水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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10−2:チョコレート・カプリチオ 中

公開日時: 2021年3月6日(土) 15:00
文字数:4,443



 昼休みになる頃には、御子柴のストレージがパンクした。


 鞄は奇妙な凹凸の球体になり、机の中もロッカーもチョコで溢れかえった。見かねた天野さんが自分のチョコを入れて来た紙袋をくれたものの、到底入りきらない。


 人の身に余る量のチョコを抱えて、傍目にも御子柴は途方に暮れていた。俺はなんとかロッカーの中に紙袋が入らないかと格闘している御子柴の隣で、悠々と教科書の整理をしていた。


「俺の方に少し入れる?」


「んー……」


 押しても引いても、紙袋は入りそうになかった。なのに御子柴は難しい顔をして唸っている。ピアニストってこんなところでも負けず嫌いなんだろうか。諦めろ、と言う代わりに手を差し出すと、御子柴はひょいっと俺のロッカーを覗き込んだ。


「へえ、綺麗にしてんじゃん」


「あ、あんまりじろじろ見るな」


「天野以外のチョコはなし、か」


「悪いかよ。……で、入れんの、入れないの」


「いや、さすがにやめとく。高牧に入れてもらうわ」


「なんでそんな火に油を注ぐようなことを……」


「今朝の仕返し」


 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、御子柴は通りすがった高牧を呼び止めた。


「なぁ、高牧。チョコ入りきらねえから、お前のロッカー間借りさしてー」


「——地獄へ落ちろッ!!」


 ぎゃんぎゃん噛みつく高牧と、笑顔で躱す御子柴を眺めながら、そりゃそうなるだろう、と俺は冷めた目で二人を眺めていた。


 しばらくすると驚くべきことに話がついたらしく、高牧はぷりぷり怒りつつも御子柴から紙袋を受け取っていた。ようやく肩の荷が下りたとばかりに、御子柴は弾むような足取りで戻ってきた。


「お待たせ。昼食いにいこうぜ」


 昼飯を持って御子柴と教室を出る。いつもは賑やかなだけの廊下にも、どことなく甘ったるい雰囲気が漂っていた。


「にしても、よく説得できたな」


「今度、牛丼おごるって言っといた」


 ……安すぎるぞ、高牧。


「並盛りじゃないから。超特大盛りだから」


「いや、知らんけど……。てことは、一緒に食べに行くのか?」


「行かねーよ。うちにギフトカードあったはずだから、それやる」


「扱い、酷……」


「そんなことより、土日のどっちか、ラーメン食いにいかね? 元町商店街の近くに塩のうまいところあってさー」


 華麗に話題をシフトしつつ、御子柴は屋上の扉を開いた。


 今更だけど、屋上は本来出入り禁止だ。けど、ゆるゆるなうちの学校らしく、壊れた鍵をそのままにしている。


 フェンス近くの指定席に向かおうとしたところで、貯水タンクの陰から誰かの話し声が聞こえた。気になってちらっと見やると、とんでもない光景が広がっていた。


 知らない男子と女子が、抱き合ってキスをしていた。男子は受け取ったばかりであろうチョコレートのパッケージを胸に抱いていた。二人は完全に自分の世界に入っていて、俺たちの存在には気づいていない。そして御子柴も呑気に塩ラーメンの話をしていて、気づいていない。


 俺は叫び出したいのをこらえて、御子柴の胴体に後ろからしがみついた。腕の中にある体が僅かに強張る。


「……!」


「み、御子柴、駄目……こっち、戻ろう」


 俺は両腕でぐいぐいと御子柴を引っ張り、なんとか屋上から戻ることに成功した。


 きょとんとしている御子柴から離れ、ドアを静かに閉める。慎重に聞き耳を立てるが、二人が騒いでいる様子はない。どうやら気づかれずに済んだようだ。


「何ごと?」


「いや。そ、その、人がいて。二人……キスしてた。こう、抱き合って、タンクの裏で」


「あらら」


「冷静かよ……」


 まぁ、現場を目撃していないから無理もないが。俺はというと冷や汗と頬の火照りが酷かった。さすがはバレンタイン。あの裏寂れた屋上に人がいたことなんて、今まで一回もないのに。


