灯玄坂の巣の中で

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昼間原狂騒・一岩 - 6

公開日時: 2020年9月7日(月) 22:34
文字数:4,221

昼間原市が、夏祭りの幻術に侵食された翌日。

顔を会わせた職員たちと挨拶をかわしながら、蟻巣塚は定刻通りに市長室へ入った。

昼間原市市役所の建物は古く、建て替えともリフォームとも無縁なままであった為あちこちが綻びている。

薄暗い通路。色褪せた床。窓から外壁にかけて黒く流れた雨だれ。

対外的な役割を考慮して他よりは見栄えがするよう整えてあるものの、この市長室も広めなのだけが取り柄と言って良かった。

当然ながらセキュリティの重要性が叫ばれる昨今でも、予算の都合で監視カメラなどは設置されていない。

蟻巣塚は自分の机まで真っ直ぐに歩いていくと、革張りの肘掛け椅子にどっかと腰を沈め、出てきていいぞと重々しく告げる。

その合図を待っていたかのように、ごそごそと音を立てて、机の下のスペースから一人の年若い女性が姿を現した。


「帰れ」

「出てこいと仰ったのは主殿では!?」

「誰が机の下から出てこいって言ったのよ。フツーに入口から入ってくればいいでしょ」

「そ、それはそうでありますが……でも自分の家柄として、そこは秘密めいた場所から現れたいといいますか……。

っていうか頑張ったのにあんまりだと思うのですよ、その扱いは!?」


悲痛な声で訴える女は、目の下に寝不足らしき隈を作っていた。

髪や化粧や服装にこそ乱れは無いものの、全身には疲労感が強く滲んでいる。

仕事は終わったのかと淡々と聞く蟻巣塚に、終わりましたと女は死にそうな顔で答えた。


「真夜中に電話で叩き起こされたと思ったら、今からすぐ異変に巻き込まれた人間がいないか調査しろ、ですよ!?

ぐっすり眠ってたところをこの寒空の下に呼び付けられて! 深夜からついさっきまでかけて!」

「その為にあなたがいるんでしょーが。

事が事だ。夜中だろうと真冬だろうと、こればっかりはどうしたってすぐに調べなくちゃならん。

巻き込まれた一般市民が多数いたんなら、騒ぎが大きくなる前に対処しなきゃだからな。で、それで? 結果はどうだった?」

「特にいませんでした!」


ぷりぷりと大人げなくむくれながら、女は言い切った。

昨晩、かがりには帰宅して休むよう告げた蟻巣塚は、光安を店まで送り届けるやすぐさまこの女に連絡を取り、他に夏祭りの幻に巻き込まれた人間がいないかを調べるよう命じていたのである。

その仕事が丸々一晩と数時間を費やしてようやく終わった、という報告なのであった。

しかし仮にも市の名を冠する範囲の土地を調べて回ったと考えると、たった一晩で片付けたのは目を見張る働きだといえる。

これが虚偽の報告ではない何よりの証拠として、蟻巣塚へ向ける女の目には一切の後ろめたさがなかった。

無茶な仕事の振り方に対しては、大いに不服そうではあっても。


彼女の名は霜走舞。

忍者である。


しかも女であるからして、くのいちである。サザンカという通り名まで持っている。

符術師や結界師といったどれも大概胡散臭い肩書きがずらりと並び、日本刀を手に大百足と切り結んだり、祓串を振って悪霊を石塔に封印したりするような、それこそ一般人からすれば狂人か詐欺師でしかないような者達でさえ、これを聞かされると一様に「嘘だろ」という反応を示す。

彼女の家は、代々続く忍者の家系なのである。

忍者、というイメージから人々が想像する活劇的なイメージそのままの技を鍛え、受け継いできた一族。

忍びではない。諜報員でも工作員でもない。スパイでもなければ秘書でもなくましてや暗殺者でもない。


忍者である。


以前、彼女が別件の仕事で、それなりに歴史のある中堅どころの祓い屋を訪ねた時の事だった。

この手の仕事を紹介しようとなると、挙がってくる候補複数の中に大抵は名を連ねている程度に手堅い団体なのだが、冗談でも何でもなく彼女が忍者として修練を積んできて仕事にしているのだと伝わると、たちまち在宅中の人間全員が仕事を中断して集まり、下働きの者まで呼び付けられて忍者なんだってと紹介された挙句、代表者から「すいません、記念撮影いいですか?」と真顔で求められたくらいである。

それ程までに、忍者なる肩書きはプロの間でも悪ふざけとしか言いようのない代物なのだ。

ちなみにその時「あっ大丈夫ですよ、写真に撮られても魂抜かれたりしませんから」と続ける代表者に周囲がどっと沸いた為に、あいつら絶対バカにしてたと業務終了後にさめざめ泣いていたとかいなかったとか。


忍者であるからにはどうやら主君に仕えなければならないようなのだが、何せそんな扱いなので、訪ねていったどこの家でも「うちでは間に合ってます」とことごとく断られたらしい。

弟子入り志願ならまだ交渉の余地があるものを、忍者として仕官である。門前払いで当たり前だった。

その後紆余曲折を経て蟻巣塚の元へ流れ着き、今に至るという訳である。

その際、なんでよりによってうちみたいな先細りまっしぐらの零細マイナー流派に来たんだよと問う蟻巣塚に、「イロモノならイロモノに共感してくれると思って……」と彼女は答え、しくしくと泣いた。

就職希望者からイロモノ呼ばわりされた事よりも、イロモノと自覚しながら主君探しをせねばならない忍者への哀れみが先に立って、腹を立てる気にもなれなかったと蟻巣塚は語る。

成人すればさすがに現代のくのいちが置かれている境遇と、同業者からさえどういう目を向けられているかくらいは気が付くらしい。


「市長の傍らに付き従う秘書をお一人いかがですか!

