家に帰るとすぐ、徹夜明けで寝ていた春斗を叩き起こした。
「春斗、秋仁さんに何をした?」
「…ん?」
ぼんやりと寝ぼけている春斗の胸倉を掴む。
「氷川秋仁。あのひとは誰?あんたの仕業だろ」
春斗は電子空間展開技術における最高技術者のひとりだ。
春斗が一介の選手兼技術者から、天才的な技術者として世界的に認知されるようになった理由は、視覚補正プログラムの構築を成功させたから。
電子空間上で視覚情報を変更することは難しく、短時間髪色を変更する程度なら可能だが、人間まるっと視覚情報を変更するなんて本来不可能。
しかし、春斗は生まれつき弱視であった左目の補助として『視覚補助プログラム』を作り上げた。
この技術は長時間利用することが出来、全く視力を持たない人間が光を見る事が出来るようになるという革命でもあった。
春斗なら、隠しているだけで仮想的な体(アバター)を作成するとかも可能なのではないかと思ったのだ。
鳴沢秋仁は富士宮春斗のひとつ下の後輩にあたり、元チームメイトでもある。
通常、そんなことはあり得ないと考える事すらしないだろう。
僕もそんな馬鹿げた事は普段なら想像もしない。
人間の電子データを疑似的に成長した外見に書き換えるなんてこと、夢物語すぎるのだ。
それでも、今まで真冬さんと交流があったのに一切その人間の存在を知らなかった事は明らかにおかしい。
二年生の氷川秋仁という学籍は存在する。
学校を出る前に確認したところ、鳴沢秋仁という人間の学籍も同時に存在していた。
学籍は偽造登録することは不可能で、生徒側からどうこうできるものではない。
そんなことが出来るのは管理側の人間しかいない。
鳴沢秋仁と交流があり、現在管理側に居て、そういった事がひょっとすると可能かもしれない人間は春斗以外にいないだろうという結論に至ったのだ。
春斗は暫く何かを考えていたが「氷川秋仁は、秋仁の本名じゃないか。鳴沢は旧姓だぞ」何故知らないのかといった顔をした。
「どういう…こと?」
「流石に俺でも他人を疑似成長させるなんてプログラムは創れないし、秋仁が氷川秋仁として入学したのは俺が在学中だ」
「あんたの仕業じゃない、ってこと?」
「本人に聞けばいい。何で秋仁が夏樹にそのことを隠してたかは予想はつくけどな」
「……そう。起こしてごめんね」
「別に気にしてないさ」
僕は、春斗の部屋を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌日の個人指導の時間。
大分僕の電子装備の展開が安定してきたこともあり、もう生徒会の雑用はしていない。
先輩は時々休憩と称して優雅にアフタヌーンを楽しむ事があり、僕も一緒に高そうな紅茶だと思っていたら本当に高かった紅茶を頂いている。
なんとなく、桜川先輩も二年生だ。『氷川秋仁』という人間について何か知ってるのではと思い、聞いてみた。
「いや……俺はAクラスだから、Bクラスの事はあまり……」
先輩の反応からすると、何かを隠しているという事は無さそうだ。
「それなら、同じ生徒が別に学籍を持つ事って出来ますか?」
桜川先輩は腕組をして暫く考えたあと「学年とクラスが違えば、不可能ではないかもしれない」自信なさそうではあるものの、何やら紙にメモを取り始める。
「例えば、AクラスやSクラスの1年とBクラスの1年では、授業内容が全般的に違うだろう?」
「はい。Aクラスは実践を中心に置いてますし」
「鳴沢先輩の場合、俺や氷川さんと同じ《特別待遇学生》ではなく、《特別待遇優等学生》っていう特殊な枠で入学してるはずなんだ」
「え、そうなんです?」
「生徒会の資料で軽く読んだだけだから、うろ覚えなんだが《特別待遇優等学生》の入学条件は鳴沢先輩しか満たせないもので、鳴沢先輩のために用意された学籍といっていいもののはずなんだ。だから、一般生徒と学籍のデータが別に存在している可能性は高い」
「それでも、試験は避けられないですよね」
「いや……まず、《特別待遇優等学生》はクラス測定に関わる試験以外は全て免除されていたし、この学園はSクラスとAクラスの試験が終わった後でBクラスの試験が始まるから──」
