銀二に川岸に置き去りにされたあね様が、ほどなく朦朧とした意識のまま立ち上がって前後不覚にふらついたあげく滝つぼに足をすべらせ溺れ死んだ。銀二はそう考えたのだった。
充分に無慈悲なその錯誤ですら、しかし、まだ救いがあった。真実はさらに残酷だったからだ。
銀二が退散した滝川のほとりに次にあらわれたのは、番頭さんではなく、はは様だ。そうでなくては、あね様の首に残されたアザの辻褄が合わない。
はは様は、きっと、昼餉の近くになっても戻ってこないあね様を探しに竹林の奥へと分け入ってきたのだろう。そして、滝川のほとりに倒れているあね様に気付いて血相を変えて駆け寄り、その帯をくつろげて介抱しようとした際にでも、組紐の先にブラ下がった2つの鍵を見つけてしまったのに違いない。
このあたりではついぞお目にかからない西洋型の鍵が、しかも2つ。はは様は、それが離れ屋敷の門扉の錠前の合鍵だとすぐに悟ったはずだ。
そして、その瞬間、あね様を身籠らせたのが世之介であるという忌まわしい錯誤にとり憑かれてしまったのだ。
そもそも、日に日に膨らんでいく己が娘のお腹を、はは様はそれまでどんな心持で見つめていたのだろうか。
ゆきずりの行商人が行きがけの駄賃にあね様を孕ませたとでも当て推量していたのではないかとぼくは思う。
というのも、なにしろ件の番頭さんという男が、かつては富山の薬売りの行商をしていて屋敷に商いに立ち寄っただけなのを、はは様自身がひどく気に入り強引に引き止め、そのまま番頭役に取り立てたという経緯があるからだ。それも、てて様がまだ壮健だった頃のことで、その時分の番頭さんは少し危うい雰囲気のある鯔背な若者だったそうだ。
あまつさえ、あね様の亡くなったあくる年には、はは様はこの番頭さんと再婚もしている。
いいや、はは様にとっては、あね様の腹の子の父親が誰であろうとどうでもよかったのかもしれぬ。世間体を気にするはは様のこと。下手に詮索して騒ぐほうが周りに取り沙汰されると知っていたろうし、いずれ赤子が生まれたとたん人知れずどこぞへ里子に出してしまい、何事もなかったかのように振る舞うハラヅモリだったろうから。
いかんせん、その父親が、よもや世之介だったとすれば。
ずぶ濡れのあね様の惨状を見れば、胎児はすでに助かるまいと察しのついたはずであるが、逆上したはは様を抑えることはかなわなかった。
合鍵をあつらえてまで密会を重ねていたと知れば、世之介への積年の恨みつらみも重なって、溺愛するあね様への悲憤と絶望や如何ばかり。激情にまかせて、あね様の首を組紐でしめあげた。
――あね様は意識を失ったまま、そのまま最期まで苦しまずにすんだろうか。今でもぼくは、そればかりが気がかりで。
絶命したあね様の体をはは様は引きずって、滝つぼに押し込んでから、そそくさと屋敷に帰って何食わぬ顔。
いっぽう昼もだいぶ過ぎた頃合いに、鍬をかついだ番頭さんがタケノコを探しながら滝川ぞいを丹念にたどってくれば、ついに滝つぼの渦で揺れてまわるあね様の振袖模様を見つけたというのが真実の筋書き。
くちさがない女中さんらの井戸端会議を盗み聞いて、ぼくは銀二の書き置きの内容を知り、さらに先日の朔太郎のはは様への糾弾を思い返して重ねてみれば、たやすく真実にたどりついた。さらに、滝つぼから引き上げられたあね様の亡骸に取りすがり半狂乱で嘆き悲しんでいたはは様が、同じ夜中にはキョウチクトウの植え込みの根元に凶器の組紐をこっそり埋めて隠していたということに考察がおよべば、たちまち全身が粟立った。
かくも早熟な子供だったのが仇となり、悲劇の深刻さを軽はずみに思い知らされた心にヒビが入ったか、ぼくは、それっきり一言たりとも声を発することができなくなってしまった。
はは様は、そんなぼくを、もはや他人様の目もはばからずに折檻するようになった。
あね様を墓に納めた日には、筆の跡も瑞々しく真新しい卒塔婆を両手で抱え上げるや、ぼくの背中になんべんも打ち付けた。
「あね様が死んだというのに鳴き声ひとつ漏らさないよ。ええい憎ったらしい、ふてぶてしい糞餓鬼め!」
ぼくは、たまらず亀のようにその場にうずくまった。
(堪忍して、堪忍して! はは様、ゆるして。あね様、ゆるして……)
唇は必死に動くのだが、いかんせん声が出ない。どんなに咽喉をこらしても、荒く短い息だけが吐き出されるばかりなのだ。
「お前が死ねばよかったよ、世松!」
はは様がそう叫んだ直後には、もっと激しい打擲が降ってくると覚悟して、ぎゅっと身を固くしたが、
「いけません! いけませんよ、義姉さん」
そう叫びながらぼくの上に覆いかぶさって、代わりに卒塔婆にぶたれたのは、父様の腹違いの異母弟で春吉という青年だった。
父様が亡くなってこのかた、そちらの親族とはまるっきり疎遠になっていたのが、彼だけはあね様の訃報を縁戚から伝え聞くなり自家用車を飛ばして東京を出てきて、ちょうど埋葬に間に合い立ち会ってくれていた。
「私に世松を預けちゃくれませんか、義姉さん。なまじ利発な子だけに、今のまんまじゃ心が歪にへしゃげちまいます」
そう言って春さんは、墓石の前で平気で土下座しながら、はは様に頭を下げた。
「さいわい私は中学校で教鞭を取る身ですから、子供の扱いには長けておりますし。女房が体が弱くて子を持つのをあきらめていたから、世松が来てくれれば私ら夫婦は我が子のように可愛がります」
その時、はは様はなんと答えたものか。あまりにも薄情な言葉だったには違いなく、ぼくの記憶はそれを瞬間に吐き戻してしまったから永遠に思い出すことはできまい。その程度には、はは様の愛情に未練はあったのか。
血を分けた三人の子供のうち、いちばん上の長男を幼いころから長年にわたり軟禁まがいに色狂いの亭主の玩具にくれて、にばんめの長女は自分用の着せ替え人形で猫かわいがりしたあげくは思い通りにならなくなると首を絞めて滝つぼに落とし、さんばんめの末っ子は微塵のためらいもなく二つ返事に他人に預ける。
そんな母親の愛情にも、ぼくは未練があったのだ。
やがて、ぼくは春さんの家に迎えられて、春さん夫妻と一緒に暮らすようになった。
あくる年には、はは様と番頭さんの結婚が決まったのに乗じて、春さんは、ぼくを正式に養子に入れてくれた。
世話をやくべき子供がいなくなった乳母やは、暇乞いをし、貸本屋の長男夫婦のところに身を寄せた。次男の朔太郎が、あね様の初七日の晩を境に世之介と二人一緒に村から姿を消してしまっていたから、屋敷に居づらくなったせいもあるだろう。
男同士が寄り添って蛇の首ケ滝に身投げ心中したらしいなどと言いふらす不届きな輩も湧いたが、ぼくは決して信じなかった。
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2021/06/06 次回、完結。
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