視界が晴れると、穴を掘って玉砂利かなにかを塗り固めて湯船をあつらえたらしい露天風呂が、離れの庭の真ん中に見えた。
なみなみと満ちる湯の色は赤茶けて濃くにごっており、こんこんと湧きあがる隆起と波紋が絶え間なく表に波立っていたから、おそらくあれは掛け流しの温泉だったろう。
あのあたりには、"ナントカ上人さまの所縁"とやらの源泉があったから、湯治客目当ての気の利いた一件宿が点在していたし、母屋の一角にも温泉を引いた大きな内風呂があった。
だから、とうに主を失った廃屋の庭にしては贅沢すぎる趣向とはいえ、立派な露天風呂そのものは、ぼくをそれほど仰天させはしなかった。
むしろ、得体の知れない白煙の正体が、ふくいくとたちこめる温泉の湯気にすぎないと分かって、つかの間ホッと安堵したほどで。
ぼくを戦慄させたものは、湯船にたゆたう真っ白なアヤカシの姿だったのだ。
それは、しなやかな細い手足をゆるやかに伸ばして、ほとんど仰向けの状態で湯に浸かっていた。
胸のふくらみが足りないことから、かろうじて"オス"なのだろうと推測できる中性的な裸身の輪郭は、人間の若者と変わらない造形をさらしていたが。しかし、血の通った人間とは信じがたいほど、透き通るような白い肌。
いや、それを「人ならざるもの」として、もっとも確信せしめたのは、遠目にも形のいい端正な頭部を包む髪の色までもが、夜闇の中に真っ白に浮き上がって見えたからで。
頭のてっぺんから手足の先まで、区別なく真っ白なのだ。
――あれが、乳母やのいってた、河童!
ぼくは、まったく自然にそう思い込んだ。
河童というやつは、雨蛙のように全身みどり色の肌をしていると聞いていたが、本当は純白だったのだな、……と。
今でこそ、彼が生まれつき「白子症」と呼ばれる非常に希少な突然変異の遺伝子を持った人間ゆえに、肌のみならず毛髪までもが純白の色に染まっていたということを知っているが、田舎育ちの素朴な子供の時分には分かろうはずもなかった。
いつの間にか恐怖すらも通りこして、この世の者ならぬ人外のアヤカシの、晩春の朧月を浴びて冴え冴えと光りわたる異様な美しさに、うっとりと見惚れてさえいた。
同じく白子症が正体の白蛇や白虎の類が、古来から神の御使いとして人々を畏怖せしめた理由が、だから、ぼくには良く理解できる。
さても、どれほど魅入っていたのだろう。
それこそ魂を吸いとられたかのように呆け果てていたぼくは、ふいに離れの奥から響いてきた人の声に、ようやくハッと我に返った。
「よのさん、よのさん。ゆうげの支度、持ってきましたよ」
美しい人外が満月の光の下で優雅に沐浴する、めくるめく妖艶な幻想の世界に、ふいっと聞き覚えのある親しい人間の声が、じつに気安く呑気な調子で聞こえてきたものである。
すると、純白の河童は、これもまた実に気軽にひょいと声のほうに頭をかしげるや、なんの気取りも余韻もなく、ざばり湯から立ち上がると、甲羅のない綺麗な背中を平然と夜風にさらしながら、素っ裸のまんまピョンピョンと一足飛びに踏み石を飛びはね、竹垣の向こうに隠れて見えなくなると、そのまま屋敷の中に入っていってしまったようだった。
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