水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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15−3:白い彗星 3

公開日時: 2021年4月14日(水) 12:18
文字数:4,285


「御子柴ぁ! 帰ってねーだろーな!?」


 放課後になると、昼休みと同じく春日井先輩の怒鳴り声が教室中に木霊した。御子柴は溜息を吐きつつも、春日井先輩にへらりと笑ってついていく。


 ちなみに次の日の火曜日も、水曜日も、昼と放課後には同じ光景が繰り返された。お決まりのように、御子柴が春日井先輩の身長をいじっては、先輩がきーきー怒るという構図も一緒だ。


「なんかあの二人、漫才師みたいだよな。いんじゃん、今流行ってる凸凹コンビ。なんつったかなー」


 当然のように御子柴の席を陣取って、高牧が弁当を広げながら言う。曰く、御子柴に捨てられた俺に同情してくれているらしい。大きなお世話だ。


 そして俺の右隣には、たまには一緒に昼飯を食べようと誘ってくれた設楽がいる。今日はたまたま部活の昼練がないとか。


「ああ、俺も見たことあるよ。確か若い夫婦の漫才師だよな」


「ふ、ふうふ?」


 BLTサンドをかじり損ねる。設楽はのんびりと頷いた。


「うん。蚤の夫婦って言うんだっけ、ああいうの。奥さんが背高くて、旦那さんが背低いんだよ」


「あ、そ、そうなんだ……」


 胸の中に黒いもやが溜まっていくのを感じる。なんだこれ。なんか気持ち悪い。サンドウィッチを呑み込んでも、カフェオレを流し込んでも、それは一向に消化される気配はなかった。


 そんなとりとめもない話をしているうちに、御子柴が帰ってきた。とりあえず高牧をどかして、どっかと席に座る。眉間に皺の寄った、仏頂面だ。高牧が慇懃に頭を下げた。


「殿、温めておきました」


「よし、打ち首」


「なんでだよ! お前がいない間、代わりに水無瀬を可愛がってやってたんだぜ?」


 俺に抱きついて頬ずりしてくる高牧の脳天を、御子柴は無言で三回叩いた。しかも結構いい音がした。それを見た設楽が肩を小刻みに揺らして笑う。


 今日も今日とて俺の周囲は平和そのもので大変結構だが、件のタイムリミットは刻一刻と迫っている。もう木曜日だ。いい加減、ちゃんと話をしなくては。


 高牧と設楽が去った後、俺は小声で御子柴に言った。


「……今日、放課後待ってる」


「え? いや、別にいいよ。時間かかるし」


「でも、待ってる」


 念押しすると、御子柴はふと思案顔を浮かべた。そこへ五時間目の化学の教師がやってきて、授業が始まってしまう。


 返事はついぞ聞けず終いだった。





 廊下の窓から差す茜色の西日を背負って、その小柄な人影は今日もやってきた。


「オラ、行くぞ、御子柴ぁ」


 月曜日から数えて四日目ともなると、うちのクラスの連中も慣れたもので、春日井先輩に見向きもしない。呼ばれた御子柴だけが溜息とともに、重い腰を上げるだけだ。


 俺はというと、不退転の覚悟で自席に根を下ろしていた。どれだけ時間がかかるかは聞けなかったが、関係ない。御子柴が戻ってくるまで座して待つのみだ。


 御子柴はちらりと視線を動かし、俺と春日井先輩を見比べていた。


 そして業を煮やした先輩がずかずかやってくるのを見計らって、唐突に俺を指差した。


「先輩、今日は助っ人呼びません?」


「は?」


「こいつ、水無瀬っていうんです。細かい作業とか得意だし、役に立つかと」


 いきなり名指しされた俺は「え?」と思わず声を上げる。


 春日井先輩の眼光が俺を過り、ついで御子柴を睨み付けた。


「てめー、最低か。関係ねえ奴、巻き込んでんじゃねーよ」


 それはおそらく普通に聞くと、俺を気遣ってくれた言葉なのだろう。


 けど、今の俺にとっては引っかかる単語があった。


 ……関係ねえ奴?


