あれから15年。あね様の命日に、ぼくは今年も生まれ故郷を訪れた。
昨日から義母さんの体調が少しよくなかったから、春さんから車を借りて1人っきり東京から運転してきたのだ。
義母さんは、
「あたしのことは心配ないから、いつもみたいに春さんと2人でお墓参りにお行きなさいな」
と何度もぼくを諭したが、ぼくは義母さんが心配で仕方なかったから、無理な相談だった。
それに、春さんをたまには恋女房と水入らず過ごさせてあげたいなどという、我ながら殊勝な孝行心も手伝っていた。
夜明けがた、ぼくの出がけに春さんは玄関先にどっしり仁王立ちで腕組みしながら、
「大切な愛車に傷ひとつでもつけたら許さんぞ」
とか言ったあとには、
「遠路のドライヴは疲れるから近くに温泉宿をとっておいた。のんびり休み休み、くれぐれも気を付けて行ってこい、世松」
太い眉をしょんぼり下げながら、いつの間に用意したのやら最寄りの神社の交通安全のお守りをぼくの手にしかと握らせた。
ぼくは、あれ以来いまだに一語も声を発せぬままだから、ぼくからの会話は飽く迄筆談のみではあるが、ずっと春さんを「義父さん」と呼べないのは、そもそも「父」という名称が、ぼくにとっては「得体のしれない化物」と同義でしかないからで。
ならばなぜ、人でなしの冷血な子殺しを実の母に持つぼくが、春さんの恋女房たる嫋やかで心やさしき聖女を「義母さん」と呼ぶのを尻ごみしないですむかといえば、ひとえに、ぼくが「かあさん」と紙に書いて呼ぶことを義母さんがなによりも喜んで優しく微笑んでくれるからにすぎぬ。
さて、その人でなしの実の母はといえば、あね様の三回忌を限りに土地家屋と私財をいっさいがっさい整理して、番頭さんの故郷の富山に新居を構え夫婦二人で移り住むと、ぼくとの縁もキッパリ遠のいた。
願わくば母には幸せであってほしいと心から思う。母にとっての幸せは、ぼくにとってのそれとはかけ離れたものであろうが、とにかく幸せであるかぎり、ぼくのことを一時たりとも思い出さずにいてくれるだろう。母がぼくを思い出すときには、はかり知れぬ憎悪と殺意が彼女に寄り添うときに相違ないからだ。
その直後に始まった大規模なリゾート開発で、ぼくの生家もたちまち解体されて無くなり、あね様と父の眠っていた墓所も山の麓の広大な霊園の一角に移しかえられて久しいが、春さんの手配してくれた温泉宿を目指して、ぼくは十余年ぶりに峠に向かった。心配していた残雪もなく、綺麗に舗装された広い道路だから、運転も容易だった。昔は見違えるほどに勾配の厳しい砂利道だったが、朔太郎は危なげなく軽やかなハンドルさばきで、毎日ぼくを小学校まで送り迎えしてくれたものだ。
やがて、山の中腹あたりの小路を入って竹林の間をぬうと行く手は二股に別れ、左手の道標に目的の温泉宿の名前、右手には「蛇の首ケ滝」と記してある。
忌まわしい惨劇と同義のその道標を自分でも驚くほどに冷静に一瞥して、ぼくは左にハンドルを切った。
中学校で教鞭を取る春さんが、十数年前に教えていた女生徒の嫁ぎ先だそうで、歴史が浅いぶん建物は近代的で明るく、開放的で清潔な旅館だった。
昼ごろに墓参りをした後に道すがらの蕎麦屋で十割をたぐり、ゆるりと峠道をドライヴしてきたから、部屋に通してもらうのにちょうどいい頃合いだ。
いざ宿帳を書く段になって、ぼくは少しだけ躊躇った。職業欄をなんとして埋めるべきか。すぐに万能の職種を思い出し「自由業」と書き込んだとたん、ぼくのズボンの尻ポケットをチョイチョイと後ろから引っ張る者がある。
振り返ると、手編みのチョッキに半ズボン姿の育ちのよさげな7、8歳くらいの男の子が、右手に持った漫画の本を突き出して、
「あのね、これにサインをちょうだい」
と、丸々した頬を真っ赤に上気させながら蚊の鳴くような声でつぶやいた。
さては春さん、ぼくの生業を勝手に旅館に伝えてあったらしい。
いかんせん、ようやく糊口をしのげるばかりになった新鋭の漫画家としては、最新刊の単行本を所持してくれる熱心な読者にサァビスをふるまわぬわけにはいかない。
隣で若女将が「これ、タカノリ! お客様に迷惑おかけしたらいけませんって、あれほど」と叱責するのをやんわり身振りで制して、宿帳に使った万年筆を使い、漫画の本の見返しに手早くサインをした横には「タカノリ君へ」と付け加えて返した。
タカ坊は「どうもありがとう」とこぼれそうな笑顔で言いながら本を胸に抱えると、はねるような足取りで駆け去ったから、ぼくも自然と口元がゆるんだ。
若女将は「まあまあ、すみません。うちの息子が」と頭を下げてから、
「世松さんは、お化けや妖怪の漫画なんかをお描きになられるんですってね。子供はそういうのに夢中になるもので」
そう複雑な微苦笑を漏らしたので、ぼくもいささかバツが悪く苦笑いを返しながら頭をかいた。
すると若女将、あわてて取りなすように、
「そうそう、妖怪といえば。ここの裏手にある蛇の首ケ滝というところは昔から河童が出ると言い伝えがあるんですけど、御存知でしたかしら?」
ぼくは内心ドキリと胸を震わせたが、そらっとぼけて首をかしげていると、若女将は続けて言った。
「それが、つい昨年の夏、滝つぼの畔で河童の子の木乃伊が見つかったと騒ぎになって。『河童塚』というのが建ったばかりだから、お散歩がてら御覧になったらいかがです」
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