水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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16−4:海の底でふたりきり 4

公開日時: 2021年4月19日(月) 11:25
文字数:3,667


 腹がいっぱいになったところで、時刻は夜の七時を回っていた。


 一通りの片付けを終えた後、俺と御子柴は再び母屋の方に戻っていた。


 ソファに座った御子柴にならって隣に腰掛ける。御子柴は首を左右に傾けて筋を伸ばしながら、思案げな口調で言った。


「んー、何する? つっても、うち、ゲームとかねーんだよなぁ」


 手持ち無沙汰を誤魔化すように、御子柴はリモコンを手に取り、適当にテレビをつけた。ちょうど七時のニュースの時間帯だった。年度末らしく、各地で卒業式が行われている様子が映し出されている。


 チャンネルを変えればバラエティなどもやっているだろうが、特にこれといって見たい番組はない。俺もまた困ったように首を捻っていると、御子柴が「あっ」と手を打った。


「そういや設楽からブルーレイ借りてたわ。一緒に観る?」


 映画か。いいかもしれない。俺は二つ返事で頷いた。


「あぁ、見る見る。なんの?」


「ゾンビの」


「ゾン——」


 予定が決まってわくわくしていた俺は、さっと表情を凍らせた。


 それを見逃す御子柴ではない。目の前の顔は、一瞬で意地の悪い笑みに取って代わった。


「もしかして、苦手?」


「べ、別に……その。苦手ではないけど、あんまり見たことは……ない」


「じゃあ、観ようぜ。あ、せっかくだし明かり消す? 雰囲気でるじゃん?」


「え、あ……。お、おう」


 ソファから離れると、御子柴は本当にリビングの明かりを全て消してしまった。


 テレビだけが皓々とした光を放っている。


 それを頼りに、御子柴はテレビに内蔵されているブルーレイプレーヤーに、設楽から借りたらしい映画のディスクを入れ始めた。


 パッケージには血みどろのゾンビが群れを成して迫ってくるジャケットが描かれている。やがて起動したメニュー画面では、ゾンビが大写しになり、耳をつんざくような唸り声を上げた。


 俺は思わず手近にあったクッションを引き寄せた。


 はっとして顔を上げる。再び俺の隣に座った御子柴が、にやにやと口角を上げている。


「やめとく?」


「いけるし」


 さもこれから映画を鑑賞する体勢ですよ、と言わんばかりにクッションを膝元に置く。御子柴は無慈悲にもあっさりとプレイボタンを押した。


 ——三十分後。


 グロテスクとスプラッタとジャンプスケアの連続に、俺は恥も外聞もなくクッションを抱きしめていた。ソファの上で三角座りをして、身を縮こまらせている。


 脇役の女性が廃墟を彷徨う静かなシーンに、鼓動は高まる一方だった。俺は極力目を細めて、視界を狭めていた。


「お前、観てなくね?」


 足と腕を組んで、ソファの上でふんぞり返っている御子柴は、まるで食後の休憩のようなリラックスっぷりである。一方の俺はさっきのカレーが喉元からせり上がってきそうだった。


「分かってんだよ、こっちは……。もうすぐ来んだろ、分かってるし」


「来るってゾンビ?」


「見てろ、あの窓から来るぞ。絶対来る」


「えー、俺はむしろ——」


 御子柴が言いかけた瞬間、廃墟の天井が派手に崩壊した。


「うわあああッ!」


 突然の大音声に飛び上がりそうになる。女性の前に現れたのは、人が数人も無理矢理くっつけられたような、グロテスクな大型ゾンビだ。


 女性は絶叫して逃げだそうとするが、鋭い爪が生えたゾンビの手に捕まり、そのまま半身を食いちぎられた……と思う。


 思う、というのは、俺がすでにクッションに顔を埋めて、その後の展開を見守ることができなかったからだ。聞くに堪えない悲鳴と共に、女性が神への慈悲を請いながら、やがて喋らなくなる——それだけが耳から入ってくる。


「あれ、ドアからかと思ったのに」


 などと呑気に言う隣の男には、人の心が備わっていないのだろうか。あの女性には優しい旦那さんも可愛い子供もいたのに……!


 クッションから顔を上げられない俺を見て、御子柴が苦笑する。


「あんま無理すんなよ」


「してないし……」


「お前って、なんてーか、外さねえよなー」


「どういう意味だよ」


 テレビの中が静かになったので、ようやくそろそろと顔を上げる。


 すると御子柴がひょいっと俺の手からクッションを取り上げた。寄る辺をなくした俺は思わず「あっ」と声を上げて、手を伸ばす。が、御子柴はソファの裏側にクッションを隠してしまった。


 意地を張っている手前、返せとも言えず、むすっと口を真一文字に結ぶ。そんな俺に御子柴はにこやかに両腕を広げてみせた。


「怖かったら俺に抱きついたらいいじゃん」


「怖いとか……じゃないし。ちょっとびっくりするだけで……」


「——あ、またゾンビ出てきそう」


 つられて画面を見ると、カップルが逃げ込んだ先のあばら小屋に、すでに無数のゾンビが待ち構えている場面だった。


 悲鳴と血飛沫と唸り声が、何重にも折り重なる。


「うわあああっ」


 矢も楯もたまらず、反射的に御子柴の胴にしがみつく。御子柴は突撃してきた俺を抱き留めて、あははと上機嫌に笑っていた。あのカップルはもうすぐ結婚する予定だったのに——やっぱりこいつには人の心がない!