桜川先輩が言い切る前に、優雅な庭先に設定された電子空間へ生徒が二人転送されてきた。
転送されてきたのは『鳴沢秋仁』と、その怪物へ個人指導を頼んだ僕の悪友、大泉尭音。
幼く可愛らしい顔の頬を膨らませ、怪物はぐいぐい近寄ってくる。
「もう少し混乱してくれてもよくない?1年もかけて準備したのに」
「十分混乱してますよ、秋仁さん」
「そう?それなら少し成功、かな?」
悪戯っ子の笑顔を浮かべた彼は「さいじゃー、えいっと」指を軽く鳴らす。
一瞬で光のノイズに包まれ、光の塊は大きくなる。そしてそれはすぐに収まった。
目の前に、昨日出会った『氷川秋仁』がいた。
「秋仁さん、それ…何?」
「わかんないけど、便利でしょ?オンオフを春斗さんにお願いしたんだけど、『鳴沢秋仁』だと不便な事は多いし、中々使えるんだよね」
「……尭音は知ってたの?」
一歩離れた場所から、にこにこと楽しそうな悪友を見る。
「いんや、俺も今日知った。あと、お前と鳴沢先輩が二歳差の幼馴染って事も今日知った」
「あ、そう」
この人は何がしたかったんだろう、と頭を抱えつつ『秋仁さん』の様子を観察する。
秋仁さんは状況が呑み込め切れていない桜川先輩にちょっかいをかけていた。
「どーも、桜川君。やっぱり君はフロンティアのリーダーなだけはあるね。すぐ見破られちゃった」
「えっと……鳴沢先輩って呼んだ方が良いでしょうか?」
「ううん。一応同級生なんだから秋仁で構わないよ。というか、一応学外には別人に見られてるからそうしてくれたほうがありがたいかも」
「わ、わかりました…秋仁?」
「敬語もなんか変だからやめてね。あ、こっちも霞って呼んじゃおーっと」
────なんだか、とても楽しそうだ。
「秋仁さん、もしかして友達いないでしょ」
僕がなんとなく訊ねると、秋仁さんの動きがぴたりと止まった。
「い、いるよ。いる!三年のほうにはいるからちゃんと!大介(だいすけ)とか和喜(かずき)とか、拓(たく)とか義弘(よしひろ)とか…」
「二年のほうには?」
「は、遙…くらいかな………BクラスだとAクラスやSクラスの人とあまり会わないから…」
「別にBクラスの人でいいんだけど」
「…………」
「いないんだ……」
「し、仕方ないでしょ?教養は家庭教師と通信講座で全て終えてるけど、今まで学校に通った事がないんだから!友達の、つくり方なんて…」
秋仁さんは頬を膨らませ、そっぽを向いた。
今まで思考停止していたのであろう桜川先輩が突然「もしかして、俺の個人指導を蹴ったのって同級生だったからか?!」身を乗り出し、秋仁さんへ質問をぶつける。
「あ、うん……一応、体はひとつですし『氷川秋仁』は授業だったし。だから大介に担当してもらって、『氷川秋仁』の都合がいい時に乱入してた……」
「なん…だ、それ……俺、てっきり嫌われてるのかと……」
「そんなことないよ。凄く、凄く…申し訳ないと思ってたし、霞の事は頑張り屋さんだから好き…かな」
もじもじしながら答えている幼馴染はどこか嬉しそうで、どこか恥ずかしそうだった。
何故、この人が別人として入学したのかなんて聞くまでもない気がした。
最初は学ぶ事など何もないつもりで『鳴沢秋仁』という偶像として望まれるように入学したのだろう。
そして、在学する中で何か心境の変化があったのだろう。
電子戦争の登録名はその時点での戸籍上の名前で登録される。もし相違しているのであれば、それは『登録した後に戸籍が変わった』という証拠になる。
登録名変更は有名な選手程難しく、また変更する義務も存在しない。
それを利用して、電子戦争の登録名ではない『氷川秋仁』という戸籍上での本名で入学しなおした、のだと思う。
誰かに求められた偶像や虚像ではなく、ひとりの人間として存在していたかったのではないだろうか。
なんて、考え過ぎなのかもしれない。また彼の、ただのお遊びかもしれない。
けれど。これは彼にとって遊びではない、そんな気がした。
疑似成長のプログラムそのものは誰が作ったのかという疑問は残るが、本人も何処から来たのかわからないとのことなので真相は闇の中というものだろう。
