軽音楽部の体験入部の日。
希望の楽器はあるかと聞かれ、唯一弾ける楽器を指さす。
どれくらい弾けるのか訊ねられ、なんなら弾いてみてもいいという言質をとると、その楽器の前に置かれた椅子に座った。
説明するのは難しいが、見せてくれというなら簡単だ。
彩乃(あやの)は予想通りという顔をしていたし、尭音(たかね)はなんでその楽器なのかと目を丸くしていた。
新入生の希望は大体ギターの様に目立つ楽器へと偏る。
なんとなく、演奏会で軽音楽部と吹奏楽部が演奏した曲を、多少その楽器に合うようアレンジしながら弾いてゆく。
打楽器と間違われやすい弦楽器の音が教室に響くと、ほかの生徒の出す音が消えた。
弾き終わると、しんと静まり返った部屋に拍手が沸く。
鳴り止まない拍手の中で行動出来ずにいると「流石夏樹です!」彩乃が抱きついてきた。
いつも思うが、彩乃には僕の行動不能(スタン)を解除してくれる効果がある気がする。
立ち上がり、先輩方にお辞儀をした。
「流石富士宮先輩の弟さんね!」
とある先輩の口から出た言葉が、ずきりと突き刺さる。
やっぱり僕は──「いいえ、春斗さんではなく夏樹だからできるんです!あの優男とは違います!」暗くなりかけた僕の世界を彩乃の声が明るく照らす。
どうして、彼女はいつもこうなのか。
「ありがと、彩乃」
流れそうになった涙を堪えながら、彩乃の手を強く握り「このままコウノトリが私達の赤ちゃんを運んできてくれたら良いんですけど」「それはちょっと…」ぱっと離した。
どうして、彼女はいつもこうなのか。
茶々を入れる悪友を肘鉄で黙らせ、ピアノから離れた。
その日は軽く他の弦楽器を触らせてもらい、尭音や彩乃に鍵盤のある物以外はてんでダメだと笑われて体験入部は終わった。
ちなみに尭音は全ての楽器をそれなりに弾くことができるようだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
軽音楽部の体験入部は希望者が多いせいで1人1回と決められている。
どこでどう脚色されたのかピアノが天才的に上手い新入生がいるなんて噂が広まってしまったらしく、吹奏楽部からも体験入部に来ないかと誘われたが、やんわりと遠慮した。
個別指導の時間。今日も桜川(さくらがわ)先輩と一緒に書類整理をしていた。
「軽音楽部に入りたいって言えばいいんじゃないか?」
指摘され、別に入りたいとかではないと首を横に振るものの、本当にそうかと考えると答えが出ない。
「僕は成し遂げたいことがある訳でも無いんです。あそこは僕が参加するべきでは無いと思って」
先輩は暫く手を止めて、何かを考えていた。
他の皆は何かをやりたいとか目的があって入部希望をする。僕は特にそういったことはなく、何となくで申請することになるのだ。
きっとあの、行動力に満ち溢れた部活動は僕に合わない。
最後の書類の端をホチキスで留め、顔を上げると桜川先輩と目が合う。
「富士宮君、きみは何のために電子戦争の選手になろうと思ったんだい?」
「僕が選手を目指した理由……」
兄の姿を見てきたからという話をしていた筈だが、そんな建前は見抜かれている様子。やはりこの先輩は非常に勘が鋭い。
本当に、何か超能力のようなものを持っているのではないだろうか?
