水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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3:俺的にギリギリアウト

公開日時: 2021年2月26日(金) 22:00
文字数:2,698

 黒板消しを動かす度に、チョークの粉が舞う。学ランの肩に降り積もっていくそれを疎ましげに思っていると、不意に隣から話しかけられた。


「……世の中不公平だよな、水無瀬」


 遠い目をして、ぼそっとそんなことを言い出したのは、クラスメートの高牧健吾だった。


 男子水泳部のキャプテン、と言ってもうちは弱小校で、部員は二人だけしかいないらしい。じゃんけんに負けたから仕方なく主将の任を務めているとか。


 ギリギリ、塩素で色素が抜けましたという言い訳の効く茶色の短髪をしていて(多分、染めている)、広い額と吊り目が特徴だ。


 高牧は申し訳程度に、びっしり書き込まれた数式の端を消しながら、返事もしていない俺にじりじりと横歩きで近づいてくる。


「イケメンで? スタイル良くて? 勉強できて? 女子とも男子とも分け隔てなく接して人気者? しかも天才ピアニスト? なんだそれ、一体神様何物与える気なの?」


 ずいっと鼻先を近づけられ、俺は眉を顰めて身を引いた。


「もしかして、御子柴のことか」


「他に誰がいるんだよ。そんな奴が二人も三人もいたら、俺、もう男やめるわ」


 いきなり性転換宣言をされても困る。俺は黙々と黒板を消す振りをして、ちらりと背後を見やった。


 二時間目と三時間目の休憩時間。朝は眠たかった生徒達も大分目が覚めてきて、教室は活気ある喧噪に包まれていた。ファッション雑誌を囲んで何やら相談し合ってる女子、スマホゲームの協力プレイにいそしむ男子、などなど。


 その中に男女混合で笑い合っている五人組がいた。男子が三人、女子が二人。特段派手な外見ではないが、どことなく垢抜けた姿の面々だ。


 輪の中心にいる御子柴が熱心に何かを喋っている。どうやらエピソードトークだったらしく、オチがついたのか、全員が腹を抱えて笑いだした。


 目尻に浮かんだ涙を拭いていた女子の一人、黒髪ロングに白い肌で「清楚だ」と学年男子の間で人気の、天野游那が潤んだ瞳でじっと御子柴の横顔を見つめている。


 御子柴は男子の一人と会話の続きをしていて気づいていない様子だった。が、不意に首を巡らせて黒板の上の時計を指差した。


 ぎくっとして黒板に向き直る。意味不明な三角関数の数式を、親の仇のように消している俺の傍らで、高牧はまだぶつくさ何かを言っている。


「天野ちゃん、御子柴のこと好きなんかなー。一組の西蓮寺と五組の英も噂立ってるぜ。これで冬城までそうだったら、四天王制覇だよな」


 高牧の口に上ったのは、いずれも学年で人気の女子達だった。そんな少年漫画の悪役みたいな呼ばれ方をしているとは知らなかったが。


「そんでさ、ムカつくのはさ、御子柴が良い奴なんだよな。お前だって席も後ろだし仲いいじゃん?」


「あーまぁ、そうだな」


「聞いてないの、彼女いるとか」


「……そういう話はあんまりしたことない」


「そっか、ちくしょー。あくまでもモテ続ける気だな?」


「い……いや、俺に教えてないだけで、いるかもしれないし」


「そうだよな、下手したら芸能人と付き合ってるかもだもんな」


「飛躍しすぎだろ」


「あり得ないと言い切れるのかい、君は!」


「知らねぇよ……」


 面倒くさいメーターが限界値を超えたので、俺は黒板消しに集中した。隣で高牧が誰へともしれない文句を言い続けている。チョークの粉って吸ったら肺に悪いのかな、とかそんなことを考えて、俺はうるさいクラスメートをスルーするのに努めた。




 あれから二限分の授業をこなし、昼休みがやってきた。購買のピロシキを手の中で弄んでいた御子柴が、いきなり俺に尋ねた。


「なんか悩み事でもあんの?」


 屋上に冬の冷たい風が吹く。今日も今日とて空は快晴、こういう日は放射冷却といって、俺には仕組みがよく分からないけど、とにかく寒くなるらしいとお天気キャスターが言っていた。


「え、急に何だよ?」


 あったかい缶コーヒーで暖を取っていた俺は、思わず目を瞬かせた。御子柴はすぐ答えず、ピロシキをもぐもぐと頬張って、ごくりと飲み下した。


「休み時間、高牧と喋ってたじゃん。ほら、二限と三限の間。黒板消してる時」


「あぁ、あれか……」


「なんとなく困ってる顔してたから」


 どうやら見られていたらしい。俺は缶コーヒーを抱いた手元に、そっと視線を落とした。


「高牧に絡まれてたんだよ。あいつ、時々うっとうしいっていうかめんどくさいっていうか、めちゃくちゃ愚痴られてさ」


「ふーん。何、言われたの?」


「それは……」


 ピロシキはすでに半分以上が御子柴の胃に収まっていた。俺が言い淀んでいる間に残りもぺろっと平らげてしまう。こいつ、異様に食べるの速いんだよな……


 御子柴の視線が会話の先を促す。缶のプルを開けて時間を稼ぎつつ、俺は重い口を開いた。


「御子柴がハイスペックだからうらやましい、とかそういう話」


「はぁ、なんて?」


「だから高牧はお前みたいに、もて……その、人気者になりたいんだって」


 改めて言葉にすると、なんだか高牧が哀れになってくる。お前もいい線いってるよ、とかフォローしてやれば良かったかな。……嘘でも。


 ふーん、と再び気のない返事をして、御子柴は購買の紙袋からあんパンを取り出した。カレーパンといいピロシキといい、とにかく具を包んだパンが好きなのだ、こいつは。


「じゃあ、水無瀬は俺が人気者だと困るんだ?」


「どうしてそうなるんだよ」


「だって困ってたじゃん」


「それは高牧がしつこかったから」


「でも俺を見て、慌てて顔逸らした」


 ……いや、バレたとは思ったけど。俺は言葉に詰まり、唇を窄めた。御子柴は組んだ足の上に頬杖をつき、含みのある笑みを浮かべて俺を覗き込んでくる。


「俺がもてると困る?」


「も、てるとか……そこまで言ってねーだろ」


「さっき言いかけた」


 ……バレたとは思ったけど!


「困るっていうか、別にその」


「じゃ、どうでもいい?」


「いいとか、よくないとかじゃなくて」


「なんだよ煮え切らねーなー」


「——、お前も高牧もしつこいっ」


 思わず隣に向かって歯を剥く。すると御子柴はにっこりと笑って、俺の肩に手を置いた。


「あいつと同列に扱うな。高牧は俺的にギリギリアウト」


「えっ、なんか悪口でも言われたの?」


「いや、なんにも言われてないけど。ただ近すぎ」


「何に?」


 御子柴はそれ以上何も言わなかった。フェンスに背中を預けると、ただただテンポ良くあんパンを食べていく。変わらぬ笑顔の言い知れぬ圧力に、なんとなく追及することが憚られた。


「俺は水無瀬がもてたら困るけどな」


「……まかり間違っても、もてねえよ」


「そりゃ安心」


 その横顔が少し柔らかくなる。どうやら話題が一区切りついたらしい。


 ……本音を暴かれなかったことに人心地つきながら、俺はほのかに甘いコーヒーを呷った。



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