水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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二年生一学期編

18:ただ一つの春に出会う

公開日時: 2021年6月28日(月) 08:38
文字数:4,073



 どちらかというと、春は憂鬱な季節だ。


 通学路の桜並木は爛漫と咲き誇っている。一年間通った慣れた道のはずなのに、この日ばかりはどこか違う世界に迷い込んだようだった。


 同じ高校の制服の生徒が、前後に連なっている。


 今日から新学期だった。


 中には真新しい制服の新入生もいる。彼らの期待と不安はいかばかりかと思う。それらはよく半々だなんていうけれど、俺の場合は期待はそこそこで、新しい環境への不安の方が大きい。


 正門をくぐる。アスファルトの道を進んですぐ、昇降口の前にクラス表が張り出されていた。


 多くの生徒がたむろしていて、歓声を上げたり、落胆の溜息をついたりしている。俺は人垣にそろそろと近づいて、遠目に表を眺めた。


 水無瀬晴希、という名前は実に見つけにくい。


 最初の方でもなく、最後の方でもなく、中途半端な位置で、それでいて特に目立つ漢字がない。


 新二年生であるところの俺は、二年一組から順に中盤より後ろあたりの名前を探した。


 ……あ、二組だ。


 全部で七学級ある中でも早い方で助かった。


 俺はついで同じクラスの面子を、目を皿のようにして見た。


 そして心の中で、うーん、と唸る。


「おっす、水無瀬。はよー」


 ぽすっと背中を叩いたのは、友人の杉原だった。吹奏楽部のトロンボーン担当だが、五分刈りの髪型はまるで野球部のようだ。二組の名簿に杉原の名前はなかった。


「おはよ。クラス、分かれたな」


「え、そうなの? 俺、何組だった?」


「いや、それは知らねえよ……」


 杉原は五組だった。


 俺は位置の変わった下駄箱にスニーカーを突っ込み、上履きに履き替えた。杉原とは二階の廊下で別れた。


 杉原に限らず、一年の時、特に仲の良かった友人の名前は、残念ながら見当たらなかった。ほとんど一から人間関係を構築しなければならないかと思うと、正直言って憂鬱だ。


 二年二組の教室は半分ほどが埋まっていた。


 まだ始業式まで時間があるので妥当な人数だろう。さっそく輪になって話をしている女子グループや、知り合い同士盛りあがっている男子グループ。その他は申し訳程度に近くの席のクラスメートと話したり、一人でぼんやりしている。


 俺は黒板に張り出された席順に従って、自席に腰を落ち着けた。


 教室の窓は少しずつ空いていた。春のそよ風に揺られてカーテンがなびいている。軽やかだけど、生ぬるくて、少し湿気を含んだような、濃い春の匂いがした。近くの桜の木から、気まぐれに花びらが教室内に舞い込む。俺はその様子をぼうっと眺めていた。


 教室の入り口からにわかに声が上がった。


 何かと思うと、背の高い男子が一人、教室に入ってくるところだった。友人だろうか、ドア付近にいたちょっとチャラそうな男子が「イエーイ」とテンションも高くハイタッチを要求している。


 今し方入ってきた男子は呆れ顔をしつつ、それに応じている。


 そいつはなんというか、ちょっとすごかった。


 すらりと足が長く、スタイルがいい。特になんの変哲もない学ランすら、モデルのように着こなしている。小さな顔は男ですら思わず振り返ってしまうほど整っていた。黒目がちの瞳に、形のいい鼻梁。他の友人達に笑いかける口は大きめで、笑顔がよく似合っている。


 誰かが彼を「みこしば」と呼んだ。俺はそこで初めて思い当たる人物がいた。


 同級生にピアニストがいるらしい、という話を聞いたことがある。


 ピアノがうまいとか、習ってるとかではなく、本物のプロピアニストが。


 中学生でアメリカだかイギリスだかのコンクールで入賞し、そこから有名になって、コンサートに出たり、ソロでリサイタルを開いたり。国内外問わず遠征していて、学校を休むこともしばしば。


 そして極めつけは目が覚めるほどのイケメンだとか。


 ああ、あれが、と思った。同じクラスになったのか。


 そいつは顔が広いのか、行く先々で挨拶を交わし、ようやく席に辿り着いた。それがなんと俺の目の前だった。そうか、同じ「み」だったら、確かにこうなるだろう。


 のんびりとペンケースやノートを机の中に入れて、一息ついている。俺は話しかけるチャンスかもしれない、と思った。こんなきらきらした学年の有名人に声をかけるのは気が引けるけど、それだけ話題があるというか、とっかかりがあるというか。


 だから俺はなけなしの勇気を振りしぼって、目の前の背中をちょいっと突いた。


「——ん?」


 振り返った表情は人好きのする微笑を浮かべていた。


 俺は一瞬呆気に取られた。近くで見ると、馬鹿みたいに綺麗な顔をしていた。癖のない髪はさらさらのつやつや。黒々とした瞳は深い夜空のような色をしている。形のいい顔の輪郭に収まったパーツは計算されつくしたように整っている。


