あね様は、とたんにケタケタと笑いだした。
「カッパだってぇ? よのさんが、カッパだって。おかしいったら、ぼぉーは!」
「いいや、おかしいことなんかないさ、お喜美ちゃん。わたしは河童の"できそこない"なんだもの、本当に」
と、離れ屋敷の主は、片頬だけに薄笑いを残したまま、
「知ってるかい? 人間が河童を飼いならしたかったら、河童が小さいうちっから、しこたま胡瓜を咥えこませるんだよ。ちっちゃなクチを押し広げて無理矢理にねぇ。そんなのが昔っから、粋な通人の流儀なんだってさ。あんたたちの"てて様"も、そうやってわたしを手なづけようとしたけど。わたしはね、どうしても、それがツラかった。おかげで、今でも胡瓜を見ただけでゾッと鳥肌がたつんだ」
そう言って、ひとつ自嘲めいた溜め息をついた。
あね様は、遠慮なく目を丸くして、大げさに驚きの声をあげた。
「おっかしいんだぁ、よのさん。カッパのくせに、キュウリがおっかないって? そんなん聞いたことないよう。カッパのくせして?」
天真爛漫で子供じみたあね様をぼくは愛していたけれど、ときおり、その無遠慮な無邪気さをうとましく感じずにはいられない場面があった。
さいわい彼は機嫌を悪くした様子はなく、こともなげに答えた。
「そうさ、河童のくせして胡瓜がおっかないんだよ。だから、できそこないなんだ、わたしは」
それから、膝を曲げてその場にスッと屈みこむと、とおった鼻筋と黒い色眼鏡をぼくの顔の前に寄せた。
「大きくなったんだねぇ、とき坊。わたしが抱っこしてあげたのを覚えてるかい?」
ぼくは、きゅっと口をつぐんで身をこわばらせたまま、ふるふると首だけを横にふった。
河童は、くつくつと鼻の奥を鳴らしながら、
「そりゃそうだよねぇ。とき坊がまだ、オムツを外せなかった時分だものね。覚えてるわけないよね」
「…………」
「ふぅん。それにしても、てて様によく似てきたねぇ……」
と、ぼくのほっぺたを軽くつねる。
すべすべした河童の指。その意外なぬくもりに、ぼくは、なぜかひどくドキドキした。
河童は、今度は、白く光る綺麗な歯並びを見せびらかすように大きく口をあけて「あはは」と笑った。
「真っ赤になって……かあいいねぇ、とき坊は」
吸血鬼にツキモノとやらの鋭利な犬歯も見当たらず。おっとりとした優しい声は、少しばかりかすれて物憂げにサビついていて、そのサビが耳の内側をザワリと摩擦するように響くのが、かえって異様に心地よかった。
当の本人がアヤカシが正体だと告白したのに、ぼくは恐れおののくどころか、彼の尋常ならざる美しさと柔和で親切な物腰に慕わしい感傷が胸に満ちあふれ、その温かい手に自分から頬をすり寄せて甘ったれたいような気分になっていた。
そんなぼくの心情を抜けがけするばかりか逆なでるように、あね様は唐突に、
「よのさんー、おにわのお風呂はいろうよー。お喜美といっしょに、はいろ?」
鼻にかかった声でねだりながら、離れの主の背中に覆いかぶさるようにしがみつくと、後ろから顔を寄せて頬ずりをしたのである。
ぼくは、なにか、不快でどろどろした澱のような感触を、腹の底に味わった。
子供ながら、あね様の言動に淫靡で不道徳な気配をかんぐってしまっていた。
「あね様ったら。いけないんだぁ、そういうのは。……駄目なんだよ!」
なにがどう駄目なのか、自分でも整理がつかぬままに、ぼくは口をとがらして、あね様を非難した。
あね様は、妙につやつやと濡れそぼった唇を河童の顔に押し当てながら、
「平気だよう。だって、よのさんは、お喜美の着物がぬげたら、またもとどおり上手に着せられるんだから。ねぇ、よのさん」
と、見当違いな答えをあっけらかんとよこして、ぼくをますます動揺させた。
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