 御子柴は屋上への扉を呆れたように見やった。そしてのそのそとその場に座り込む。


「しゃーねーな。ここで食べる? ちょっと埃っぽいけど」


「いや、メンタル激強か。裏にいちゃついてるカップルいんだぞ」


「お互い様じゃん」


 ……なんかとんでもないことを言われた気がしたが、俺は言い返す気力もなく、ぐったりと御子柴の隣にしゃがみこんだ。


 薄暗い踊り場の底冷えする空気が、俺を熱を少し冷ましてくれた。


 御子柴はコロッケパンをぱくぱくと食べ始めている。俺はというとなんとなく食う気になれず、カフェオレを啜った。早速、一つパンを食べ終えた御子柴がやにわに苦笑した。


「お前、顔赤すぎ。どんだけ熱烈だったわけ?」


「そんなには……なんだけど。た、他人のやつ、生で見ることってねーじゃん。だから……ちょっとあれで」


「自分はもっとあれなくせに?」


 気がついた時には、紙パックを握りつぶしていた。げほごほと咽せる俺を横目に、御子柴はジャムパンにかぶりつこうとしていた。俺は思わずその腕を掴んで、御子柴の食事に水を差す。


「お前、いい加減にしろよ。いっつもいっつも、俺が食べてる時か飲んでる時狙ってんだろ!」


「はは、バレた」


 さらに食ってかかろうとすると、御子柴は俺の唇に人差し指を宛がって、しー、と警告した。俺ははっとして、浮かしかけた腰をそろそろと下ろす。


「別に、お、俺だって、あれ以上は……。っていうか、俺があれならお前もあれだからな」


「——水無瀬クン、ところであれって何?」


「うるさいばか」


 強めに脇腹を小突いたが、御子柴はどこ吹く風と言わんばかりに、踊り場の壁にもたれかかった。


「さっきさー、水無瀬が抱きついてきたじゃん?」


「だ、抱きついてない」


 あれは御子柴を止めようとしただけだ。ただ、こいつの耳は都合の悪いことを受け流すようにできているので、俺の否定など聞きもしない。


「正直、ちょっと期待したわー……」


「は? 何を?」


「で、結局は、あれがあれですか。そうですか。はぁー……」


 全く意味不明なことをのたまいながら、御子柴はそのままずるずると壁伝いに落ちていき、ついには床に転がってしまった。こちらに背を向けて、どこかふてくされたように黙り込む。


 不貞寝したいのはこっちの方だ。俺は甚だ遺憾だとばかりに、音を立ててカフェオレを吸い続けていた。




 昇降口の外に広がる校庭に茜が差している。


 紛うことなき夕方だが、御子柴の下駄箱には朝と同じ光景が広がっていた。


 御子柴は何かの業者みたいに慣れた手つきで次々と紙袋にチョコをしまっていく。ちなみに二つ目の紙袋である。これほどではないが、同じくモテ男である設楽から分けてもらったものだ。曰く、バレンタインの日は最初から用意しておけとのこと。俺や高牧とは完全に住む世界が違う。


 俺はスニーカーに足を突っ込みながら、御子柴に言った。


「そういえば、目乙木があとで数教えてくれだって。新聞部で集計してランキングにするんだと」


「断る」


 ようやく御子柴のスニーカーが見えてきた。二人、連れ立って帰路に着く。女子達の好意の重みは相当のようで、御子柴の手の平には紙袋の紐が食い込んでいた。こうなると俺としてはピアニストの手のことがどうしても気になってしまう。


「片方持とうか」


「いいよ」


「でも……」


「いいって」


 その頑なな口調に、俺は気が引けて黙り込んだ。さしものハイスペ男も相当疲れたらしい。そっとしておいた方がいいだろう。


 黄昏時の住宅街は静かだった。時折、どこかの家から夕食の匂いが漂ってくる。あれは魚の煮付けだろうか、こっちはカレーだろうか。ああ、うちは何にしようかな——と思い巡らせている間に、御子柴と別れる道まで来てしまった。


