※番外編
「――野さん……、中野さん……」
やや右斜め方向から尖ったようなもので突かれる刺激と、頭上付近から圧迫されるような視線を感じ、ぼんやりとした思考回路がゴリゴリとした錆を弾きながらも、ゆっくりと回転し始める。
「ナモミ、ナモミ、起きなよ、先生がきてるよ」
周囲のざわめく音に混じる、真横からの掠れるようなささやき声が一気に霞を払って首が持ち上がった。
「あ、はいっ!」
「中野さん、私の授業で居眠りとはなかなか肝の据わった人ですね。陸上部のマネージャーも大変なのかもしれませんが、それを勉学と両立させないことにはただの無責任と変わりませんよ」
見上げた先に立ちはだかる先生のズーム顔の恐ろしさときたら、それをそのまま夢オチということにしておいて、もう一度夢という名の現実の中へと今再び舞い戻りたくなるくらい。
「す、すみません……、今朝も早朝練習で――」
周囲からドッと笑い声のようなものが吹き上げてくる。何がおかしかったのかも分からない。
「ええ、存じ上げていますよ。今日も他の部員のために差し入れを配っていたことも、貴女が優秀なマネージャー業を全うしていたことも、重々把握しておりますよ。しかし、それを言い訳にしないこと。貴女は三年でしょう? 後輩達の見本になるような体面を意識なさい」
「はい、申し訳ありませんでした」
何一つ言い返せる言葉も出てこず目の前の机に額をぶつける間近まで頭を下げる。
ビンタの一つでも食らうんじゃないかというくらいに剣幕に迫られるも、一頻り言うことを言い切ると、呆れるような溜め息一つで、踵を返し、教壇へと、黒板の前へと戻っていった。
充電しかけで立ち上げたばかりの電子機器のように、未だぎこちなくほわほわとした夢心地を残したそんな状態で、目が眩みそうなほどの視界から急速に情報を取り入れていく。
教卓の真上に見える時計はもう間もなく昼の時間を指し示そうという頃合い。
思いの外キレイに整列した机からはクスクスとしたざわめきを感じつつ、気恥ずかしさを覚える。かなりの注目を浴びていたらしい。
左真横からカーテンごと煽ってくる、この上なく心地の良い爽やかな風が全部いけないんだ。ほどよく睡魔を呼び起こしてくるには十分すぎる恐るべき誘惑だ。
どうよ、窓の外はこんなにも眩しくて、青くて、雲も自重しているほどに清々しくて、空を眺めているだけで意識までも空のかなたへと持っていかれそう。
危ういぼんやり具合だ。
こんなあたしも、もう一つほど季節を超えたらこの場所を去って、新しい環境に馴染まないといけない。それを思うと、アンニュイ感が奥底からボウフラのように沸いて出てきて冴えないもんだ。
今、通っている学校にだって、入学時には戸惑いばかりだったはずだ。それがここまで根を張るようにしっかりとしてきたというのに、それももうすぐなくなって、新しいものに入れ替わってしまうのか。
じゃあ、その次は?
また戸惑いを消して、慣れてきても、またいつかソレを切り離して新しい自分に切り替えていかなければならないのだろうか。
自分の将来のビジョンというものが、今でもまだまとまりきっていない。
願わくば白馬の王子様が何処からか現れて連れ去って欲しい。まあそんな下らない空想も、現実味を帯びると途端に破綻してしまうものだ。いたらどうなって、連れ去られたらどうなるというのか。結局、将来の形が何も固まってこない。
変わり続ける日々にも憂鬱だし、変わらない毎日にも退屈だ。
結局のところ、あたしという人間は、もう少ししたら世間的には成熟した大人という立場になろうというのに、なりゆき任せの生き方しか考えられない頭らしい。なんて怠惰な人間なのだろう。
※ ※ ※
「ナモミって真面目だよねぇ~」
青空を満喫できる屋上の片隅、手作りの弁当を開封したところで、ふと何気なくそんな言葉を投げかけられる。
「あたしが? 何処が? 何を持ってして?」
ついさっきの授業で堂々と居眠りこいていたのに、真面目だなんて何処をどう見て判断したというのか。
「いや、だってさ。最初は嫌々だった陸上部も、なんだかんだマネージャーで落ち着いちゃってさ、後輩の憧れの的という称号まで獲得しちゃってるじゃん。真面目、真面目。うちだったらさぁ、一年も持たないし、ましてやマネージャーなんて押しつけられたらもう無理無理」
「何となくでやってるだけだって」
「でも、しっかりやってるんでしょ? 朝早起きして差し入れとか作っちゃったりして、家庭的すぎってか、女子力高すぎってか……」
「そんな大したもんじゃないよ。今日だって寝不足で授業寝オチしてたし」
「またまた。成績だって上の上な人が何をおっしゃる。マンガみたいなバカみたいなエリートキャラまでいかないにしても、ナモミみたいのを世間では才色兼備っていうんだよ、文武両道」
脈略もなく覚え立ての言葉みたいに使われても。自分にそれらの言葉が当てはまるようには思えない。
「ほら、内心、今、そんなことないよぉ~、みたいな顔してる。謙虚! すっごい謙虚! ウルトラスーパー真面目ちゃんだってばよ。お嫁にしたい女子ランキングナンバーワン!」
いつぞやの新聞部の張り出したネタを持ってこられる。あんな人の噂を羅列しただけみたいな中身のない記事を鵜呑みにされても困る。
あそこまでくると、ただただからかわれているようにしか思えない。特にインタビューっぽいこともしたわけでもないのに、随分とあれこれ書かれた気がする。
「実際さ、ナモミと比べちゃ、あたしなんざアレよ。ガラスの靴落としたって、毒リンゴ食べたって、ましてや踵を切り落としても振り向く王子なんていやしないんだから」
最後だけ何か違うじゃん。
「王子ねぇー……」
「っていうか、ナモミには王子様はいないの?」
「は? 王子様?」
「ほらほら、陸上部の山田君とか鈴木君とか、イケメン度高いじゃん。田中君も家が金持ちって聞くし」
「別に部員のことそんな目で見たことないってば」
なんとも具体性のない話である。顔が良かったり、運動神経良かったり、金持ちだったり、何かしらのスペック的な話になるのか。
白馬に乗った王子様なんていない。そんなのは分かりきった話だ。
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