くどく言及するつもりはない。想定外も想定の中に入れていた。全員が全員、何事もなく無事に終える可能性は低いものだと考えていた。
だからナモミには『ノア』に残ってもらいたかったんだ。渋々承認したかもしれない。だが、俺は密かに、こうも思っていた。
ナモミには傍にいてほしい、と。それは俺の口から出していいような言葉じゃない。今の俺は独りなんかじゃないんだ。依存が過ぎる。
「アニキ、力を抜いてくださいよ」
ああ、いつの間にか握りしめていた拳を緩める。落ち着かない。いつまで俺は怯えているつもりなんだ。
「少し、外の風に当たってくる」
ブロロから何かを言われる間もなく、バルコニーの戸を開く。外から吹き付ける冷たい風に招かれて、一歩、二歩と進み、自分のうちにこもった何かを冷ます。
外の夜景は綺麗なものだった。見下ろす限り、光る星々の川のように列を成し、この帝国がまだ力強く生きているのだと思わされる。
ここに来る以前見た映像資料は少々古かったらしい。アレを見た限りでは倒壊している建築物が否応なしに目立ってはいたが、夕暮れ時に出歩いた感じでは復興が進み、ごく普通に住民たちが過ごしていた。
サンデリアナ国の兵士がそこいらをブラついていようが、見るからに窮屈な思いをしていようが、民衆は絶望の中にはいなかった。なんと逞しいことか。そんな光景を見て、俺はえも言われぬ悲壮感を鑑みてしまっていた。
かつての自分を思い出してしまうからだ。
そう、かつての俺は一体何者だったのか、忘れるわけにはいかない。兵器として作り出され、使い勝手の良い道具として戦争に駆り出されていた戦士。かつての俺の立場は、言うなればサンデリアナ国の側だろう。
全てを破壊によって奪っていた。その中にはこんな住民達もいたはずだ。戦いの終わった後の地に関心が向くことはない。何故なら次の戦いの場が待っているからだ。
今、俺はかつての俺が関心すらしなかった光景を目の当たりにしているのかもしれない。明日も分からぬ国で、健気に生きている、そんな彼らに罪悪感のようなソレが芽生えてくる。
どんなに日常を壊されても、どんなに幸せを壊されても、明日は来る。その命を手放さない限り、終わりではない。
あのときの俺は何を思っていたのだろう。与えられる目的のままに生きてきて、ただひたすらに多くの知らない誰かから何かを奪い続けていただけだ。その相手が、何かを失うことなど、まともに考えてきたことはあっただろうか。
ああ、俺は今、ナモミを愛しいと感じている。失うことを、恐れている。
何かを奪われるということは、こういう感情なのだな。
俺がしてきたことの大きさを、理解していなかったつもりは毛頭ない。だが、俺は俺自身のしてきたことが俺に向いているこの状況を、強く悔やんでいる。
「ゼクラのアニキ、この土地の気温はとても低いんですよ。夜だと特に。あまり風に当たってると毒ですぜ」
「あ、ああ、すまない。心配掛けてばかりだな。もう部屋に戻るよ」
ぎこちなく、かじかんだ手で、窓に手を掛ける。ずいぶんと冷えてしまった。思っていた以上に長く考え込んでいたらしい。
部屋の中が先ほどよりもずっと温かく感じられた。
ナモミの方は大丈夫なのだろうか。寒空の下で凍えてやしないだろうか。ただただ心配が頭の中を回り続けてばかりだ。本当に、頭がどうにかなりそうなくらい。
コン、コン、コン。
室内に、ノックの音が飛んでくる。扉の向こうに誰か来ているらしい。
「あれ? こんな夜更けに誰ですかね?」
そういって、ブロロがサッと駆けていく。徐に開けられた扉の向こうには見知らぬ猫が立っていた。その見るからに作業向きな格好からしてこの城の使用人だろう。
「夜分遅くに申し訳ございません」
「何かご用ですかい?」
「実はつい先ほど、サンデリアナ国からのお客様がお見えになりまして、只今晩餐を召し上がっている最中なのですが、他のお客様も一緒されませんかと提案をいただきまして」
「あー、俺たちとご飯食べようって話ね。どうします、アニキ?」
「断ってしまってもいいんだが、ずいぶんと気前のいい話だな。こういうことは多いのか?」
「ええ、まあ。ここのところは城に出入りするものも多くなりましたし、確認の意味を込めてお誘いになることは度々あります」
「となると、あまり断らない方がいいのかもしれないな。ちなみに、そのお客様というのは向こうの貴族か王族か?」
少なくとも、この部屋よりも豪華な部屋に宿泊するとは言っていたはずだ。
「いえ、サンデリアナ国の王族親衛隊の方々になります」
刹那、電気のようなものが背筋を走ったように錯覚した。
ビリア姫から話は聞いている。ブーゲン帝国を襲撃するにまで至ったというサンデリアナ国の王子の息が掛かった元傭兵団じゃないか。
「……行こう。ただし、行くのは俺とブロロだけだ。キャナたちは部屋で待機していてもらおう」
少々危険な香りがするが、無視する方がもっと危険だろう。一番怪しまれてはいけない相手なのは間違いない。何しろ、この国を制圧した武力を持つ連中なのだから。
「うお、行くんですか。ま、まあアニキがそういうなら」
※ ※ ※
もうそろそろ寝入ろうとしていた二人を半ば邪魔するような形で割り込み、ひとまずの話をつける。納得しかねていたが、晩餐会の出席は俺とブロロの二人だけということでなんとか落ち着いた。
「こちらの部屋になります。それではどうぞごゆるりと」
そういって、そそくさとメイドの猫がその場を去っていく。無理もない。相手はこの国を落とした張本人なのだから。
それを思うと、目の前の大きな扉も妙に威圧感があるように思えてくる。
「そ、それじゃあ入りましょうか」
軽く数回ノック。そして、扉を開ける。
その先の広間はまた広いものだった。大きな長テーブルが存在感を主張しており、そこには既に手の付けられた料理の数々と、数名の先客が席に着いていた。
顔を見やる。
その次の瞬間、俺は現実が歪んだような、奇妙な感覚に陥った。
そこにいるはずのない、ソレが、そこにいたのだ。
どうして、ここにいるのか。俺の頭には処理が追いつかない。
だが確かに、ソレは紛れもなくそこにいた。
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