河童心中

昭和浪漫ただよう耽美な純文学ミステリー
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公開日時: 2021年6月8日(火) 09:42
更新日時: 2021年6月9日(水) 11:04
文字数:2,732

銀二に川岸に置き去りにされたあね様が、ほどなく朦朧もうろうとした意識のまま立ち上がって前後不覚にふらついたあげく滝つぼに足をすべらせ溺れ死んだ。銀二はそう考えたのだった。

充分に無慈悲なその錯誤さくごですら、しかし、まだ救いがあった。真実はさらに残酷だったからだ。


銀二が退散した滝川のほとりに次にあらわれたのは、番頭さんではなく、はは様だ。そうでなくては、あね様の首に残されたアザの辻褄つじつまが合わない。


はは様は、きっと、昼餉ひるげの近くになっても戻ってこないあね様を探しに竹林の奥へと分け入ってきたのだろう。そして、滝川のほとりに倒れているあね様に気付いて血相を変えて駆け寄り、その帯をくつろげて介抱かいほうしようとした際にでも、組紐くみひもの先にブラ下がった2つの鍵を見つけてしまったのに違いない。


このあたりではついぞお目にかからない西洋型の鍵が、しかも2つ。はは様は、それが離れ屋敷の門扉の錠前の合鍵だとすぐに悟ったはずだ。

そして、その瞬間、あね様を身籠みごもらせたのが世之介であるという忌まわしい錯誤さくごにとり憑かれてしまったのだ。


そもそも、日に日に膨らんでいくおのが娘のお腹を、はは様はそれまでどんな心持こころもちで見つめていたのだろうか。

ゆきずりの行商人が行きがけの駄賃にあね様をはらませたとでも当て推量ずいりょうしていたのではないかとぼくは思う。

というのも、なにしろくだんの番頭さんという男が、かつては富山の薬売りの行商をしていて屋敷に商いに立ち寄っただけなのを、はは様自身がひどく気に入り強引に引き止め、そのまま番頭役に取り立てたという経緯いきさつがあるからだ。それも、てて様がまだ壮健だった頃のことで、その時分じぶんの番頭さんは少しあやうい雰囲気のある鯔背いなせな若者だったそうだ。

あまつさえ、あね様の亡くなったあくる年には、はは様はこの番頭さんと再婚もしている。


いいや、はは様にとっては、あね様の腹の子の父親てておやが誰であろうとどうでもよかったのかもしれぬ。世間体を気にするはは様のこと。下手に詮索せんさくして騒ぐほうが周りに取り沙汰ざたされると知っていたろうし、いずれ赤子が生まれたとたん人知れずどこぞへ里子に出してしまい、何事もなかったかのように振る舞うハラヅモリだったろうから。

いかんせん、その父親が、よもや世之介だったとすれば。


ずぶ濡れのあね様の惨状を見れば、胎児はすでに助かるまいと察しのついたはずであるが、逆上したはは様を抑えることはかなわなかった。

合鍵をあつらえてまで密会を重ねていたと知れば、世之介への積年の恨みつらみも重なって、溺愛するあね様への悲憤ひふんと絶望や如何いかばかり。激情にまかせて、あね様の首を組紐でしめあげた。


――あね様は意識を失ったまま、そのまま最期まで苦しまずにすんだろうか。今でもぼくは、そればかりが気がかりで。


絶命したあね様の体をはは様は引きずって、滝つぼに押し込んでから、そそくさと屋敷に帰って何食わぬ顔。

いっぽう昼もだいぶ過ぎた頃合いに、くわをかついだ番頭さんがタケノコを探しながら滝川ぞいを丹念にたどってくれば、ついに滝つぼの渦で揺れてまわるあね様の振袖模様ふりそでもようを見つけたというのが真実の筋書き。


くちさがない女中さんらの井戸端会議いどばたかいぎを盗み聞いて、ぼくは銀二の書き置きの内容を知り、さらに先日の朔太郎さくたろうのはは様への糾弾きゅうだんを思い返して重ねてみれば、たやすく真実にたどりついた。さらに、滝つぼから引き上げられたあね様の亡骸なきがらに取りすがり半狂乱でなげき悲しんでいたはは様が、同じ夜中にはキョウチクトウの植え込みの根元に凶器の組紐をこっそり埋めて隠していたということに考察がおよべば、たちまち全身が粟立あわだった。

