夏が過ぎ秋のなかばになると、ぼくは、ふもとの町で貸本屋をいとなむ乳母やの長男夫妻の家に預けられ、そこから歩いて学校に通うようになった。
長い冬に入れば雪が深くなる山道を自動車で行き来するのは難しくなるからだった。
朔太郎の4つ年上の兄にもあたる貸本屋の店主は、スマァトな弟と並ぶと顔も体もずいぶん肉付きが良く、いかにも気のいい小父さんといった風貌だった。母親似の弟に比べ、兄のほうは父親に似たものらしい。
ともあれ、ういういしい新妻ともども面倒見がよく気さくだったので、人見知りだったぼくでも気がねすることなく慣れない環境に打ちとけた。
ことさらぼくを歓喜せたのは、貸本を好き放題に読みあさることができたので。
当節人気の少年漫画の新刊を誰よりも早く知ったかぶりできるおかげで、同じ学級の悪童どもにずいぶん大きい顔をきかせられるようにもなった。
だから、春休みに入ると同時に再び我が家に戻らねばならなくなると、とてもガッカリしたものだ。
夫人のかっぽう着にシッカリしがみつきながら「帰りたくない」と強情に駄々をこね、迎えに来た朔太郎を途方に暮れさせたほどだった。
さらわれるように無理矢理に車に押し込まれ、山奥のお屋敷に連れ戻されれば、門の外まで転がるように走って出迎えてくれたのは、あね様で。
なつかしさを覚える猶予もなく、ぼくは、その姿の変わりように愕然となった。
姿のいい舞妓人形のようにスラリ細長かった体形が、帯もはじけそうに腰回りが広がり、少女らしく尖り気味の先端を控え目に主張していた胸のふくらみも、たわわに水をつめた風船のように豊満に膨張していたのだ。
そのくせ、振袖の袖口からのぞく白い手は相変わらずほっそりと頼りなく、ふっくら丸みをおびていた顔は、むしろ頬がこけて血色も冴えないようだった。
いささかネジの足りない言動は相変わらずだったが、片時も手離すことのなかったはずの童人形が見当たらないので所在を尋ねれば、
「お喜美には、もういらないから、"ジャノコベがタキ"(蛇の首ケ滝)に落っことして、水神さまにくれてやったんさ」
と、あっけらかんと言い、ぼくをいっそう呆れさせた。
そればかりではない。食事の段になると、ぼくは、さらに目を丸くしなければならなかった。
以前のあね様は、天ぷらなんかが大好物で、なかでも鳥肉の天ぷらの皮の部分がたっぷり残って脂身のぎらぎらテカっているようなのに目がなかったのだ。
それが、おみおつけの椀に、ささがきゴボウの炒め油がほんのちょっと浮いているのを見ただけで思いっきり顔をしかめ、「あっちに、ぶちゃって!」と大仰に嫌がる。
これだけ丸く太ったからには、さぞや大めしを食らうようになったのかと思ったのに、とんでもなかった。
芋がらを凍み豆腐といっしょに薄味で煮たようなのが、かろうじて腹のタシになりそうなあんばいで。後は、わらびのおひたしやら、たらの芽をゴマで和えたのやら、おこうこうやら。
もっぱら、鳥のエサみたいなおかずにしか箸をつけない。
とりわけ、温室きゅうりをわざわざ取り寄せては薄く切って酢もみしたのをどんぶり一杯、山盛りによそって、とりつかれたようにバリバリと朝から晩までずっと頬張っていた。
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