと、みんな去って行く、とある」


「じゃあ、ぼくももうすぐ……?」


「……ああ。そして一度この世界を去ると、んじゃよ……」


「え……」


「あの不思議な客人もおそらく、14日目に去って行ったんじゃろう。そして、再び会うこともなかった」



 ぼくは一瞬、頭が真っ白になる。? 嘘だろ? ぼくはこの世界に来て何日目かを、回らぬ頭で必死に思い返した。



「……ぼくがここに来て、今日で11日目だ」


「ということは、あと3日で、ここを去らねばならなくなる」



 突然に突きつけられた、悲しい宣告。ぼくはすがる思いで、おじいさんに聞いてみた。



「どうしても、どうしてもその日に帰らなきゃいけないの?」



 おじいさんは、再び書物を開き、ゆっくりとその内容を読み上げた。



「一四日目の夕刻、目に見ゆる神が西方に還る折、必ず三途河さんずがわ堤道つつみみちし。すれば再び人界じんかいへ辿り着かん。同時に安らぎの世界へのみちとざされん。神の望みは汝が魂の真の望み。再び人界にて、すこやかなる心身と愛ある友と共に、其の望みを顕現す可し」


「全く分からないよ……。どういうこと?」


「この世界に来てから14日目の夕方、日が沈むまでに、野原の向こうにある大きな川沿いの道を、夕日に向かって真っ直ぐ歩いて行くと、元の世界に帰ることができるんじゃ」


「日が沈むまでに、川沿いの道へ行かなきゃいけないの? どうしても? ぼく、みんなと永遠にお別れだなんて嫌だよ。何とかならないの?」



 涙があふれてくる。ぼくは必死におじいさんに訴えかけたが、おじいさんは再び書物の内容を無心に読み上げる。



「汝、其の選択を拒み、安らぎの世界へ逃げ安住あんじゅうせんとすなば、安らぎの世界は幻と滅し、人界にいての肉体もめっせん。汝が魂は次元の狭間にて、次なる生へ旅立たんとす。此れ即ち、汝、神に任されし使命をてんとす事と同義どうぎなりは、神の大いなる悲しみ也」


「ねえ、話を聞いてよ、おじいちゃん!」



 訳の分からない書物の内容を読み上げたおじいさんはしばらくうつむいていたが、やがてゆっくりと口を開いた。



「14日目の夕方、日が沈むまでに川沿いの道に行かなければ、わしらが住むこの世界は、ニンゲンの視界からは消えてなくなり、ニンゲンの世界でのニンゲンの肉体も消えてなくなる」


「……どういうこと?」


「つまり、、身体も現実世界から消えてなくなる……、ということじゃな……」


「……嘘だ。そんなのやだよ‼︎」



 ……つまり、14日目にこの世界を去らなければ——ぼくの命も、そこで終わってしまうということだ。

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