緑豊かな地方の市役所にて、日々粛々と業務をこなす美しき敏腕秘書。

しかしてその実態は! 闇を駆け密命を果たす、現代に生きるくのいちなのであった……っていいと思うのですよ、いかがですか!」

「仕事に血沸き肉踊るロマンは求めてない。昼間原は平和だから密命も特に無いよ。他行って」

「うううううう……」

「だいたい個人事業じゃないんだから、職員ったってオレの一存だけで採れるもんじゃねーし。

もし入れるにしたって忍者じゃない普通の優秀な人でいいわ」

「あううううううぅぅ……」

「見ず知らずの若い女ゴリ押ししたら思いっきり縁故採用か愛人採用じゃねえか、市民にどう説明すんだよ。

百歩譲って、昼間原の呪いを知ってる連中にはあなたの正体を隠さなくていいとしてもだね、どうしてわざわざ忍者を?補佐にしても大きな所から派遣してもらえば?ってなるのがオチだろ。オレだってそう言うわ」

「うううううう……うう……うええええん……」

「あーもう泣くな泣くな。いい大人でしょーが。それ以前に面接で泣くな。

……まあなァ……でも呪いだの妖怪だのの基礎は全部分かってるから話が早くて、いい意味でも悪い意味でも家ごと孤立してるから、雇っても面倒なしがらみが生まれないってメリットは確かにあるしなあ……あなた事務作業できる? 資格持ってるの?」

「取りまず! 必要な資格あるなら何だって取りまずうぅ! だから見捨てないでええええ!!」


かくして蟻巣塚のなけなしの温情と妥協に縋り付けた結果、舞は念願の主を得ると同時に地方公務員の職にもありつけたのであった。

無論くのいちですなどと公言できる訳がないので、表向きとしては市職員であり、実際に職員としての仕事もしている。

むしろこちらこそが彼女の現在の仕事の大部分を占めており、働きぶりも悪くはない。

雇ってくれるなら頑張るという言葉に偽りはなかったようだ。

直属の上司であり主君である蟻巣塚とのコンタクトに関しては、いち職員に過ぎない舞が頻繁に市長室へ出入りしていたのでは、互いに独身な事もあってあらぬ噂が立ちかねない為、そこは忍びもとい忍者としての技能を駆使し巧みに人目を掻い潜っている。

技術は優秀らしい。たとえ役立つ場面がほぼなくても。


そんな彼女は今、蟻巣塚に報告を行いながら頻りに眠そうな目を擦っている。

彼女曰くの「裏の顔」としてはお使い程度の仕事しかしてこなかった舞にとっては、今回が初めてといっていい大舞台となった。

そう思って見ると、完全徹夜明けの疲労感の中にもどこか誇らしげな輝きが感じられなくもない。

瞼が腫れぼったくなったせいで徐々に化粧が浮きかけてきていたが、面倒なので蟻巣塚は指摘するのはやめておいた。


「……しかし此度の一件、自分にとってまこと張り切りがいのある案件ではありました。

平和な昼間原の夜を突如として脅かした、謎の夏祭りの極秘調査……実に忍者らしい、くのいちらしい仕事でしたよフフッ……」

「オレも四十過ぎだから年齢の事は言いたくないんだけどさ……24歳になって私はくのいちのサザンカですって名乗るの辛くない?」

「その同情に満ちた眼差しをやめて頂きたいっ!

つ、辛くなんてありません! 自分の家系はもはや滅びに瀕した『忍者』という流派をこの国に繋ぐ唯一の……」

「絶滅って人間社会含む自然界の大いなる流れの一種だとオレはかねがね思ってるんだが。

要は世界にとって需要がないから滅びたんだろ? 恐竜みたいに」

「まだ生きてますから! まだ忍者滅んでないもん! 需要だって世界中であるでしょお!?」

「いや、オレが言ってんのはエンターテイメントとしての忍者じゃなくて、この道の職種としての忍者の方でな」

「羅宇屋さんだって頑張ってるのに忍者が滅ぶ訳にはいかないのですよ! そこのところがお分かりで主殿!?」


どうも絶滅種の珍獣扱いされる事がすっかり心の傷になってしまったらしく、

羅宇屋まで持ち出して忍者の存在価値をアピールし始めた舞を、わかったわかったと蟻巣塚が宥める。

これ以上放っておくと、そろそろ大声が市長室の外まで響きかねない。忍者としての隠密性はどこへ行ったのか。

ともあれ真夜中の突貫作業に応じてくれた相手をあまり追い詰めるのもどうかという思いもあり、蟻巣塚は忍者の需要の件をひとまず脇に追いやった。

机の端に置いてあるガラス瓶の蓋を取って、海外製のキャンディーを何個か掴み取ると舞に渡す。

微妙に納得いかないような顔をしながらも、両手で恭しく恩賞を受け取る舞。


「まあでも実際良くやってくれたよ。

噂にすらなってないなら、騒ぎが広まる心配もなくなった。懸念事項払拭の第一段階はクリアだ。

あとは曲者の正体やら目的やらだが、こっちは欠片も掴めてねえから長期戦になりそうだな。

今日はもう上がっていいぞ。一晩お疲れさま」

「ふぁい……寝ます……」


舞は気の抜けた大欠伸を漏らすと、再び机の下にもぞもぞと潜り込んでいく。

いやそこで寝るなよと言って、蟻巣塚が革靴の先で脇腹を小突いた。

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