※番外編
ふと次のページに移ってみれば、いかにも子供向けな絵本のようになっていた。
もののイラストに、単語が添えてあるだけの簡素なページだ。
例えるなら、あいうえおから学ぶ子供を想定した感じはある。
だけど、文字が読めないこともさることながら、もの自体も知らないものばかりだということが困惑を極めた。
りんごとか、みかんとか、ぶどうとか、そういうものじゃない。
ネコさんとか、イヌさんとか、ウサギさんとか、そういうものすらない。
そもそも、コレ、何? ってイラストが並んでいる。
何かの機械部品? あたしの知らない物質? はたまた化学反応?
分かりやすいイラストなんだとは思うけれども、何を表わしているのかがそもそも分からないため、複雑怪奇なものと化している。
何一つ理解できないもので構成されているとここまで狂気を感じるものなのか。
まさにこれは異世界の図鑑だ。考古学者とかが解読する類いの奴。
やっぱり未来の人類は言語も進化しているのか。今さらながら思った。
英語を学ぶにしても、共通認識さえあればどうにかなる点はあると思う。
りんごのイラストの横に「アップル」と書いてあれば、ああ、りんごはアップルなんだなって分かる。
でもこれはそういう次元ではない。なんとかかんとかにほにゃららと書いてあってうんたらかんたらと読むものだとしか分からない。
言語から勉強していけば少しはまともになると考えていたけれど、これは大きな誤算だったと言わざるを得ない。これは時間が掛かりそうだ。
「大丈夫ッスか? ナモミさん。ボクがリスニングからやってもいいッスけど」
よっぽどあたしの顔が分かりやすかったと見える。
やや心配そうな表情を浮かべて、エメラちゃんが優しい言葉を掛けてくれた。
「そうね……リスニングならもう少し入り込みやすいかも」
英会話にしてもそう。単語や文法を学んでいく、いわゆるインプットを頑張っていても、それを実際に活用するアウトプットができていなければ上達しないというのはよく聞いた話。
いきなり知らないものに飛び込んでいくのだから、まずはリスニング、聞いてみることから始めて、簡単な受け答えができるようにしていった方が効率いいのかも。
「それじゃあ、まず万能翻訳機を切って、ノア語で会話してみるッス。返事はしなくていいッスから、言葉の意味をなんとなく感じてくださいッス。可能な範囲で発音も真似してみるのもいいッスね」
あれよね、字幕なしで海外のドラマや映画を観るようなものよね。
これならいけるんじゃないのかな。
「◆◆◆◆◆――――◇◇◇◇◇◆◆◆――――◇◇◇――――」
「え? は? ぽ、ポリプロピレン?」
「◇◇◇――――◇◇◇――――◆◆◆◆◆――――」
「んにゃ? て? と? トラペゾヘドロン?」
エメラちゃんの口から発せられる謎の言葉を解釈しきれない。どういう滑舌を持ってすればそう発音することができるのかも分からない。
というか、怖い。宇宙人と会話している気分だ。
外国語とかで会話するとか、そういう次元じゃなくて、音声を発する器官を持つ生命体を前にオウム返ししている感しかない。
なんか昔、テレビ番組か何かで、観光客のカメラのシャッター音を真似するようになった鳥の話を見かけたことがあったけど、今のあたしはまさにその鳥になったかのような気分だ。
必死に音を模倣している感じがまさにそう。
本当にこれは意味を持った言語なんだろうか。実はうっかりくしゃみとかあくびが混じっていたとしてもあたしにはその区別すらままならない。
「◆◆◆――――◇◇◇――――◆◆◆――――◇◇◇――――」
エメラちゃんが、その手元にいつの間にか球体の金属を持ち、おそらくだけど、同じような言葉を繰り返している。
その物体、もしくはその形状のことを指す言葉なのだろうか。
丸いものはこうだと覚えればいいのかな。
「◆◆◆――――◇◇◇――――◆◆◆――――◇◇◇――――」
すると、今度は球体が立方体に変化した。言葉もさっきとは違うものになる。
きっとそうだ。この物体がその言葉なんだ。
とはいっても、言葉の発音の仕方が分からないままなのだけれども。
「◆◆◆◇◇◇――――?」
これは、質問されている……?
エメラちゃんの手の中にはまた球体があった。ええとこれは何だっけ。
「ォーヴィ・ェアー・ルュ?」
あの、あたしのこの発音も自分でよく分かってないのだけど。
「◇◇◇◇◇!」
あ、なんかあってるっぽいリアクション。そうっぽい。
こうなってくるとジェスチャーゲームか何かで遊んでいる感覚に近い。
これならどうにかできるかも。そう思った矢先、エメラちゃんの手の中に謎の図形が形成されてくる。丸じゃないし、四角でもないし、なんだこれ。こんぺいとうをさらに歪にしたような、謎の物体。
「◆◆◆――――◆◆◆◇◇◇――――◆◆◆――――」
そして、物凄い複雑な滑舌。あたしの知っている言語の中にそんな発音をする言葉は存在しない。真似して発声しようとしたら、オノマトペみたいな声が出た。
いや、無理。舌を何回ねじればいいのよ、ソレ。
ボイスパーカッションでもなかなか出さないんじゃないのその発音。
「◆◆◆◆◆◆◇◇◇――――◇◇◆◆◆◇◇――――」
そうこうしているうちに、エメラちゃんの持つ図形がどんどん形を変えていき、それにともなってまた一段とよく分からない言葉、なのか、それとも何か楽器を用いた音声だったのかよく分からないものを聞かされる。
「◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆――◇◇◆◆◇◆◇◇◆◆――――」
いや、なになになに、こわいこわいこわい。何を言っているのか分からないというよりも、不協和音に不協和音を足して不協和音にしたかのような気味の悪い声色が軽くホラー映画の演出のソレ。ヒロインが悲鳴を挙げて逃げ出すアレだ。
「◇◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◇◇◇◆◆◆――――」
それでいて、エメラちゃんは全く普通の顔で喋ってくるのがまた一層怖い。
「――どッスか?」
スイッチを切り替えるように言葉が戻り、安心感がドッときた。
「あ、あ、あるがたぅ、エミェラたゃん……」
自分でももう何を言っているのか分からない発音が出た。あやうくあたまがおかしくなるところだった。
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