水無瀬くんと御子柴くん

イケメン高校生ピアニスト×平凡ツンデレくん。恋人模様を描く、一話完結型の青春短編連作。
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16−5:海の底でふたりきり 5

公開日時: 2021年4月20日(火) 11:26
文字数:2,374



 足を伸ばせる広い湯船から、白い蒸気が沸き上がっている。


 熱いお湯に肩まで浸かった俺は、体の底から深い息を吐いた。


 ホラー映画とその他諸々で掻いた変な汗をシャワーで流し、こうして湯船に身を沈めていると、緊張も疲労もお湯に溶けていってしまうようだった。


 暖色系のライトが照らすバスルームは瀟洒な造りだった。


 ダークブラウンの木目調の壁に、横に長い曇り一つない鏡。普通のシャワーとは別に天井にもシャワーが設置されていて、ここはホテルか何かかと疑いたくなる。置いてあるシャンプーやボディソープは、見たことのないパッケージでどこか高級感があった。


 他人の家の風呂場はなんとなく居場所がなくて、俺は湯船の中で膝を抱えた。気まぐれに肩へお湯をかけてみる。ぱしゃぱしゃと水しぶきが、白い湯気の中で舞った。


 いつまでもそうしているわけにもいかないので、湯船から出る。ざぱっと波が立った。髪と身体を洗おうと、椅子に腰掛ける。ふと目の前の鏡に映った自分の上半身を見つめる。


 なんの変哲もない体だ。いや、ちょっと色が白くて、筋肉もそれほどついてなく、貧弱な印象がある。あんまり気にしたことはなかったけれど、まじまじと見てしまうと、なんだか落胆してしまう。


 ぺたぺたと自分の手で、胸や腹を触ってみる。固くて、骨張っていて、手触りはよろしくない。それでも手の平の感触を肌で受けていると、不意にいつぞやの保健室での出来事が甦る。


 ——御子柴に触れられるのは、今とは全然違う感覚だった。


 別になんてことはないはずなのに、どこか落ち着かなくて。自分とは違う誰かの、御子柴の体温が触れたところから伝わってきて、それこそ湯船に浸かっているような安心感と、火傷しそうなほどの熱が同居している、不思議な感覚を今も覚えている。指を立てられると神経がそこに集中して痛いほどだった。ましてや、濡れた唇を押し当てられると——


 ぶわっと顔に血が集まるのが分かった。俺は巡る思考を振り切るように、ボディスポンジにソープを染みこませ、ごしごしと体を洗った。それはもう念入りに洗うつもりだった。


 だって、そうじゃないと。この後……


「いやいやいやいや!」


 ぶんぶんと首を振る。スポンジを強く押し当てて、親の仇のように自分の体を洗う。泡を流すと、ところどころ皮膚が赤くなっていたが、そんなことは気にしていられなかった。


 暇が出来れば変なことを考えそうだったので、すぐさまシャンプーを手にとって、髪の毛を泡立てる。


 こうなったら、全身、洗って洗って洗い尽くしてやる。頭の天辺からつま先まで。指の間だって、膝の裏だって、嫌というほど綺麗にしてやる。特に、別に、意味はないけど!


 ——と、俺が勢いづいていたのは、ここまでだった。


 ひりひりする肌とがさがさする頭皮を持て余しながら、再び湯船に身を沈めると、そこから一向に動けなくなった。俺はさっきと同様膝を抱えて、その間に口元を埋めた。


 まるで自分の殻に閉じこもった貝のようだった。


 ここを出た後のことを考えると、どうしてもバスルームを出る決意がつかない。


「ううう……」


 壁に俺の小さな唸り声が反響する。


 温度を保つように設定された湯が、じわじわと俺の体温を上げていった。





 当然だが、結果、逆上せた。


 頭がくらくらする。体が熱い。喉がからからだ。


 俺はふらふらしながら、やっとの思いで御子柴が置いていってくれたジャージを着た。体格差をそのまま反映したように、ジャージはぶかぶかだった。特に気になったのは袖と裾の余りだ。捲って対処したが、なんだか女性が男性の服を無理矢理着ているようだった。


 ドライヤーで髪を乾かす気力はなく、わしゃわしゃとタオルで拭くだけにする。タオルを肩に引っかけ、ほうほうの体で脱衣所を出ようとすると、ドアが突然ノックされた。


「水無瀬?」


 くぐもった御子柴の声が聞こえてきた。鍵を開けてそろそろと戸を引くと、目を丸くした御子柴が立っていた。


「……いっつもこんな長風呂なの?」


「あ、いや、ちょっと疲れて寝かかってた……」


 嘘がばれないよう、タオルで口元を覆う。御子柴はへらっと笑みを浮かべた。


「びっくりした。溺れてんのかと思った」


 どうやらいつまで経っても上がってこないから、心配してくれたらしい。罪悪感から何と言っていいか分からず、うろうろと視線を彷徨わせていると、御子柴がちょいっと俺が着ているジャージの袖を摘まんだ。


「やっぱサイズ合わないな」


「……誰かさんは手足が長いもんな」


「あ、分かる? 丈がさ、Lじゃないとさー」


「はいはい、どうせ俺は合いませんよ」


 ふいっと顔を背ける。俺の目の前に御子柴の腕が伸びてきた。


「んなことねーよ」


 腕はあっという間に背中に回り、ぐいっと引き寄せられた。


「ぶかいの可愛い」


 突き放せば逃げられる程度の力で、柔らかく抱きしめられる。


 俺は御子柴の肩口に頬で触れ、鼻先を掠める御子柴の匂いに、目を見開いた。首からずれたタオルが、ぱたりと床に落ちる。俺が硬直したまま動けないうちに、御子柴は満足したのか一瞬の抱擁を終えた。


「じゃ、俺も入ろっかな」


「あ、ああ。お先でした……」


「そうだ、二階の突き当たりが俺の部屋だから、上がってて」


「うん。——え!?」


 御子柴と入れ替わるように脱衣所を出た俺は、思わず体ごと振り返った。


 ……部屋? 御子柴の、部屋!?


「喉渇いたろ。麦茶置いといたから、勝手に飲んどいて」


「あー、そ、そっか。分かった」


「よろしくー」


 からっと音を立てて、引き戸が閉められる。


 廊下に一人取り残された俺は、それこそゾンビのように緩慢な足取りで、のろのろと廊下の奥にある階段を登っていく。そう、だよな。うん、お茶……お茶を飲みにいくんだ、うん。


 二階に上がり、裸足でぺたぺたと板張りの床を歩く。


 廊下はそれほど長くなく、俺は突き当たりの——御子柴の部屋のドアの前にすぐ辿り着いてしまった。



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