 たっぷり二時間、そのホラー映画は続いた。


 ストーリーは最初から最後まで救いがなかった。ゾンビによるパンデミックに見舞われたその街は、封鎖された上、軍に空爆された。生き残った人間は誰一人としておらず、地図から街が一個消えてなくなるというシーンで映画は終わった。


 スタッフロールが流れる頃には、俺は干物のようになっていた。ソファの背もたれに頭ごと預け、ようやく照明が灯った天井を呆然と眺めている。


 さすがの御子柴も心配になったようで、ソファから立ち上がり、背もたれ側から俺の顔を覗き込んでくる。


「だいじょぶ?」


「……俺、言ってなかったけど、ホラー苦手なんです……」


「うん、見れば分かる。よく分かる」


「変な汗がひどい……」


 パーカーのしめった襟元をくつろげていると、御子柴は微苦笑を浮かべた。


「今、風呂入れてくるから」


 そうしてすたすたとリビングを出て行ってしまう。正直、まだ一人にしてほしくなかったが、さすがにそんな情けないことは言えない。


 俺は御子柴が放り捨ててしまったクッションを拾い上げ、極度の緊張で疲労した体を、ぽすんとソファに横たえた。


 九十度傾いたリビングの景色が、ぼんやりと視界に映る。


 時計の針は午後九時を回っていた。


 閉じられたカーテンの外は静かだった。きっと窓の外には夜の帳が降りていて、空には月が浮かんでいるのだろう。


 夜は長い。これから月が沈んで、朝日が昇るまで、ここで過ごすのかと思うとなんとも不思議な気分だった。そもそも友達の家に泊まるのなんて何年ぶりかな。下手したら小学生の頃以来かもしれない。


 ——いや、違う。


 ここは……友達の家じゃない。


 俺と、御子柴は。


「……っ!」


 腕の中で四角いクッションがぎゅっとひしゃげる。


 ホラー映画に与えられたものとはまた違う緊張感が、俺の心臓を痛いほど叩いた。


 夜。これから、風呂に入って……。それから、ええと、多分。


 二人で、寝——


「——ウガアアァッ」


「うわあああ!」


 突然、聞こえた声に、俺は絶叫してソファから転げ落ちた。


 いつの間にか戻ってきていた、御子柴が両手を広げて、舌を出し、ゾンビの真似事をしている。床にへたりこんでいる俺を見て、腹を抱えて笑っている。


「はは、びっくりした?」


「うるさいばか!」


 クッションを投げつけるも、難なくキャッチされてしまう。くそっ、最後に死んだ主人公の代わりに、こいつがゾンビに襲われれば良かったのに!


「うちの風呂、すぐ沸くから準備してな」


 歯をむき出しにして怒る俺を意にも介さず、御子柴は部屋の隅に目配せした。


 そこには俺が持ってきたリュックが置いてある。泊まりの荷物だ。といっても、着替え一式と歯ブラシとパジャマぐらいしか持ってきてないけど。


 俺は背後を警戒しながら、荷物を開ける。また驚かせにくるんじゃないかと、俺がちらちらと振り返る度に、御子柴は堪えきれないとばかりに肩を震わせていた。


 ふん、と鼻を鳴らして、替えの下着を取り出す。と、そこで俺は自分の失策に気づいた。


「あれ……?」


 用意しておいたはずのパジャマがなかった。リュックの中身をひっくり返しても、見当たらない。おかしい、忘れないように一番最初に用意しておいたのに。——いや、そういえばリュックの脇に置いたまま、入れてこなかった気もする。


「どした? 忘れ物?」


「ああ、うん……ごめん、パジャマなくて。取りに帰ろうかな」


 こういう時は近所だと助かるな、などと思っていると、御子柴が言った。


「めんどくせーじゃん。俺のジャージで良かったら貸すけど」


「いいのか?」


「おう。ちゃんと洗ってありますよ」


「じゃあ……お言葉に甘えて」


 俺がそう言った時、ガス給湯器のパネルから音楽が鳴り響き、『お風呂が沸きました』とアナウンスが聞こえた。御子柴が踵を返す。


「脱衣所に置いとくから、入ってな」


 背中越しにひらひらと手を振って、リビングを出て行く。


 ……ったく、なんなんだよ。


 手酷くからかったかと思ったら、さらりと親切に気を遣う。


 いつもこうだ。——総じて、ずるいんだ、あいつは。


 俺は納得のいかないまま、一人、唇をぎゅっと窄めていた。



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