かくも早熟な子供だったのがあだとなり、悲劇の深刻さを軽はずみに思い知らされた心にヒビが入ったか、ぼくは、それっきり一言ひとことたりとも声を発することができなくなってしまった。



はは様は、そんなぼくを、もはや他人様よそさまの目もはばからずに折檻せっかんするようになった。


あね様を墓に納めた日には、筆の跡も瑞々みずみずしく真新しい卒塔婆そとばを両手で抱え上げるや、ぼくの背中になんべんも打ち付けた。

「あね様が死んだというのに鳴き声ひとつ漏らさないよ。ええい憎ったらしい、ふてぶてしい糞餓鬼くそがきめ!」


ぼくは、たまらず亀のようにその場にうずくまった。

堪忍かんにんして、堪忍かんにんして! はは様、ゆるして。あね様、ゆるして……)

唇は必死に動くのだが、いかんせん声が出ない。どんなに咽喉のどをこらしても、荒く短い息だけが吐き出されるばかりなのだ。


「お前が死ねばよかったよ、世松ときまつ!」


はは様がそう叫んだ直後には、もっと激しい打擲ちょうちゃくが降ってくると覚悟して、ぎゅっと身を固くしたが、

「いけません! いけませんよ、義姉ねえさん」

そう叫びながらぼくの上に覆いかぶさって、代わりに卒塔婆にぶたれたのは、てて様の腹違はらちがいの異母弟で春吉はるきちという青年だった。

てて様が亡くなってこのかた、そちらの親族とはまるっきり疎遠そえんになっていたのが、彼だけはあね様の訃報ふほう縁戚えんせきから伝え聞くなり自家用車を飛ばして東京を出てきて、ちょうど埋葬に間に合い立ち会ってくれていた。


「私に世松ときまつを預けちゃくれませんか、義姉ねえさん。なまじ利発りはつな子だけに、今のまんまじゃ心がいびつにへしゃげちまいます」

そう言って春さんは、墓石の前で平気で土下座しながら、はは様に頭を下げた。

「さいわい私は中学校で教鞭きょうべんを取る身ですから、子供の扱いにはけておりますし。女房が体が弱くて子を持つのをあきらめていたから、世松ときまつが来てくれれば私ら夫婦は我が子のように可愛がります」


その時、はは様はなんと答えたものか。あまりにも薄情な言葉だったには違いなく、ぼくの記憶はそれを瞬間に吐き戻してしまったから永遠に思い出すことはできまい。その程度には、はは様の愛情に未練はあったのか。

血を分けた三人の子供のうち、いちばん上の長男を幼いころから長年にわたり軟禁まがいに色狂いの亭主の玩具おもちゃにくれて、にばんめの長女は自分用の着せ替え人形で猫かわいがりしたあげくは思い通りにならなくなると首を絞めて滝つぼに落とし、さんばんめの末っ子は微塵みじんのためらいもなく二つ返事に他人に預ける。

そんな母親の愛情にも、ぼくは未練があったのだ。


やがて、ぼくは春さんの家に迎えられて、春さん夫妻と一緒に暮らすようになった。

あくる年には、はは様と番頭さんの結婚が決まったのに乗じて、春さんは、ぼくを正式に養子に入れてくれた。


世話をやくべき子供がいなくなった乳母うばやは、暇乞いとまごいをし、貸本屋の長男夫婦のところに身を寄せた。次男の朔太郎さくたろうが、あね様の初七日の晩を境に世之介よのすけと二人一緒に村から姿を消してしまっていたから、屋敷に居づらくなったせいもあるだろう。


男同士が寄り添ってじゃ首ケ滝こうべがたきに身投げ心中したらしいなどと言いふらす不届きなやからいたが、ぼくは決して信じなかった。



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2021/06/06 次回、完結

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