河童心中

昭和浪漫ただよう耽美な純文学ミステリー
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15

公開日時: 2021年6月3日(木) 14:29
文字数:1,326

このとき、参列者の間から目ざとく抜け出てきた朔太郎さくたろうが、ひょいと母の袖を引っ張った。

ぼくの母が世間体を非常に気にする性分だということをよく心得ていたから、「おかみさん。ここでは、ちょっと」と、したりげに声をひそませたのだ。


ハッとなった母は、まわりの人々の好奇に満ちた視線に気付くや、あでやかな化粧を怠ったことのない細面を能面のようにこわばらせた。

厚く重ねた白粉おしろいの下は羞恥で真っ赤になっていたか、それとも蒼白だったのか。


女の細腕ほそうでだてら、虚栄と高慢を底力に世之介よのすけの胸をぐいぐい押して広間から遠ざけると、剣呑けんのんな横顔だけをこちらに振り向け早口にまくしたてた。

世松ときまつ! さっさとふすまをおめ」


鋭い語気に思わずびくりと肩をはずませてから、ぼくは命じられるままに急いで座敷の仕切りをぴしゃりと閉ざした。


座敷の控えの板の間の奥まで世之介を追い詰めれば、物見高い人の目を気にする必要もなく、母は存分に口汚くののしった。

「よくもまあ恥知らずな格好でノコノコと。本当に憎ったらしいやつ。とっとと出てお行きよ、この疫病神やくびょうがみ!」


世之介は、彼の首根っこにぶら下がるような格好でつかみかかっている小柄な母の顔を間近に見下ろし、皮肉めいた嘲笑を片頬に浮かべながら、陰惨な低い声色で言った。

「お喜美のために、線香の1本くらい。手向たむけさせちゃもらえないかぇ?」


その瞬間、母の形相は般若はんにゃに変じた。

「世之介ーっ!」

血反吐ちへどを吐くような金切り声をしぼりあげるや、世之介の胸を肩を、ところかまわず叩きまくる。


しばらく微動だにせず他人事ひとごとのように平然と母のこぶしを見下ろしたままの世之介だったが、やがて急に、立っているのさえ面倒になったかのような疲れ果てたていでクタリと膝を折るなり、ふらふらと後ろに腰を落とした。


母は、襦袢じゅばんの割れ目から膝小僧が丸出しになるのもおかまいなく、世之介の腹の上に馬乗りに飛び乗ると、

「血を分けた妹をはらませておきながら、よくもよくも、いけしゃあしゃあと! ひとでなし! 外道!」

と、泣きわめきながら、今度は彼の頬を右から左から両手で交互に引っぱたいた。


世之介は、薄い唇の端から血を一筋、……ハタ目には紅絹べにぎぬをついばんででもいるかのように風流にも見えた……垂らしながら、稀少な深緋色の双眸を上目にすえ、極端に白目がかった酷薄こくはくなまなざしをつくって母の顔を見上げた。

「血を分けた子を阿片あへん中毒の亭主の玩具おもちゃにあてがって一緒まとめに離れに閉じ込めたあんたは、外道じゃないのかぇ?」


「お、お、お黙り……」


「いけしゃアしゃアと、大長者の御寮人ごりょうにんを気取ってフンゾリかえってやがったくせに。あんたが、ちゃんと亭主をくわえこんでてくれりゃあ、わたしだって、ここまでひねくれはしなかったものをさァ」


「お黙りったら! お前みたいな生まれついての鬼っ子が、どう転んだってマトモな人間に育つはずないじゃないか。色狂いの父親の煩悩ぼんのうが化身となったのが、きっとお前の正体に違いないんだから!」


「なんてまぁ。ひどいことを言ってくれるねぇ、"はは様"……」

唐突とうとつに世之介は、純白の柳眉に濃厚な愁いをただよわせ、切れ上がったまなじりを切なげに伏せた。赤い瞳の輪郭が揺れて、溶け出してしまいそうに見えたのは、いま思い返せば涙にうるんでいたせいだったろうか。



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