 がたっと椅子が鳴る。気がつくと俺は立ち上がっていた。


「——関係なくないです」


 地を這うような声色に、自分でも驚いた。もちろん御子柴と春日井先輩も目を丸くしている。


「水無瀬?」


「は? どういう意味?」


 春日井先輩が首を傾げて、腕を組む。改めてそう問われると冷静になり、俺はさっきの自分の言動を取り繕い始めた。


「いや……えっと、今日、御子柴と放課後用事があって……。どうせ待ってようかなって思ってたんで。やることないし、俺に出来ることなら手伝います」


 春日井先輩は俺を値踏みするように見ていたが、やがて首を横に振った。


「一応、学校の生徒会っつっても選挙は選挙だ。委員以外のやつを入れるわけにはいかねー」


 い、意外と真面目だな、この先輩……。突っぱねられて俺が弱り果てていると、御子柴が横から援護した。


「集計以外の作業ならいいじゃないっすか。書類の整理とかまだ残ってるって言ってたし」


「まぁ、そりゃそうだが」


「ほら先輩、いっつも猫の手も借りてーって言ってんじゃん。あれ、ほんとに言う人初めて見たけど」


「お前はいちいちうっせーな!」


「痛いって」


 春日井先輩は御子柴の脇腹にパンチを入れる。……なんでこの人、こんなに暴力的なんだ。御子柴が怒らないと高を括っているんだろうか?


 自分の目が再び据わり始めたのを感じていたその時、春日井先輩は後ろ頭を掻きながら俺に言った。


「あーまぁ、そういうことだから。手伝うってんなら入れてやってもいいぜ。ただし茶と菓子ぐらいしか出ねーぞ」


「分かりました」


 三人で連れ立って教室を出る。大股でのしのしと先を歩く春日井先輩から離れ、御子柴は俺にそっと耳打ちしてきた。


「勝手に言ってごめんな」


「いいよ、暇つぶしになるし」


 これで御子柴の仕事が早く終わるなら、俺にとっても僥倖だ。しかも御子柴と一緒にいられる。と、そこまで考えて、俺はとっさに俯いた。いやいや、何恥ずいこと言ってんだ、バカ。


「オイ、御子柴、てめーはこっちだ。逃げられたら困るからな!」


「はいはい」


 春日井先輩に呼ばれ、御子柴は小走りに駆け寄ってその隣に並んだ。


「今更逃げねっすよ。ただ先輩を気づかずに、通り越しちゃうことはあるかもだけど」


「俺が小さくて見えねえって言いたいのか? あ?」


「自分で言っちゃってんじゃん」


「てめー、マジで一回シメる」


 高牧と設楽が言っていた、背が凸凹の夫婦漫才師のことを思い出す。委員会室に着くまでの間、なんのかんのと言葉の応酬を繰り広げている二人の背中を、俺はじいっと眺めていた。





 選挙管理委員会の部屋は教室の半分ほどの広さだった。いつもは生徒会室で、そこを選挙の間だけ間借りするというシステムらしい。壁一面にキャビネットが置かれていて、中には本や書類やファイルが敷き詰められている。


 長机をいくつも並べて作った広い作業スペースに、クラスから一人選出された委員が張り付いて作業をしている。今は集計した投票結果をもう一度チェックしている段階らしく、ところどころから溜息が聞こえてきた。


