水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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8:俺、今、好きな奴いんだよ

公開日時: 2021年3月4日(木) 22:00
文字数:3,427

 四時間目が終わり、弛緩した空気が教室を包む。前の休み時間に購買へ行っていた俺は、机のフックに下げていたビニール袋を手に取った。クラスの喧噪の中、御子柴がくるっとこちらを向いた。


「俺、今から買ってくるわ」


「ん」


 先に屋上へ向かうべく席を立とうとしたその時、俺の頭上に色濃い人影が落ちた。全身が総毛立つほどの悪寒を感じて顔を上げると、そこには般若のような顔をした高牧が腕を組んで仁王立ちしていた。


「オイィィィ、水無瀬ぇえええ……」


 高牧のこめかみに血管が浮いて、ぴくぴくと動いている。俺を見下ろす顔の角度は鼻の穴が丸見えになるほどだ。思わずたじろいで椅子ごと後じさる。


 俺と高牧の間に割ってはいったのは、前の席から身を乗り出した御子柴だった。


「なにかな〜、高牧くん。俺たちこれからメシなんだけど?」


「俺は水無瀬に用があんだよ、ひっこんでろ。てか、俺じゃないけどさ……」


 いきなり高牧の語尾が萎み、表情がすっと消えた。むしろ打って変わって、ちょっと泣きそうな顔をしている。もうこいつの情緒についていけない。気にせず御子柴を購買に送り出そうとしたその時、高牧が気の進まない様子で親指を教室の出入り口に向けた。


「水無瀬くんに、お客さんです……」


 御子柴とともにそちらを見やると、開いた引き戸に寄り添うようにして、一人の女子が立っていた。


 制服のブレザーにグレーのベストを合わせ、膝下スカートから覗く足には、紺のハイソックスを穿いている。ミディアムボブは艶やかな黒色で、白い肌にとてもよく似合っていた。女子の中でも背は低めだろう。所在なさげに立っている様子は、まるでか弱い小動物のように見えた。


「誰だろ……」


 遠目からでは、思い当たる知り合いがいなかった。すっかりしょぼくれた高牧がぼそぼそと喋る。


「一年一組の藍沢千秋です、って言ってたぞ。お前に用事あんだって」


「藍沢?」


 それは中学時代の部活の後輩だった。ただ、俺の記憶とは外見がかなり違う。


「真っ赤な顔で、あせあせしちゃってさ。めちゃくちゃ可愛いな、千秋ちゃん」


 何故か馴れ馴れしく藍沢の名前を呼んだ高牧は、再び俺を睨み付けた。


「——この裏切り者」


 妄想力たくましい高牧に構っている暇はない。俺は立ち上がり様、ふと隣を振り返った。御子柴はじっと藍沢を見つめていたが、俺の視線に気づくと、こちらに向き直ってにこりと笑った。


「早く行ってやれよ」


「あ、うん……」


 クラスメートの間を縫うようにして、教室のドアに辿り着く。俺に気づいた藍沢はぱぁっと表情を華やがせた。


「水無瀬先輩、お久しぶりです」


 よくよく近くで見ると確かに藍沢だった。鈴を転がすような声と、垂れがちの大きな目が俺の記憶を呼び起こさせる。中三で部活を引退して以来、初めての再会だ。


「久しぶりだな。なんか色々変わってて分からなかった」


「あ……髪切ったからですかね。眼鏡もやめたし。へ、変です?」


「いや、いいと思うけど。高校生って感じ」


「そうですか?」


 藍沢は視線を足元に落とし、髪の先を指で弄っている。迷うように擦り合わされていた桜色の唇が、思い出したように開く。


「あっ、そうだ、すみません。実は今度、部活のメンバーで集まろうって話になってて。眞木部長に幹事頼まれたんです」


「眞木が? ったく、あいつ……」


 眞木信二郎は俺たちの代の部長だ。明るくてリーダーシップがある反面、人使いの荒いところがある。どうせ言い出しっぺだろうに、こともあろうか、面倒事を後輩の藍沢に押しつけて。


「大変だろ、代わろうか?」


「い、いいです、いいです。私、こういうの苦にならないので。それに平高のとりまとめだけですし。……あの、水無瀬先輩。あとでグループ作るので、ID教えてもらってもいいですか?」


 おずおずとスマホを差し出す藍沢に、俺は首を傾げた。


「中学の時、部活で作ってなかったっけ?」


「ええと、その、平高だけのグループを改めて作ろうかと……。ち、ちなみに他の先輩にも後でちゃんと聞く予定ですからっ」


「あぁ、そう……?」


 なんだかよく分からなかったが、別に藍沢に連絡先を知られて困ることはない。俺もスマホを取りだしてメッセージアプリを呼び出し、お互いにスマホを振ると、ID交換ができた。


