幕間劇 第三首から続く、とあるお正月のお話。
「こーんにちはー!三木くーん?いませんかー?」
お正月の誰そ彼時、それも今日は元日。
ボクは幼馴染のみさと君に呼び出され、彼がいつも自転車に乗り帰っている家に赴いていた。
なんでも、お雑煮の具を買いすぎたのだとかなんとか……。
何年間もボクからのバレンタインチョコを嫌々受け取っていたにも関わらず、彼は年の瀬、同じコミュニティのミキさんやゆささん、湧綺さんを尻目に、いの一番に、ボクに声をかけてきた。
「千敬なら、断らないだろ?」
──だなんて、失礼しちゃう。
……だけど、実際断れないし、断りたくなかったのも事実。
彼からの"誘い"は馬鹿げていたけれど、その誘いを迷わず承ったボクは、もう一つ輪をかけて、些か以上に馬鹿げていることだろう。
『三城』と表札に彫られたみさと君の家の玄関前で待っていると、トテトテという、明らかにみさと君のそれではない、間隔の短い足音が玄関に続く廊下の奥から近付いてくる。
(え……、なに、このボク以外にもとっくに誰かお呼ばれしてるの……?)
ぬか喜びをしてしまっていたような、年明けからなんとも拍子抜けした気分になっている自分に、ボクは気付かされた。
────これはこれで恥ずかしい……。
しかし、玄関の扉を開き姿を現したのは、小さな女の子だった。
加えて、目の前の娘が着ている服は、去年の三月に学校を抜け出し、みさと君と一緒に買い揃えたものばかり────。
洋服を着こなしている少女の姿に呆気にとられているボクを眼前の彼女は視界に捉え、詠うように言葉を踊らせる。
「みさとかと、駆けて出づるも、別の人。そちはみさとの、何者なるや?」
「あぁ、えっと、友だち……です」
──友だち──。
────そう、反射的に応えていた自分に、少しだけ嫌気が差した。
つい見蕩れてしまっていたとはいえ、もう少し、上手い言い様はあっただろうに……。
たった一言だけれど、ボクの言葉によって、この娘の前では、ボクと彼は"友だち"でいなければならなくなった。
「なるほどの。そちの真名、汐月千敬で相違ないか?みさとのやつは、そちを迎えに街へ下りたが、会っておらぬとあるならば、"行き違い"ということになる……──」
気付けば、ボクの胸を締め付けていた息苦しさは、いつの間にか彼女の游がす言霊たちに、淡く優しく包み込まれていた。
「────千敬とやら、なにを呆けて其処に居る?わちしとて、寒空の下、そちを置き、年明け早々、病に罹らせとうはない。どうか座敷に、上がられい」
「座敷には炬燵を広げてあるが故……。」と呟きながら、少女は袖からはみ出た小さな両手を擦り合わせる姿には、彼女自身、寒い思いをしていることを隠すような素振りは見受けられなかった。
しかし、その上で彼女は、初対面の相手であろうと、冷えきった外気に晒される他者の身を案じてくれているのだ。
お昼、初詣で参った神社にて配られていた"甘酒"のように、味こそついていないけれど、深い優しさと、慈愛に満ちた温もりを宿す"白湯"でも手渡されたような感覚を覚える。
無味無臭。それ故に、味わい得ることのできる"人の暖かさ"が、このときのボクと彼女の間には確かに在ったのだ。
ボクは彼女の招きに応じ、小さな声で「……お邪魔しまーす。」と言葉だけは漏らしながら、みさと君の家のなかに足を踏み入れた。
炬燵が置かれた部屋まで通され、少女に促されるまま、足を崩し寛ぐと、奥に調理場が見える。──いつもあそこで料理してるのかな。
────あれ……?ちょっと待って。
"みさと君の家"……だよね、ここって。
…………──────じゃあ、この娘誰?!
