あね様は、それからも何度か、
「ぼぉー、遊ぼ?」
と、誘いにきたけれど、ぼくは、つれなくソッポを向いた。
あね様のせいで土蔵に閉じ込められたのだと、勝手にふてくされていたのも少しある。
でも、そんなことよりも、ぼくはあの晩以来、あね様の真っ赤に紅をひいたポッテリしたくちびるや、ツンとそこだけ突き出た着物の胸なんかが、いやに目について仕方なくなってしまったのだ。
あね様に対して不埒な感情が芽生えたということは決してない。
ただ、それ以前は、男と女のカラダのツクリの差異に無邪気な驚きだけを感じていたものが、その差異の意味するところに疑問と興味がわきはじめ、そうした自分に恥ずかしさや照れのようなものをひとりでに覚えるようになったのだ。
あの感覚は……いまだに自分でも釈然としないのだが。
くだんのアヤカシの人間ばなれした異様な美しさにあてられて、ぼくの中に、まだハッキリとはカタチすらできていなかった、漠然として曖昧で、まったく未熟な性の芽生えのようなものが忽然と、その潜在的な兆しをうかがわせたのかもしれぬ。
恥ずかしながら白状すれば、土蔵での一夜明けて目覚めたとき、ぼくは、おねしょをしてしまっていた。
離れの露天風呂に惜しげもなくさらされていた、男とも女とも得体のしれない人外の、妖艶な白い裸体を見つめていたとき、ぼくは、たしかに、下肢の付け根の奥のほうに、ズクズクとした奇妙な熱を意識した。
かゆみとも痛みともつかない、もどかしいような、切ないような、……ただハッキリと「後ろめたい」ことだけは確かだった……疼きを、生まれてはじめて、ほのかに自覚したのだ。
実際にまともな精通というやつを"ちゃんとした夢精"で初体験したのは、もっとずっと後のことだったが、あの晩の"おねしょ"は、まだ未発達だったぼくの性の器官が思いがけない早熟な疼きを唐突にもてあました挙句の、追いつめられた残滓だったような気さえする。
夜が明けて、乳母やが土蔵の扉を開き、ぼくを起こしにきたときに、
「まあまあ、かあいそうに。土蔵の中は冷えますからねぇ」
と、濡れた掻巻をくるくるっと丸めて小脇に隠しながら、ぼくをなぐさめてくれた言葉が、実際の原因にすぎなかったろうけれど。
それでも、ぼくは、あの一夜が、なんらかの特別な影響をぼくの心身の成長に及ぼさなかったはずはないと、どうしても自分自身に具体的に立証したいのかもしれない。
それからというもの、あね様は、自分が泣き騒げば、はは様がすっ飛んできて坊を折檻するのだと悟ったようで。
黙って寂しそうに童人形を胸にぎゅうっと抱きしめながら、いつまでも未練がましく、ぼくの部屋の中をうろうろと歩き回ったりしていたけれど、ぼくが頑として無視を続けるうちには、あきらめて1人っきりでふらふらと屋敷の外に出かけていくようになった。
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