 噂に違わぬイケメンっぷりに圧倒された俺は、間抜けなことを尋ねた。


「ピアノの人だよな?」


「ピアノの人って。ピアニストな」


 肩を揺らして、笑みを深くする。いや、ほんとだよ。ピアノの人って。俺は恥ずかしさを誤魔化すように続けた。


「ええっと。御子柴、だっけ?」


「そう、御子柴。前後同士、よろしくな」


 御子柴は俺の名札をちらりと見やった。


「——水無瀬」


 大きな手が差し出される。長い指がこちらを向いていた。男らしく節くれ立っていて、でも白くて綺麗だった。思わず握り返すと、分厚い手の皮と体温を感じた。


 御子柴は二、三度、手を上下させると、満足したようにぱっと離した。


「水無瀬は元何組?」


「三組。御子柴は……一組だっけ?」


「よく知ってんなー」


「有名人だから」


「そお?」


 首を傾げる仕草すら様になっている。確かこいつ、成績も上位なんだよな。しかも学年一桁台の。……一体、神様は何物を与えたんだろうか。


「水無瀬ってなかなか珍しい名字だよな」


「いや、御子柴には負けるけど」


 知らなかったら何て読むのかと思っただろう。御子柴もそう返されることを予想していたのか「あはは、だよなー」と明るく笑った。


 俺もまた口元を緩めた。一見して人気者だけあって、御子柴は人当たりが良かった。親しくなれるかどうかは分からないけれど、少なくとも近くにこういう級友がいてくれれば安心だ。


 と、そこへ背後から衝撃が来た。


「みーなせ!」


「うわっ」


 いきなり肩を組まれて、俺はびくっと身を竦めた。


 振り返ると、クラスメートであろう男子がにこにこと俺を見ている。


 短い髪にちょっとつり目がちの顔。完全に見知らぬ生徒だった。なんだ、初対面なのにこの慣れ慣れしさは。人違いされたのかと思ったけど、さっき呼んだのは明らかに俺の名前だった。


 困惑顔の俺に、そいつはしきりに自分を指差した。


「なんだよ、忘れたのかよ。俺、俺!」


「え、えと」


「何それ、詐欺?」


 そんな突っ込みを入れて、助け船を出したのは御子柴だった。椅子の上で体を反転させて、俺の机に頬杖をつき、オレオレ男子を覗き込んでいる。


「ちーっす、俺、高牧っす。水無瀬の親友っす!」


 何故か敬語で高牧と名乗った男子は、御子柴に敬礼した。高牧? 親友? 心当たりが全然ない。


「ちっす、御子柴っす。へー、親友なの?」


「いや、ちが……」


「んだよ、冷たいな。同中だったじゃん。クラスは全然違ったけど」


 そんな奴が親友なわけあるか。調子のいいことばっかり言ってる高牧の腕を、俺はひっぺがそうと必死にもがいた。


 そこへ教室の前方から、声が飛んできた。


「ねー、御子柴。游那がちょっと挨拶したいんだってー。こっちこーい!」


「べ、別に挨拶とかないよ……!」


 見ると、盛りあがっていた女子グループだった。気の強そうな女子が御子柴を手招きしていて、その隣にいる清楚美人な女子がしきりに恐縮している。


 御子柴は「はいはい」と二つ返事をして、そちらへ向かった。どうやら三人は元々同じクラスだったらしく、游那と呼ばれた女子が「こ、今年もよろしくね」と照れくさそうに言っていた。


「いいところに目をつけたな、水無瀬よ」


 近い近い、顔が近い。かなり距離感がおかしい高牧に、俺は閉口した。っていうかホント誰なんだよ、こいつ。


「御子柴とお近づきになれば、おこぼれに預かれるぞ」


「おこぼれ?」


「なーにとぼけちゃってんすか、先生。女子っすよ、女子。御子柴を餌にお近づきになろうっていう寸法でしょ?」


 こいつ、そんなゲスいことを考えてたのか……。俺が冷たい目で見ていると、高牧は至近距離でツバを飛ばしてきた。


「なんだよっ、俺は手段を選ばねえぜ。お前を利用して御子柴に近づいてさらに彼女を作るッ!」


 単純に女子と仲良くなればいいだろうに……。出会ったばかりで悪いが、ちょっと馬鹿なんだろうな、と思った。


「というわけで、よろしくな」


「今ので、どうよろしくってなるんだよ」


「作戦会議しようぜ。お前、誰狙い?」


「誰も狙ってない……」


 勝手に御子柴の席に座って、高牧はずいっと身を寄せてくる。ああでもないこうでもないと勝手に喋る高牧に辟易していると、横からぱんぱんと手を打つ音が聞こえてきた。いつの間にか御子柴が戻ってきていた。


「はい、どいてください。えーと、高牧だっけ? 篠原が呼んでたぜ」


「えっ? まさか天野ちゃんが俺にも挨拶を……!?」


 高牧はにんじんをぶらさげられた馬のように、女子グループの元に走って行った。そして気の強い女子——篠原に「いや、呼んでねーし」と冷たくあしらわれるのに、しつこく食い下がっていた。


「呼んでないって言ってるけど」


「いや、なんか大丈夫かなって思って」


 何がだろう、と首を傾げると、鼻先に指を差された。


「絡まれてるっぽかったから」


 一瞬きょとんとした後、ああ、俺のことか、と思い当たる。どうやら御子柴は心配してくれていたらしい。俺は肩を竦めて苦笑した。


「まぁ、悪い奴じゃなさそうだし。ちょっと馬鹿っぽいし、暑苦しいけど」


「それ、迷惑って言わね?」


 尚も眉を顰めている御子柴に、俺は思わず言った。


「御子柴って良い奴なんだな」


 御子柴はきょとんと目を瞬かせたが、やがて口元に弧を描いた。


「そういう水無瀬は良い奴すぎて、騙されやすそう」


「え、ええ?」


「じょーだんですよ」


 がらりと教室のドアが開いて、担任の教師が入ってくる。御子柴はいたずらっぽい笑みを残して、前を向いた。



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