「副会長候補の東条さんの結果、また合いません〜」


「書記ってもうダントツだし、数えなくてもよくないっすか?」


「あー、もうやだー、この紙見飽きた〜」


「——うるせえ、つべこべ言わず作業しろ!」


 文句だらだらの委員の面々を、春日井先輩が一喝する。この先輩、やけに責任感に溢れていると思ったら、委員長らしい。


「相変わらず暑苦しい男だよねえ」


 一人離れた座席に座っている俺に声をかけてきたのは、副委員長の嶋村瞳子先輩だった。肩より少し長いセミロングの黒髪に、細い赤縁眼鏡がよく映えている。


 嶋村先輩は俺の向かいに座ると、一緒に書類のファイリングを手伝ってくれた。


「君、春日井が連れてきたんだって? 悪いね、委員でもないのに」


「あ、いえ。御子柴を待ってるついでなので……」


「あぁ、みこっしーのクラスメートなんだっけ」


 どこかのゆるキャラみたいな呼ばれ方をしているのに、思わず苦笑する。嶋村先輩は眼鏡の奥からちらりと作業スペースを見やった。つられて俺も首を巡らせると、隣り合った席でやいのやいのと言い合っている御子柴と春日井先輩がいた。


「オイ、御子柴、カッター取れ」


「いいっすよ、俺、手足長いんで」


「届かねえんじゃねえよ!」


「えー、じゃあ自分で取ったらいいじゃん」


「てめえに頼んだ俺が馬鹿だったよ。……っ、——っっ!」


「はい、どーぞ」


「にやにやすんな、ぶっ飛ばすぞ!」


 俺は軽く後悔を覚えながら、書類を綴じる作業に戻った。一方の嶋村先輩は肩をくつくつと震わせている。


「あの二人、見てて飽きないんだよねえ」


「……確か、中学の先輩後輩なんでしたっけ」


「そうそう。前からあんな調子だったのかなぁ」


 中学時代——それは俺が知らない、そしてこれからも知りようがない御子柴だ。詮無い思考から逃れるように、俺は作業に集中する。


 そこへガタガタと音が聞こえてきた。見れば、春日井先輩が脚立を物置のロッカーから引っ張り出してくるところだった。お目当てはキャビネットの上にある段ボールらしい。


 脚立は年代物で、遠目から見ても足場が安定しておらず、いかにも危なっかしい。それに目聡く気づいた御子柴が立ち上がった。


「取りましょうか?」


「もうてめえには頼らねえよ」


「俺なら脚立なしでも届くのに」


「うるっせえな、いいからちょっと押さえてろ」


 渋い顔をして脚立に登る春日井先輩を、俺は白い目で見つめた。


 どうせ脚立を押さえさせるなら、御子柴に取って貰った方が早いし確実だ。そんなこと分かりきっているのに、苦笑しながら春日井先輩の言いつけ通りにする御子柴も御子柴である。


「なんか面白いことにならないかな」


 嶋村先輩の期待は現実のものとなった。


 脚立の上で精一杯背伸びして、ようやく段ボールに手が届いた春日井先輩が、ふいにバランスを崩したのだ。


「——うおっ!?」


 段ボールとその中身が宙に舞う。ファイリングされていない書類の雨の中、春日井先輩がゆっくりと後ろに倒れ込んでいく。


 その場にいた全員が息を呑んだ。


 しかし、


「っ、と」


 ぽすっと軽い音を立てて、春日井先輩が収まったのは、御子柴の腕の中だった。天井に向けて腕を伸ばした状態で、横抱きにされている春日井先輩。その図に委員の女子達がきゃあきゃあと歓声を上げた。


「すっごーい、少女マンガみたい!」


「お姫様抱っこって初めて見た〜」


「プリンセスじゃん、春日井。あっはっは!」


「——うるせえええッ!」


 春日井先輩は御子柴から飛び降り、顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいる。


 ——不意に、手元でバリッという音がした。


 はっと我に返ると、ファイルに綴じたはずの書類が穴から破けていた。紙の端に強く握りしめたような皺が寄っている。


 腹を抱えて笑っていた嶋村先輩が、涙を拭いながら言う。


「あはは、驚いて力入っちゃった?」


「い、いえその、はい。すみません……」


「大丈夫、穴を補強するシールあるから。取ってくんね」


 嶋村先輩が椅子を引いて立ち上がる。作業スペースでは未だ歓声や笑い声が響いている。俺は破ってしまった書類を、親の仇のようにじっと睨んでいた。




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