 未だどことなくむすっとしている御子柴を、労うべく声をかける。


「お疲れ様。ゆっくり休めよ」


「あー、うん」


「じゃあ、また明日な」


 踵を返して、家路を急ぐ。


 学童に美海を迎えに行って、それからスーパーに寄らなくてはならない。


 今日一日、嘘みたいな光景を見ていたからか、特に何事もなかった俺もなんとなく疲れていた。


 ご飯は炊いてあるし、味噌汁も昨日の残りがある。簡単に豚の生姜焼きにでもするか——


「うわっ」


 唐突に、手首が強く引っ張られた。ぎょっとして振り返ると、別れたはずの御子柴が追いかけてきていた。


「な、何?」


 御子柴はしばらく俯いていた。やっぱり荷物を持って家まで送った方がいいんだろうか? などと考えていると、思わぬ言葉が飛んできた。


「——チョコは」


「はい?」


「お前からは」


 じとっと睨んでくる視線に、俺は呆気に取られた。チョ……え、チョコ? 俺? なんで?


 ——あ、そうか。


 俺って一応、こいつと……そうか……


「……ごめん、ない」


「だと思ったわぁぁぁ」


 途端に、御子柴は全身を脱力させる。


「知ってたわ。分かってたのに、くそ、最後まで期待したぁ……!」


「お前、もしかして昼休み言ってたのって」


「あーもー!」


 御子柴は俺の言葉をかき消すように叫び、わしゃわしゃと髪を掻きむしっている。俺はむっとして口を尖らせた。


「つーかさ、この場合、どっちがやるわけ。お前だって持ってきてないくせに」


「あるよ、チョコじゃないけど」


「え?」


 思わぬ返事に動きが止まる。御子柴は鞄から濃紺の不織布の包みを取り出した。銀色のリボンで口が縛られ、右下の隅に百貨店のロゴが入っている。


「ん」


 胸元に押しつけられるように差し出されたそれを、反射的に受け取る。中身は柔らかくふわふわしていた。


 なんと言っていいか分からず、お窺いを立てるように御子柴を見上げる。


「あ、開けてもいい?」


「……うん」


 緊張しながら包みを開くと、中に入っていたのはマフラーだった。ダークブラウンを基調とした大きいチェック柄が入っている。なんか分からないけどすごいおしゃれだ。そしてびっくりするほど手触りがいい。今更だけど、これかなり高価なものなんじゃ……


「あ、あの、俺、ごめん、こんな、ええと——」


「貸して」


 さっと奪い取ったマフラーを御子柴は俺の首にかけた。輪っかにしたところへ、もう一方の端を突っ込む、シンプルな巻き方だ。


 寒風にさらされていた首元がふわりとしたぬくもりに包まれる。御子柴は結び目をぽんと叩いて、相好を崩した。


「似合ってんじゃん」


 俺はとっさにマフラーの中へ口元を埋めた。御子柴は満足そうに続ける。


「前から、首元寒そうだなって思ってたんだよな。よしよし」


「御子柴、その」


「あ、タグは外してもらってるから、大丈夫」


「いや、そうじゃなくて」


 さっきまでの自分が極悪人のように感じ、たまらず頭を下げる。


「ほんとにごめん。俺、マジで何も用意してなくて」


「いいじゃん、そのためにホワイトデーっつーもんがあんだし」


「あ、そうか。頑張る」


「頑張るんだ」


「うん。や、こんなにいいもん買えるかな……。なんとか貯める」


 御子柴は途端に噴き出すと、俺の髪を手の平でかき混ぜた。


「嘘だよ、あんま気にすんなって。俺の自己満だから」


 ……これを笑顔でさらっと言うんだから、憎らしいことこの上ない。俺はやや乱れた髪を整えつつ、マフラーの中でそっと溜息をついた。


「じゃ、明日な」


 軽く手を挙げ、御子柴は踵を返した。俺はマフラーの手触りを確かめながら、なんとはなしにしばらくその背中を見送っていた。




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