河童心中

昭和浪漫ただよう耽美な純文学ミステリー
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21(完結)

公開日時: 2021年6月9日(水) 16:13
更新日時: 2021年6月9日(水) 16:31
文字数:1,318

旅館の裏庭から気の利いた遊歩道がこしらえてあって、10分とかからず滝つぼにつけた。


道標みちしるべだけを見たときはてんで平静でいられたから、夕餉ゆうげの前の腹ごなしを気取り、かけつけの湯あがりに浴衣ゆかた茶羽織ちゃばおりを着込むや、すぐに下駄げたを引っかけ気軽に出てきたのだけれど。いざ滝川の音が耳に届いてきた瞬間から、ぼくの心臓は早鐘はやがねのように打ち鳴りだした。


周囲は近代化の波にのまれても、じゃ首ケ滝こうべがたきは15年前と変わらぬまま。こけむした岩肌に錯綜さくそうする複雑な隆起に沿って、その名のままにクネクネと歪曲した細長い水簾すいれんを絶え間なく滝つぼに落としている。

今日は良く晴れたし日没にも間があるのだが、鬱蒼うっそうとした竹林のせいばかりとは思えぬ深閑しんかんとした薄闇が一帯を包み込み、幽玄ゆうげんたる滝の音が光を吸い込んでいるかのような馬鹿げた錯覚をぼくに与えた。


河童塚かっぱづか』は、滝つぼのほとりから4、5メートルほど離れたところで、崖を背にしてぽつねんと建っていた。

青御影石あおみかげいしの台座に『河童塚』と大きく名称が刻まれており、その上に幼い河童の石像が乗っかっている。

台座と同じ石でこしらえてあるが、これが妙に恥ずかしげな上目遣うわめづかいをしながら、申し訳なさそうに甲羅のついた背中を丸めて立って見える、可笑おかしみのある子河童で。

滝の飛沫しぶきをかすかに浴び続けながら、ちょうど頭のてっぺんの皿ばかりが濡れて色濃く光っているのが、かえってなんだか情けなくて。


ぼくは急に膝の力を失って、崩れるようにしゃがみこみ、台座の前の地面に手をついた。

――ここに、あね様のお腹から流れた赤ん坊が……。


鼻の奥がつんと湿った次の瞬間には、とめどなく涙が零れた。


――かあいそうな、あね様。かあいそうな、赤ん坊。

――かあいそうな、ぼく。


ああ、かなうものなら、あの頃のぼくをぎゅっと抱きしめてあげたい。

遠慮がちな上目遣うわめづかいをして、小さく背中を丸めていた、あの気の毒な子供を。ただただ強く抱きしめてあげたい。


どうしても、涙が止まらない。


「かあいそう。かあいそう……」


いつしか、ひとりでに口から声がついて出ていた。

不思議なもので、15年ぶりに聞く自分の声は、すっかり一丁前いっちょまえの大人の男のそれだったから、他人のように聞こえた。


「かあいそうに。みんな、かあいそうに……」

嗚咽おえつしながら何度も繰り返しているうち、ふっと背後から、水際の湿った砂地をしゃりしゃりと踏みしだいてくる足音が聞こえた。


長いあいだ声を失っていた影響か、むしろ、ぼくの聴力は人より発達していた。だから、15年ぶりに聞く二人分のその足音が誰のものだか、すぐに見当がついたのである。


……いやいや、さすがに誇張がすぎるか。本当は、ぼくは、はなっから心の隅で期待していたのだ。

あね様の墓前に手向たむけられていたいきな純白の花束を目にした瞬間から、きっと二人はそばにいると。


「おやおや、泣いておいでかぇ、とき坊。かあいそうに」

心地よいさびを含んで少しアンニュウイな、柔らかい声。


涙でふさがれた視界のせいにして、その胸に倒れ込んでもいいだろうか。

そうしたら、あの日の子供のぶんまで、ぎゅっと優しく抱きしめてもらえるだろうか。


そんな不埒ふらち胸算用むなざんようをしながら立ち上がり、ぼくは、ゆっくり後ろを振り返った。




おわり(2021/06/09脱稿)

(2021/06/09脱稿)閲覧いただき誠にありがとうございます。


私事都合で断念していたモノカキ趣味を最近になって数年ぶりに再開したのですが、2015年の6月に書きはじめ2か月ほどで断筆せざるを得なかったこの短編をちょうど6年越しでラストまで書きあげられました。けっこう感無量です…笑


テキスト中に描写しきれなかったことがいくつかあるので、自分自身の備忘録も兼ねてここに書き残させて頂きます。


まず、「父親が梅毒」という世松の憶測は、父親と同じ家に幽閉されていた世之介が感染していないことから、ほぼほぼナンセンスですが、ピュアピュアボーイの世松にその錯誤を気付かせる描写は加えられませんでした。


梅毒がナンセンスとすれば「ヒ素」の入手方法に疑問が出る、そこに「番頭の前身は富山の薬売り」という設定を唐突にブッ込むことで「父親の死には番頭が関与していたのでは?」と匂わせをすることが目的でした。

そもそもヒ素で自殺というのがわりと無理があるかも。


なんなら、あね様の死についても、プロット上は母親と番頭の共犯にしていましたが、やはり世松には、そこまでの疑念は抱かせられませんでした。


いずれにしても、モヤッとした部分を残したまま終止符を打った形にはなりましたが、後悔していません。←


これからも、投げっぱなしで放置してきた不憫なモノガタリたちを少しづつ書きあげつつ、新作も更新していきたいので、よろしければ、ぜひ他のお話も読んでいただければ大変に嬉しいです。


最後まで御閲覧いただき本当にありがとうございました。


2021/06/09 心より敬愛をこめてv

こぼねサワー または 山馬路タキ(やままじたき)

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