電子戦争の個人指導。
その時間は生徒二人が自由に使える時間。
初日こそ全員同室ではあったが、それ以降は自由に空き教室や空きルーム、初日の大部屋を申請さえすれば自由に扱っていい事になっていた。
勿論それは、生徒が所属する部活動の教室も使用されていなければ利用可能な訳で。
「それで、体験入部に行くのかい?」
桜川(さくらがわ)先輩がノートに大量に積まれた紙の内容をさらさらと書き写しつつ訊ねてきた。
いつ見ても印字されたように綺麗な文字を書けるのは羨ましい。
「いえ…まだ考えています」
「体験なんだから気軽に行けば良いと思うぞ」
先輩は生徒会の仕事をしている。
僕もホチキス留めをするとか、そういった雑務を手伝いながら他に誰もいない生徒会室で時間を過ごす。
本来であれば部活動に似た扱いの生徒会の仕事はできないらしいが、どうも昨日の授業の後から僕の電子装備が展開出来たりできなかったりと不調で、建前上は気分転換として特別に活動許可が降りた。
度々会話はするものの、基本的に静かな部屋にノックの音が響く。
先輩が返事をすると 扉を開けて生徒が入って──
「霞(かすみ)、ちょっと聞きたいことが……あれ、君は」
何故かこの先輩と縁があるなぁと思う。
「よくお会いしますね、常葉(ときわ)先輩」
なんだ知り合いなのかと笑う桜川先輩に、出会った時の話をすると一瞬で笑顔が消えた。
桜川先輩が何かを言い出す前に常葉先輩が口を開く。
「そんなことより霞、クラスの電子空間拡張申請の書類、お前まだ持ってるだろ?長坂(ながさか)と氷川(ひかわ)さんがお前のだけ無いって困ってたぞ」
決まりが悪そうに桜川先輩は「……署名した奴、俺の机の中にあるから持って行ってくれ」生徒会の仕事を再開した。
「了解。邪魔して悪い。富士宮(ふじのみや)君もごめんな。あと…それから、大変だろうけど、頑張って──」
今度は退室しようとする常葉先輩の言葉を桜川先輩が遮る。
「そういや遙、お前電子装備展開できなくなることかなり多いよな。どうやってまた展開出来るようになってるんだ?」
ぽやんと頭にハテナを浮かべる常葉先輩。
桜川先輩は少し困ったような顔をしたあと「電子装備 展開不調 回復法」検索時の語句のように単語だけを並べた。
中々奇妙なやり取りではあるが「……俺は電子装備持ちになったときの記憶が無いからあまり参考にならないと思う」常葉先輩には通じたらしい。
電子装備持ちになった瞬間というのは電子装備持ちにとっては感情の変化があった時ともいえる。
そう簡単には忘れられるものでは無いし忘れたら展開出来るものでは無いはずなのだが。
電子装備とは電子装備持ちになった瞬間を再現、または追憶する事で展開し、扱えるもの。
だからこそトラウマ的感情で電子装備を獲得した人間の精神は、じわじわと侵食されてゆくし、展開も不安定なことが多い。
電子戦争をする上で不安定な感情を核とした電子装備は一種の欠陥。まず電子戦争の選手は目指せない。
選手になりたいと志望する人間の核とする感情は誰かを救いたいとか、何かをなしとげたいといった前向きで素敵なものばかり。
──素敵な感情を形にして、殺し合いをするのだからこの競技考案者は大変捻くれ者なのだと思う。
常葉先輩は僕と桜川先輩を交互に見つめた後、深呼吸をすると 「………俺は電子装備を獲得した瞬間を覚えていないけれど、何となくは想像がつくんだ」悲しそうに笑った。
「想像、ですか?」
「そう。全く同じ感情ではなくても、展開できるのかもしれないな」
それだけ言うと、常葉先輩は生徒会室から出ていった。
また、教室には僕と桜川先輩のふたりだけになる。
淡々と仕事をこなす桜川先輩とは真逆、僕は常葉先輩の悲しそうな顔が頭から離れず作業も覚束無い。