あまりにも似つかわしくないものが当たり前のように在ると逆に違和感を覚えないことがある、という話は知っていたけど……。──いや、この場合そういうことじゃなくて……。
「あのぉ……、ボクは汐月千敬ですけど、あなたはどちら様で……?」
彼女が悪事を働いているようには見えないし、みさと君のことも知っていた。だけど、不審な人物ということには変わりない。
ボクはいつでも通報できるようにスマートフォンを後ろ手に構えながら尋ねた。
────しかし、彼女は炬燵台に乗った湯呑みを手に取り、こちらの心境とは裏腹に、静かに緩やかな言葉を紡ぐ。
「わちしかえ?わちしの名なら、若紫と呼んでたも。みさとの料理の弟子にして、いまはみさとの────」
「ただいまー!」
自身を"若紫"と名乗る少女の自己紹介を遮る形で、みさと君の声は玄関から飛んできた。
「────帰ったか、そちとともに、出迎えるかの」
これは好機だ。
この際、みさと君から直接この娘のことを訊いてしまうのが手っ取り早い。
歩幅を少女に合わせつつも、足取りはほんの少しだけ急がせた────。
///
──玄関に、見慣れない靴が一足ある……。
いや、この玄関で見慣れていないだけであって、この靴自体には見覚えがある。
おれが帰宅を報せると、屋敷の奥から二つの足音が鳴り響いてきていた。
一つは、聴き慣れた足袋と床を摺りながらもトテトテと軽やかに舞うもの。
……もう一つは──────。
「あけましておめでとう……って、なに勝手にあがってんだ、千敬」
「あけましておめでとう、三木君。──ねぇ、家出少女でも匿ってるの?」
声音の刺々しさとは裏腹に、普段通りの満面の笑みで問い掛けてきていることが、なおさらおれの恐怖心を加速させる。
「あぁ……、お前、姪っ子に会っちまったのか」
「「姪っ子!?」」
──咄嗟に思いついた虚言を遣って嘯いてみたが、若紫と千敬が見事に声を合わせたことで、疑問符を更に増幅させてしまった……。
「わちしはそんな、三城の家との、血の繋がりなぞ、ありはせぬ……!わちしとは、恋仲にこそなるれども、血のひとしずく、交わり得ぬが、三木みさとなる男なり」
最初に食い付いてきたのは若紫の方だった。
若紫の発言により、千敬相手にも無茶苦茶面倒な話になってきている気がする────。
「え、恋仲……っ。ちょっと、みさ──三木君、それってどういうこと!?まさか、家出少女ともうそんな関係になってるわけ?!」
……それ見たことか。
「いやいや二人とも違うんだって……。というか、若紫はちょっとだけ口閉じててもらってていいか?ややこしくなるから……。それと、おれも座敷に上がらせてくれ。さすがに玄関先で問い質されても、怒鳴り散らされても困る」
「それもそうね。」と溢す千敬は、"自分が優先された"とでも思っているのか、若紫より落ち着いている。
────今日作る料理が白だしのお雑煮でよかった。こいつらに捕まっても、あれなら手間も最小限に抑えられる。
自宅──とは違うものの、"帰る場所"と呼んで差し支えない家の座敷に、わざわざ仰々しく入らなくてはならないという事態は、正直なところ、あまり気分がいいものではなかった。
千敬が床の間を背負ったため、仕方なく、おれは台所側に腰を下ろす。そのまま炬燵に脚を突っ込むと、縁側沿いに座る若紫の足刀がおれの左膝に直撃した。
若紫は、「すまぬ。」と短く言葉を漏らし、それと同時に足を正す。
おれの右足首には千敬の華奢な脚が無造作に乗せられている。だが……、悪びれる様子が見受けられない辺り、こいつは間違いなくわざと重ねている。────あとで千敬の分の雑煮の餅だけ減らしてやろうか。
「……って、ちょっと待て」
「弁護人、私語は謹んでください」
「……やっぱりお前、それがやりたかっただけだろ。この似非裁判長が」
「弁護人、言葉を慎みなさい」
なりきってやがる……。なら、おれにだって申しようがある。
