このとき、参列者の間から目ざとく抜け出てきた朔太郎が、ひょいと母の袖を引っ張った。
ぼくの母が世間体を非常に気にする性分だということをよく心得ていたから、「おかみさん。ここでは、ちょっと」と、したりげに声をひそませたのだ。
ハッとなった母は、まわりの人々の好奇に満ちた視線に気付くや、あでやかな化粧を怠ったことのない細面を能面のようにこわばらせた。
厚く重ねた白粉の下は羞恥で真っ赤になっていたか、それとも蒼白だったのか。
女の細腕だてら、虚栄と高慢を底力に世之介の胸をぐいぐい押して広間から遠ざけると、剣呑な横顔だけをこちらに振り向け早口にまくしたてた。
「世松! さっさと襖をお締め」
鋭い語気に思わずびくりと肩をはずませてから、ぼくは命じられるままに急いで座敷の仕切りをぴしゃりと閉ざした。
座敷の控えの板の間の奥まで世之介を追い詰めれば、物見高い人の目を気にする必要もなく、母は存分に口汚く罵った。
「よくもまあ恥知らずな格好でノコノコと。本当に憎ったらしいやつ。とっとと出てお行きよ、この疫病神!」
世之介は、彼の首根っこにぶら下がるような格好でつかみかかっている小柄な母の顔を間近に見下ろし、皮肉めいた嘲笑を片頬に浮かべながら、陰惨な低い声色で言った。
「お喜美のために、線香の1本くらい。手向けさせちゃもらえないかぇ?」
その瞬間、母の形相は般若に変じた。
「世之介ーっ!」
血反吐を吐くような金切り声をしぼりあげるや、世之介の胸を肩を、ところかまわず叩きまくる。
しばらく微動だにせず他人事のように平然と母の拳を見下ろしたままの世之介だったが、やがて急に、立っているのさえ面倒になったかのような疲れ果てたていでクタリと膝を折るなり、ふらふらと後ろに腰を落とした。
母は、襦袢の割れ目から膝小僧が丸出しになるのもおかまいなく、世之介の腹の上に馬乗りに飛び乗ると、
「血を分けた妹を孕ませておきながら、よくもよくも、いけしゃあしゃあと! ひとでなし! 外道!」
と、泣きわめきながら、今度は彼の頬を右から左から両手で交互に引っ叩いた。
世之介は、薄い唇の端から血を一筋、……ハタ目には紅絹をついばんででもいるかのように風流にも見えた……垂らしながら、稀少な深緋色の双眸を上目にすえ、極端に白目がかった酷薄なまなざしをつくって母の顔を見上げた。
「血を分けた子を阿片中毒の亭主の玩具にあてがって一緒まとめに離れに閉じ込めたあんたは、外道じゃないのかぇ?」
「お、お、お黙り……」
「いけしゃアしゃアと、大長者の御寮人を気取ってフンゾリかえってやがったくせに。あんたが、ちゃんと亭主を咥えこんでてくれりゃあ、わたしだって、ここまでひねくれはしなかったものをさァ」
「お黙りったら! お前みたいな生まれついての鬼っ子が、どう転んだってマトモな人間に育つはずないじゃないか。色狂いの父親の煩悩が化身となったのが、きっとお前の正体に違いないんだから!」
「なんてまぁ。ひどいことを言ってくれるねぇ、"はは様"……」
唐突に世之介は、純白の柳眉に濃厚な愁いをただよわせ、切れ上がった眦を切なげに伏せた。赤い瞳の輪郭が揺れて、溶け出してしまいそうに見えたのは、いま思い返せば涙にうるんでいたせいだったろうか。
.
読み終わったら、ポイントを付けましょう!