河童心中

昭和浪漫ただよう耽美な純文学ミステリー
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公開日時: 2021年6月2日(水) 10:16
更新日時: 2021年6月2日(水) 11:06
文字数:1,418

さて、こよみの上では夏といえども山間の夜は開襟かいきんシャツと半ズボンでは寒すぎた。


ましてや、昼間でもまったく日の光と無縁の分厚い壁造りの土蔵どぞうの中は、日が暮れるとなおさら。

長年にわたって漆喰しっくいに吸収され続けてきた湿気が冷気と連れ添い背筋をかけ上ってきて、柳編やなぎあみの長尺行李ながしゃくごうりを積み重ねてある上で泣き疲れて寝こけていたぼくを、ゾクリと震わせ目覚めさせたものだ。


重い扉を内側からドンドン叩いて許しを乞うことは、はなっからあきらめていた。無駄に体力を消耗するだけだと経験で知っていた。


おなかの虫が悲しげに鳴きはじめ、ぼくのみじめさをいっそうあおる。

けれども、土蔵のてっぺんにある越屋根こしやねの開口から差し込んでくる月明かりのおかげで、かえって、日暮れ前より土蔵の一部は明るいほどで。そのことが、ぼくをずいぶん勇気づけた。


幸か不幸か、家人は、おしなべて倉庫の整理整頓せいりせいとんが得意ではなかった。

土蔵に収納するべき荷物は、ほとんど明瞭めいりょうな分別をされないまま、その都度つどの思い付きや便宜べんぎで、たまたま目に入った空き場所に漫然まんぜんと片付けられていた。

だから、いざ何かを引っぱり出そうという機会に出くわすと、奉公人一同ほうこうにん いちどうをあげて、やれどこに仕舞しまいおったかと毎度の大騒ぎになったものだ。


こちらに衣装行李いしょうごうりの山があるかと思えば、すぐそばにはすきくわだのが立てかけてあるし、その向こうには、大豆やなた豆なんぞを詰めてあるらしい麻袋が何十とザックバランに積んであるようなありさまで。


靴下を履いた足で土間の三和土たたきをうろうろするうちに、ぼくは、木製のお茶箱がいくつか並べて置いてあるのを見つけた。

手前のふたを開けると、内側にブリキを貼った箱の中に、新聞紙でくるんだたばが幾つもあるのをひとつ解くと、さらにご丁寧にヘギで包んで小分けした干し芋が現われた。別の新聞紙を開けると、そっちは干し柿だった。


ぼくは、それらを夢中で食い散らかした。なにしろ水気がないから、口に入れるそばから何度もムセ返ったけれど。

あんなに美味い干し芋と干し柿は、それきり一度も味わったことがない。


どうにか空腹をいやせば、少しは元気も出て。

さて、次は、一夜のしとねに代わるものはないかと開き直ってじっくり辺りを見わたす余裕も生まれた。


見当をつけて行李をいくつかあさっていくうちに、うまいことに、肌襦袢はだじゅばんが何枚かと掻巻かいまきが出てきた。

女物の肌襦袢は、あれは、あね様のお古だったろう。奇矯ききょうなくらいに派手な色に染めてあったもの。


あね様は、その1年ばかりの間にグンと背が伸びて手足もすんなり細長くなっていた。

胸のふくらみも急に目立って、ぼくをひそかに面食らわせた。言動は相変わらず、たどたどしく子供じみて感情的だったけれど。


掻巻のほうは、首に当たる別珍べっちんのところが少しばかりカビくさかった。

でも、ありがたいことに、中綿にはそこそこの弾力があった。

肌襦袢を数枚重ねて羽織ったうえに掻巻で全身をくるめば、充分に寒さがしのげるはずだ。


ぼくは、ホッとひとまず安堵あんどした。

ちゃっかりしたもので、こうなればせっかくだから、この土蔵での一夜を明日の学校での話題のタネにしてやろうじゃないかと急に思いつきさえした。


だとすれば、"母親にうとまれた哀れな息子の惨めな悲劇"では、とうてい格好がつかないのだ。

山奥のお屋敷から運転手付きの自動車で毎日通ってくるナマッチロくて大人しいお坊ちゃん……という悪童どもの偏見を思いっ切り見返してやるには、だんぜん、とびっきりの武勇伝が必要なわけで。


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