「富士宮君、君は何を思って電子装備を手に入れたんだい?」
電子装備持ちはなろうと思ってなれるものでは無いし、なる時の性質を選べる訳でも無い。
僕の性質、感情は皆と違って暗いもの。常葉先輩が話してくれた感情とはまた違う。それこそ、忌むべきもの。
言葉が出てこない。僕は、他人に嫌われるこの感情でできた電子装備が嫌いだ。
桜川先輩にはお見通しだったのだろう。
「答えられない、という事はあまり人には話せない感情って事かな。例えば、お兄さんに対する嫉妬とか」
「──っ!」
手に持っていたホチキスが床に落ちた音がした。
桜川先輩は動揺する僕の頭を軽く撫でると「大丈夫。言わないよ」優しく微笑んだ。
「誰でも嫌われるのは嫌だろう。皆から好かれたいとは思わなくとも、敵意を向けられたくないと思うのは当然だ。もし、それが誰からも好かれる人間に向けた、受け入れ難い感情であるなら──当然だと思うぜ。ちなみに俺は富士宮(ふじのみや)先輩のことは苦手だから仲間だな」
突然の告白に頭がついてゆかず、呆然とする。
「……なんか今、すごいカミングアウトされました?」
「初めて会った時の富士宮君と同じ状態だった、とは話したよな」
初めて会った時。オリエンテーションと称した上級生からの洗礼のことだろう。
「大泉(おおいずみ)君のように戦闘を申し込んだのが俺で、その場から離脱まではしなかったが非戦闘を貫いて生き残ったのが遙だ」
「それとなんの関係が…?」
いまいち意図が掴めなかったが「富士宮先輩が負けず嫌いで、後輩に負けたことを気にするひとだったら?」桜川先輩の言葉でやっと理解した。
「何度も戦闘を申し込まれたんですね……」
身内が申し訳ないと頭を下げると、下げる必要は無いと言われた。
「君は富士宮(ふじのみや)夏樹(なつき)で、富士宮(ふじのみや)春斗(はると)先輩ではないだろう」
「それは、そうですけど」
いつも春斗のおまけとして扱われていた自分の気持ちのどこかに、桜川先輩の言葉が染みていく。
──桜川先輩は、富士宮春斗の弟ではなく、富士宮夏樹を見てくれている。そのことを理解するのには、時間はかからなかった。
「……桜川先輩は、どうして僕の指導を引き受けてくれたんですか?自分の状況に似ていたから?」
「何故だと思う?」
僕は春斗のスペアで、型落ち品で、引き立て役。
どこに行っても『富士宮春斗の弟』という言葉がついてきた。
ここでも、そういうものだと思っていたのに。
僕の電子装備が珍しいといわれる幻想格だからとか、そういった理由であれば、まだ納得がいく。
けれど、この先輩は僕だけを見ている。『富士宮春斗の弟』でも、『富士宮家の次男』でもなく、『富士宮夏樹』をみている。
「僕には分かりません」
「少なくとも俺は、富士宮夏樹という人間に対して興味を持っただけだ」
先輩が、どうして僕に興味を持ったのか、わからない。
最後に考えられるのは──年頃の男子学生にしては多少小柄で中性的な外見か?
先輩はそれ以上何も言わず、生徒会の仕事を再開し──
「……僕は春斗と違って同性は恋愛対象では無いのですが」
「待ってくれ。そういう意味じゃないんだが、……え?」
混乱と共に、すぐに中止した。
「富士宮先輩……が、同性…え?」
桜川先輩の動揺する姿を見て気が付いた。春斗は学校で交際を隠していたのか。
数秒だけ罪悪感を感じた後、僕の中でその件はどうでも良い事へ分類された。
「富士宮君、ひとつだけ言っておく。俺の好きな子は女の子だからな…?」
先輩の字が若干震えていた。
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