「君は幻想格だから、電子戦争の選手という道に進むしかなかったんじゃないのかい」
「やめてください」
思わず、先輩の話を遮った。
「僕は確かに幻想格の電子装備持ちです。でも、他の人たちと同じ様に第三段階まで展開出来ないし、実力もAクラスが精一杯なんです」
周りは皆、勝手に期待して、勝手に落胆して、勝手に罵っていく。
何の役にも立たない特技は、同じ特技を持った人間の前では負けてしまう。
「桜川先輩も、僕の電子装備が幻想格だから手元に置いておきたかっただけなんでしょう?」
どうせ僕なんて、大した価値はなくて。
どうせ僕なんて、生きている意味もない。
他人に語れる目標も、成し遂げたいこともない。
この感情を先輩にぶつけるのは間違っている。それくらい分かっている。それでも、それでも。
──輝いている人間が、憎い。
見当違いの場所への向けられる感情。
分かっていても、妬まずにはいられない。
分かっていても、止められない。
なんでも出来て、誰からも好かれる春斗が羨ましくて。
電子装備を手に入れた時、春斗にやっと勝ったと思った。
けれど、いざ春斗が同じ舞台に立てば僕なんて勝ち目がないものだった。
どう頑張っても、春斗には勝てない。
幻想格同士で比べれば見劣りするものでも、幻想格の電子装備というのは例外なく強力なお陰で、上位勢といわれる《Aクラス》に滑り込む事が出来た。
でも、それだけ。それ以上は望めない。
「良いですね。恵まれた人は、なんでも出来るんだから」
「そうかな」
桜川先輩の声が酷く冷たく感じる。書類に視線を落とす姿は何処か少し寂しそうに見えた。
「お世辞にも恵まれたとはいえない奴が、すぐ隣で、夢中で、必死で、人生を楽しんでるのを小さい頃から見てたせいかな。夢中になれることがあるなら、それだけで入部する理由にはなるんじゃないか?」
「それは──」
「俺は、夢中になれる事もなにもない、空っぽの人間なんだ。何かやろうとすれば、すぐにできてしまう。だからこそ、何にも興味が湧かない」
かたりと音をたて、先輩がペンを机に置いた。
「富士宮君。きみは夢中になれることがあるのに、わざわざ辞めてしまうのかい?」
「そういう訳ではないんです。でも……」
僕が言葉に詰まっていると、先輩ははっきり、はっきりと言った。
「君は富士宮春斗ではなく、富士宮夏樹だろう?」
当然の事ではある。
僕がどれだけ頑張っても、富士宮春斗にはなれない。それは能力的なものという意味でもあるし、別の人間でもあるからだ。
「同じ分野で競うなら簡単に優劣はつけれるとは思うが、その為に君が何かを我慢して、合わせる必要は無いんじゃないか?」
「…………別に、我慢はしていません。電子戦争だって、僕が自分で選んだんです。でも、今はただ、分からないんです。僕が何をしたいのか」
「何をしたいのかは、既に分かっているんじゃないか?ただ、君が富士宮春斗になろうとしているだけで」
先輩の言葉で、ようやく気がついた。
春斗と比べられる事に慣れすぎて、春斗に少しでも近付けるように努力している自分に。
出来る限り、差が開かないように、あとを追いかけているだけに過ぎないことに。
──僕は、自分で選んでおきながら春斗の模倣をしていただけ?
僕は、楽しいと思えることを兄の影響を受けずにやりたい。
それは、僕が富士宮春斗の模倣ではなく、富士宮夏樹であるから。
僕を、富士宮夏樹を見てくれる人が居るのであれば話は単純なのだろう。
何を思って彼が学園を職場として居残っているのかも分からないし、それが僕という存在の監視であるなら今の状況は最悪の状況だとは理解している。
それでも、それでも──
「僕は、ピアノを弾きたかったんでしょうか?」
「いや、俺に聞かれても」
先輩はにこりと笑って、ペンを再び手に取ると「入部届、ここで書いてもいいぞ」僕に渡してきた。
「…………ありがとうございます」
電子化した保管庫(ストレージ)から、1枚の紙を引っ張り出し、部屋の隅にあった書類用の電子交換端末で電子化前の状態に戻す──質量化させた。
所属クラスと学年、名前に希望する部活を記入してゆく。
「入部理由……」
暫く悩んで書き込んだ内容は、人気ナンバーワンの部活へ送るには到底弱い理由だった。
桜川先輩は何故か笑いを堪えているようだった。そこまで変な内容は書いてないと思うのだけど。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
軽音楽部の部室には毎日届く入部届を、ひとつひとつ丁寧に読んでいく男子生徒が一人、その周りで男子生徒に仕事を全て押し付け談笑する女子生徒が数人いた。
「今年は凄く上手い子が来てたね」
「あの子凄くなかった?ピアノの子」
「天才じゃないかって言われてる子よね?」
「この子じゃない?」
雑談をしていた生徒が、黙々と書類に目を通していた男子生徒に書類を渡す。
「富士宮…夏樹?」
受け取った書類にある名前を口に出した男子生徒は、入部理由を読んでくすりと笑った。
他の生徒が長文で自己紹介やら様々な事を書き込んでいる中、その生徒の入部理由はたった一文だけ。
『好きなものだから』
「いやぁ、誰かさんを思い出しますな、部長さん?」
女子生徒にぽんぽんと頭を撫でられながら、部長と呼ばれた男子生徒は「誰のことでしょうね。俺はちょっと思い出せませんが」飄々とした態度で入部届に判を押すのだった。
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