優しい異世界に行った話

〜ねずみたちとの、まったりスローライフ〜
戸田 猫丸
戸田 猫丸

第3章〜優しい異世界での生活〜

第1話

公開日時: 2021年9月1日(水) 15:13
文字数:3,327

 

 ぼくはスキップしながら、森の風が吹く小道を進んで行った。絵本の世界から出て、元の世界に帰れるかどうか分からない……そんな心配も忘れてしまうほど、ウキウキした気分だった。


 野原に着いた。誰もおらず、最初に来た時と同じ、青空の下にただただ緑色のじゅうたんが広がるだけの景色だ。さて、どうしたものか……。

 これが夢じゃないとしたなら——ほんとに元の世界に帰らなきゃ、一緒に住んでいる母も弟も心配しているに違いない。何とかして、帰る手段を見つけなければ。

 ぼくはふと思い立った。



「……よし! あそこでもう一度寝てみよう」



 初めてこの世界に来た時と全く同じ場所に、ぼくは体を横たえてみた。ここでもう一度眠れば、元の世界へと帰れるかも知れない。

 陽射しに包まれて、ぼくは微睡まどろんだ——。



 ♢



「ん、んーー……」



 目が覚め、思い切り伸びをする。目に映ったのは、橙に染まった夕焼け空だった。



「じゃあね、また明日ねー!」


「またねー!」



 遠くから聞こえる声の方に目をやると、ねずみの子供たちが遊び終わって家へ帰ろうとしているところだった。——ここは、ねずみたちが暮らす絵本の世界。やはり、元の世界に帰ることはできなかった。



「あ、マサシ兄ちゃんだ。マサシ兄ちゃーーん!」



 チップくんの声。ぼくは水筒の水を一口飲んで目を覚ます。



「マサシ兄ちゃん! こんな所でどうしたの?」


「ずっとお昼寝してたのー?」


「……チップくん。ナッちゃんも」



 ぼくは帰り方が分からず困っているのをごまかすために少し笑ってみせたが、チップくんには、ぼくの今の状況がすぐに分かってしまったようだ。



「やっぱりおうち、見つからないんだね……?」


「うん……そうなんだ……」



 さすがに少し不安になる。このままずっと、元の世界に帰れなかったらどうしよう。ねずみたちが暮らす絵本の世界は大好きだけど、もう家族とも友達とも会えなくなってしまうのは、やっぱり嫌だ。

 作り笑顔もすぐに持たなくなってしまい、ぼくは俯いた。すると、チップくんが口を開く。



「じゃあ……、マサシ兄ちゃん、もう一度うちに来る?」


「え、また来てくれるの⁉︎ わあい、マサシお兄ちゃんとまた遊べるんだね!」



 ナッちゃんはそう言ってピョンピョン飛び回る。



「こら、ナッちゃん。……ねえ、このままだとマサシ兄ちゃん風邪引いちゃうから、おいでよ」



 心配そうにぼくの顔を見上げるチップくん。その目を見ていたら、断るという選択が出来なくなってしまった。

 まあ、このまま何も手がかりがないままうろついていても仕方がないし。お腹も空いて来たし。



「……うん、じゃあそうさせてもらうよ。ごめんね」


「いいよいいよ! いまおいしいごはん作ってるからさ。暗くなる前に行こ!」



 もしチップくんたちが声をかけてくれなかったら、今まさにじわじわと訪れる宵闇のように、少しずつ膨らむ不安でどうにかしてしまっていたかもしれない。

 こうしてぼくは、もう一度9ひきのねずみの家族に、お世話になることになった。



 ♢



「ただいまー! マサシ兄ちゃんまた来てくれたよ! おかあさーん!」



 再びぼくは、大きなコナラの木の家の玄関の扉をくぐった。

 玄関先でチップくんがおかあさんを呼ぶと、エプロン姿のねずみのおかあさんが、台所から顔を見せた。



「おかえり。あら、マサシくん。……やっぱり、おうち見つからなかったの……?」


「うん……」



 ぼくは申し訳なくなり、うつむいた。

 それでもねずみのおかあさんは、ニコッと笑顔を見せてくれた。



「そうなの……。じゃあ、今日からうちで一緒に生活しましょ。ね、マサシくん。今日からうちの家族ね」


「え、そんな……」


「ふふ、決まりね。お家はまた、ゆっくり探せばいいから。今日はゆっくり休んでね」


「……ありがとう。じゃあ、よろしくお願いします」


「ええ。よろしくね」



 今日からぼくは、ねずみの家族の一員だ。

 ぼくを歓迎するように、木の匂いがほんのりぼくを包み込む。嬉しさで胸いっぱいになり、家に帰れるかどうかの心配は瞬く間に吹き飛んでしまった。



「夕ごはんできるから、ゆっくりしててね」


「あっ、手伝いますよ」


「あら、ありがとう。でもたくさん歩いたでしょうから、ゆっくりしてくれて大丈夫よ。あっ、お風呂沸いてるから、入ってきてね」


「はい、ありがとうございます!」



 おかあさんの言葉に甘えて、ぼくはお風呂に入らせてもらうことにした。チップくんたちは昨日と同じように、夕ごはん作りを手伝っている。時折聞こえるトントンと野菜を刻む音、コトコトと煮込む音。ぼくはねずみたちの料理を楽しみにしながら、お風呂場へ向かった。