 藍沢はじいっとスマホの画面を見つめていた。用事が済んで安心したのだろう、スマホを胸に抱いて微笑む。


「ありがとうございました。また連絡しますね」


「悪いけど、よろしく」


「はいっ」


 ぺこりとお辞儀すると、藍沢は早足で廊下の奥へと去って行った。髪の毛とスカートの裾が同じリズムで揺れている。元々部活の後輩だからだろうか、学年は一つしか違わないのにどことなく微笑ましかった。


 席に戻ると、何故か高牧が御子柴に泣きついていた。


「うおおお〜ん、俺は唯一の友を失っちまったよ。慰めてくれ、御子柴ぁ」


「うるさい、寄るな、ステイ!」


 御子柴は心底迷惑そうに、ぐいぐいと高牧の頬を押しのけている。俺は御子柴に助け船を出すべく、高牧に事の次第を話した。


「部活の集まりだぁ? それ、口実だろ。お前の連絡先が欲しかったんだよ。じゃないとあんな可愛らしくもじもじしたりはしない、ネバー、決して!」


「こいつ、何言っても無駄だぞ。行こうぜ、水無瀬」


「……そうだな」


 やれやれと椅子から立ち上がった御子柴に同意して、俺は教室の出入り口に向かった。


 途中、購買に寄り、いつものように屋上へと出向いた。風がない代わりに、停滞した冬の空気がそこかしこで音もなく凍っている。


 俺はフェンスに背中を預け、微糖の缶コーヒーを両手で抱きしめた。御子柴はほかほかの肉まんを食べている。相変わらずの早食いで、俺が缶のプルを開けた時にはすでに、二個目のピザまんに手を伸ばしていた。


 コーヒーを啜りながら、ちらりと隣を見やる。


 御子柴の横顔は晴れ渡った青空をぼんやりと仰いでいた。黒目がちの瞳はどこか虚空を見つめている。


 今日はやけに静かだな、と思っていると、ポケットの中のスマホが震えた。メッセージの送信元は藍沢だった。


『さっきはありがとうございました。試しに送ってみました。これからよろしくお願いします』


 そんな律儀な言葉と共に、うさぎが「ありがとう」と言っているスタンプが添えられている。俺は目を細めて『こちらこそ』と返信した。


 そうこうしている間に、御子柴は三個目のあんまんを食べ終えていた。最後の一口を喉の奥に流し込み、ぺろりと親指を舐めている。健康のためにももう少しよく噛んだ方がいいんじゃないか、と母親みたいな心配をしていると、不意に御子柴が呟いた。


「藍沢さん、だっけ。多分、お前のこと好きなんだろうな」


 予想外の言葉に目を丸くする。こいつまで高牧みたいなことを言い出すとは思ってなかった。


「だから、ただの連絡だって」


 御子柴はじとっとした視線を俺に向けると、聞こえよがしに大きな溜息をついた。鈍感だと揶揄されていることは、馬鹿でも分かる。俺はむすっと唇を結んだ。


「何だよ、分かった風に」


「分かるよ。俺だってそうだもん」


 突然のその言い草に、二の句を継げないでいると、御子柴は再び空を見上げた。


「水無瀬のこと好きになるなんて、良い勘してるよ。きっとめちゃくちゃ良い子なんだろうな」


「まぁ、良い子っていうのはそうだけど」


 御子柴はぎゅっと目を眇めた。


「……俺、悪いことしてるな」


 じっと、屋上の床のタイルを睨む。自分でも知らないうちに拳を握っていた。噛み締めた奥歯が痛い。もしかしたら怒鳴っていたかもしれない。御子柴の声が——あんなに弱々しくなければ。


「んなこと言ったら、俺なんて無期懲役だろ。お前のことを好きな子なんて山ほどいるんだし」


「そうかな」


「そうだよ。それにさ」


 俺は隣を振り返ると、眦をつり上げた。


「——俺、今、好きな奴いんだよ」


 そして、御子柴の頬をぐいっとつねる。


「だから、その、そういうのだとしても、応えられないから」


 俺が手を離すと、御子柴は珍しく鳩が豆鉄砲喰らったような顔をして、頬をさすっていた。今更ながら、なんだかとりかえしのつかないことを言ってしまった気がして俯く。


 すると、頭の上に柔らかい苦笑が降ってきた。


「へー、知らなかった。水無瀬の好きな奴って誰?」


「う、うるさいな」


「いいじゃん、教えてよ。絶対、誰にも言わないからさ」


「黙ればか」


 購買のビニール袋からカスクードを探り当て、固いフランスパンに歯を立てる。御子柴は俺が昼飯を食べている間中、しまりのない顔でへらへらと笑っていた。




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