「裁判長。貴殿の美しい御御足が、見えないところで私めの脚の上に乗っております。このままでは、緊急時に身動きがとれません。何卒ご聡明な判断をお願いします」
「うぐ……、三木君から堅苦しい言葉を貰うのは、これはこれでなんか嫌だな。わかったよもう。裁判ごっこはこれにて閉廷ー」
────……これは閉廷というより、単に裁判長が勝手に裁判を放棄しただけのように見えるのだが、おれだけだろうか。
しかもごっこって認めちゃったぞ、裁判長。
「それでー?一体この娘は、君のなんなのさ。『姪っ子じゃない。』って玄関先で若紫ちゃんは言ってたけども」
「────千敬殿」
ずっと口を閉ざしていた若紫が、淡々と言葉を発した。
「これ以上、みさとのやつを咎めずしては、おられぬか。────歳は離れていやうとも、わちしとみさとは、心の底から"恋い焦がれ合う"間柄。そちの割り入る隙もない」
「────な……っ」
若紫の言葉に小さく声を溢した千敬の頬は、どんどん紅潮していっている。
「千敬殿の、みさとへ認む、恋慕の御心。わちしには、手に取るやうに、わかりけり。──わちしと交わす声音とは、些か違う、乙女のそれに、なるが故」
更に顔を赤らめる千敬だったが、こんな千敬を目にするのは、実のところ初めてだった────。
*****
「そちからすれば、わちしの恋路は、邪魔であるはず……。それでいて、何故そちは、わちしを拒みもせぬのじゃ……?」
わちしは、嫌われる覚悟を胸中に抱きながらも事実を伝えた。
目の前に座している女子は、「あなや!」と大きく声を放ち、わちしの存在を受け入れることなく、この場を立ち去る、といった事態も、想像に難くなかった。
──しかしこの娘は、そのような考えは、元来持ち合わせていないらしく、みさとはやや困り顔を浮かべただけで、「ちょっくら雑煮作ってくる。」などと言い残し、一人台所の方へと姿を消した。
結果、初対面の恋敵二人だけが、この茶の間に残され、現在こうして顔を見合わせている……。
さりとて、眼前に座す|娘子は、小さく嘆息を挟むと、いと朗らかな声音を以てわちしへ語りかけてきた。
「──ボク、若紫ちゃんを邪魔だなんて思わないよ?ボクがずっと得られなかったものをキミが先に手に入れた。たったそれだけなんだから。……だからね、ボクには、そもそもキミを拒む理由がないんだよ」
雑煮の準備のため、そそくさと席を外したみさとには、決して見せたことすらないであろう、彼女の精一杯の微笑みが、わちしの恋心を頻りに劈く。
「──ねぇ。キミは将来、みさと君となにをしたい?この世界に息づいた若紫さんは、この先に待つ未来に一体なにを望むのかな?」
「それは……」
汐月千敬の瞳は、一抹も曇ることなくわちしを映す。立て続けに問われたことについ口ごもってしまったものの、わちしの解は決まっていた。
「叶うなら……、いつしかあやつと、──夫婦となりたい。わちしのやうな、半端なモノに、それが赦されるとは、思わぬが──」
少しばかり、頬の火照りを感じながらも、些か現実味に欠ける切望を零したわちしは、焦点の合わぬ虚空を見つめる。
──直後。
わちしの視界に座していた汐月千敬は、その豊かな胸元へとわちしを誘い、抱き締めてきた。
「そ、そちはなにを……っ?!」
体躯に差のあるわちしは、抗うことすらままならず、千敬の突拍子もない挙動に、ただただ疑問符を湧かせることしかできなかった。
──遠い昔に置いてきた陽光の如き暖かさを、千敬は目一杯伝わせながら、わちしへ言葉を注ぎ込む。
「なりたい自分が在るってことは、とっても大切なこと。その気持ちは、若紫ちゃんがこの先の未来にも在り続ける──揺らぐことのない証拠になるんだから」
髪に指を通し、優しくわちしを撫でる様は、まだ幼き日、わちしを『若草』と呼び育ててくれた祖母上様さながらであった。