 ♢



 お風呂を上がり広間に戻ると、ミネストローネのような匂いがほんのり漂ってくる。

 長方形のテーブルの上には、根菜のスープと葉物の生野菜サラダが並ぶ。ねずみのきょうだいたちが順次、席につき始める。



「マサシ兄ちゃん、しばらく一緒に暮らすんだね。おかあさんから聞いたよ。マサシ兄ちゃんの家が見つかるまで、よろしくね。僕らはいつでも一緒だよ!」



 ぼくはチップくんと話しながら、手を洗いに行った。



「ありがとう、チップくん。また今日からよろしくね」


「うん! 明日またみんなで一緒に遊ぼうよ!」


「そうだね! 楽しみにしてるよ」



 全員が席についたのを確かめ、ねずみのおとうさんは食前の号令をかける。



「手を合わせて。いただきまーす」


「いただきまあーす!」



 ♢



 夕食をいただきながら、ぼくは9ひきのねずみの家族みんなに、ここで一緒に生活させてもらうことを話した。

 おじいさん、おばあさん、おとうさんも、新しい〝家族〟が増えたことを喜んでくれた。



「マサシくん、今日からよろしくね。みんなで遠足に行ったり、お月見台を作ったり、山へ美味しいものを採りに行ったり、川へ洗濯に行ったり、ぼくらの生活、とっても楽しいよ」


「マサシ兄ちゃんも、また一緒にごはん作ろうね」


「皆さん、改めてよろしくお願いします。是非手伝わせてください」



 コナラの森のねずみたちとの暮らし。これからどんな生活が待っているんだろう。ぼくは9ひきのねずみたちと語り合いながら、期待に胸を膨らませていた。——元の世界のことは、もう頭の中には微塵みじんも無かった。



「はい、これマサシ兄ちゃんのパジャマだよ」


「チップくん、ありがとう。ふふ、パジャマなんて小学生ぶりに着るよ」


「え、いつも何着て寝てるの?」


「着古したパーカーとかジャージとかかな」


「へんなのー」


「ええー、そうかなー……」



 今夜もおかあさんは、ミライくんたちに絵本を読み聞かせている。ぼくも一緒に聴かせてもらっていた時、ボフッと何かが背中に当たった。



「あはは、当たったー!」



 ナッちゃんが言う。当たったのは枕だった。



「わっ! ……あはは、ナッちゃんは元気だなあ」


「今日はあたしのとこ来てよー、マサシ兄ちゃん」


「そうだね。じゃあ、たくさんお話しようか」


「やったあー!」



 ナッちゃんはご機嫌だ。ぼくが一緒に生活することになって、喜んでいるのだろう。

 パジャマに着替えたぼくは、2階の真ん中にあるナッちゃんのベッドに入れてもらった。すぐにナッちゃんは、ぼくの腕をぎゅっと抱きしめた。



「つきが みている もりのなか♪よいこは おやすみ いいゆめを♪……」



 絵本の読み聞かせが終わり、おかあさんは隣のミライくんのベッドで、昨日と同じこもりうたを歌っている。ミライくんはすぐに、すやすやと眠りについた。

 それを見届けると、ぼくは腕にしがみついたままのナッちゃんに話しかけた。



「ナッちゃん、何話そう?」


「えーと……ねえ、むにゃむにゃ……」


「ナッちゃん?」



 あれだけぼくとお話ししたがってたのに、ナッちゃんもすぐに眠りに落ちてしまった。今日もチップくんたちとたくさん遊んで、くたびれていたのだろう。

 その様子を見たおかあさんが、ぼくの方に来て話しかける。



「ふふ、マサシくんもこもりうた聴いて寝る?」


「え、うん……じゃあお願いします」



 おかあさんはぼくの腕のあたりをトントンとしながら、さっきと同じこもりうたを歌ってくれた。——4、5歳の頃に、母や祖母にこもりうたを歌ってもらいながら眠りについた時の感覚が思い出され、重なる。同時に、その当時の友達の顔、遊んでいたおもちゃ、好きだったおやつなどが、次々と浮かびよみがえってくる——。

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