あくまで、春斗には疑似成長のプログラムを有効・無効にするプログラムを作ってもらっただけなのだという。
解析も同時にしたところ未知の言語でもあるそうで一切理解できず、有効化と無効化も偶然できたものらしい。
そんなこんなで、今日の個人指導の残り時間はすべて雑談で終わってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
放課後。ホームルームが終わるとすぐ、とある教室へ向かう。
秋仁さんが唯一、二年生での友達だと言った相手に用事があった。
『氷川秋仁』が『鳴沢秋仁』であることに、気づかれているかを知りたいのだという。
全く、趣味の悪い幼馴染だ。
「……あれ?どうしたの?一年生はまだ、部活動は始まってないよな?」
彼──常葉遙先輩は、突然の来客に驚きながらも笑顔を作った。他の生徒はまだ来ていないようだ。
現在一年生は入部申請が通ってはいても正式に入部しているというわけではない。
「えっと、見学に……きました」
「そっか、いらっしゃい。富士宮君が一番乗りだ」
先輩は嬉しそうに楽器ケースから道具を取り出している。
ずっとギターだと思っていたのだけれど、先輩の楽器はベースというものらしい。全く見分けがつかない。
「あ、そうだ。君が体験入部に来てくれたとき。俺、体調崩して早退してたんだ。良かったら演奏を聞かせてくれないか?」
「それは構いませんけど……」
「何かまずかった?」
「いえ、先輩は聞かないんですね、富士宮春斗の弟なのか、って」
先輩の動きが止まった。じっと僕を見ている。
初めて会った時も思ったが、この先輩の視線は少しだけ独特で、右目からの視線が無機質なものに感じられる。
それに、明るく優しい先輩のようにみえるのだが"表情を作り出している"という印象も受ける。
彼が何を考えているか、全く分からない。
もしかすると、桜川先輩が言っていた幼馴染とはこの人の事ではなかろうか。
かなりの時間凝視された後、先輩の一言に衝撃を受けた。
「そういえば、苗字同じだねぇ……」
「気づいてなかったのか……」
電子装備持ちは血が近ければ近いほど、髪の色や瞳の色が似る傾向が強い。
鮮やかな橙色に黄緑色の瞳という組み合わせは比較的珍しい組み合わせなのだが、どうやら名前を知っても気づいていなかったようだ。
この調子だと秋仁さんの事も気づいていないだろうな。
「え、あ、ごめん。俺、そういうの疎くて。誰々の弟とか、友達とか、よくわからなくて…えっと……どうすればいい?」
おろおろとする先輩を見ていたら、思わず笑ってしまった。
「お任せします。でも、僕は富士宮夏樹であって富士宮春斗ではありません」
「そりゃ別人でしょ。春斗さんが二人も居る訳ないじゃないし」
「それもそうですね」
この先輩が何故、二年生でありながら一番人気の部活の部長なのか、理由が分かった気がする。
首をかしげる先輩のために、ピアノの前に座った。
"富士宮春斗の弟"ではなく、僕──富士宮夏樹の弾いたピアノの音は、放課後の校舎に薄く溶けて消えていった。
一曲弾き終えるころには、軽音楽部の先輩が数人、教室の片隅で立ち聞きしていた。
常葉先輩は暫く何かを考えているようだったが「富士宮君は、電子戦争の団体戦はどこに所属するんだ?」突然電子戦争の話をする。
部活と何の関係があるのかと一瞬思ったが、電子戦争団体戦はクラスメイトや仲良し同士で三人~六人程度のチームを組んで参加するもの。
勿論、部活動の集まりというチームも存在する。
「僕は──『花鳥風月』に加入します。どうも誘われているようなので」
「……だよな。氷川さんから聞いてる」
そういえば、常葉先輩と真冬さんはクラスメイトなんだっけ。
「花鳥風月のリーダーは……あいつか………」
大きなため息をつきながら、常葉先輩が頭を抱えた。
僕の選択でこの先輩にどんな災いが降りかかるのか。僕はまだ知る由もなかった。
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