「ボクはいま、こうしてキミに触れている。キミの存在を、拍動を、ボクはこの身で感じてる。──キミがここにいることは、決して間違いなんかじゃない。ボクとみさとくんが、これからもずっと、キミの魂の存在証明を詠い続ける。キミの心にも、姿にも、贋物なんて一つもないって信じてるからね」
わちしを抱き寄せる娘子の胸の奥底には、みさとへの恋心の熱が未だ残り、狂おしいほどに疼いておるはずじゃ……。にもかかわらず、この汐月千敬なる娘は、わちしを認めてくれるのか。
長らく焦がれ、沸き立たせていた恋慕の念を秘めたまま、それでもわちしを赦してくれるというのか。
きてれつ極まる、若紫なんぞの在り方さえも──。
「──そちの纏いし、温もりに、ただ一片の偽りもなし……。さりとてそれは、哀愁でもなく、また慈悲でもない──。その心の名は、なんといふ……っ?」
──わちしが千敬へ言葉を紡ぎ返すと同時に、雑煮の入った鍋を手に、みさとが茶の間へ姿を現した。
「──てっきり修羅場になってるかと思ったんだが……、おれの杞憂だったか?」
「心配性だねぇ、相変わらず。」と声をかける千敬の表情からは、最初にここへ訪れたときの訝るような剣呑な雰囲気は消え去っていた。
「うん。もう、──平気だよ。たったいま、若紫ちゃんとも、友だちになったとこっ」
「へぇ、そりゃよかった。千敬って、ずっと画用紙かコンピュータと睨めっこしてるわりに、昔からそういうコミュニケーション能力は高いよな」
「えっへへ……っ。」と千敬が仄かに口角を上げて切り返したせいか、みさとは千敬の心意に気付いておらぬようだ。
──千敬から『友』と呼ばれたことにより、わちしは初めて抱く見知らぬ高揚感を覚えつつ、さりとて、時同じくして、わちしだけが彼女の異変に気付いてしまっていた。
(千敬殿……。わちしの前で、声音の固さは隠し仰せぬ。──恋敵を前にして、平静装うことなど、闇雲に心を軋ますものであろうぞ……)
源氏様より深い愛をこの身に受けながらも、同時に、他の娘子からそれを向けらるる源氏様をも目の当たりにしてきたわちしだからこそ、意に介さずとも汲み取ってしまうのだ。
加え、女子が若くして"独り"を覚え、後に芽生えるそこはかとない心細さも、わちしはとうに知っている。
故にわちしは──。
「千敬殿、わちしがそなたの『友』ならば、飯を食らうも、同じ寝床で初夢見るも、これより先は、わちし相手に気兼ねはいらぬ」
──こうして、緩やかに心の蟠りを解いていくのだ。
「急がずとも良い。焦らずとも良い。慌てずとも良い。──いずれそなたと、本当の意味で打ち解けらるれば、わちしはそれで、満足よ」
元を糺せば恋敵。そのような女子と仲睦まじくなりたいなど、わちしの我儘なのやもしれぬ。
だが、わちしの存在を認め、友としてくれた千敬には、みさとに負けずとも劣らぬ恩がある。
それに、源氏様が用意してくださった友でなく、ありのままの若紫と友になってくれたは、千敬が初めてなのだ。これで心躍らぬわけがない。
千敬のもとにわちしの言葉が届くと、数秒の間を開け返事が寄越された。
「あっはは……、若紫ちゃんにはボクの心を全部見透かされてるみたいだね。──うん、ありがと。お雑煮食べたら、一緒にちょっとお昼寝しよっか……!」
「それは良い!女子と寝るは、少納言以来となろうか」
声高らかに、新たに芽吹いた『友愛』に歓喜するわちしたちを傍目に、みさとは着々と雑煮を大きめのお椀に取り分けている。
「人様の手料理を寝る前の座興にしやがって……、全く」
そう口にしながらも、みさとの表情から微笑みが絶えることはない。
「ではでは皆さん、お手を合わせてご一緒に──。せーのっ」
「「「いただきます!!!」」」
普段は合わせぬ具材を合わせた料理であれど、個々の旨味を引き出すことができるなら、飯を分かち合う親しき者が隣に座っているのなら、美味も絆も深みが出ると云ふものよ。
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