灯玄坂の巣の中で

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第三章

昼間原狂騒・一岩 - 1

公開日時: 2020年9月3日(木) 20:48
文字数:5,347

きつねやの狭い庭を、凍える冬の朝日が照らしている。

身を切るような寒気に当てられているというのに、いまだ残る数少ない緑は不思議と一層濃さを増して見えた。

逆境への反発が、そこにある命をより輝かせて見えるのか。春はまだ、ほんの僅かに遠い。

郵便受けを確かめにきたかがりは、視界の端でちらつく光に眩しげに目を細める。

白く曇る息を吐き、入れ替わりにゆっくりと鼻から息を吸い込めば、朝の澄んだ冷気が肺を洗い流していってくれる。

きらめく陽光をそのまま体内に取り入れているようで、いまだしぶとく居残っていた眠気も完全にかがりの内から追い払われた。

もっとも、その爽やかな朝日がきつねやの奥にまで差し込む事はほぼ無い。


「ねえ、かがり……」


出入り口前に座っていたユウが、言い辛そうに呟く。


「前から思ってたんだけど、この店、汚い……」


それでも言う事は言うのだった。


郵便受けから整体の投げ込み広告を回収したかがりは、返事をしないまま店の中に戻った。

生活スペースである畳の間には上がらず、見上げてくるユウを足元に従えたまま、幾分むっとした顔で室内を見回す。

店の出入り口から奥にある畳の間までの通路は、左右に積まれた雑多なガラクタ、もとい商品によって作られている。

というより積み上げられた各種物品のせいで狭い通路が出来てしまっているだけで、元々は仕切りひとつない部屋だったのだ、ここは。

その頃の名残りとして、背伸びをして目を凝らせば、うず高く積まれた雑貨の向こう側に辛うじて窓枠が確認できる。

窓が窓としての役割を果たせていない為、採光に関してはほぼゼロと言って良かった。

経年劣化も合わさり、窓ガラスもすっかり埃と細かい傷で曇ってしまっている。


「ユウ、これは汚いと言うんじゃない。暗いって言うんだ」

「暗いし汚いってば。奥の方なんか全然掃除できてないじゃんか。なんだか俺、鼻がむずむずしてきた」


言うそばから、くしゅん、とくしゃみをする。

さながらアレルギーでも発症したかのようなユウの反応に、かがりもこれ以上見て見ぬ振りはし辛くなった。

そもそも手前の部屋がこの有様になったのは、かがりが家を受け継ぐ前からである。

以来、どうせ使わないからと通路と通路沿いに積まれた雑貨の汚れを拭く程度で放置に放置を重ね、物置きの如き惨状は解消されないまま、むしろ地層の厚みが増すばかり。

先だっての兄弟狐による襲撃も、表層を吹き飛ばしこそすれ、最奥までを完全崩壊させるには至っていない。

あの家の人間は一体どんな仕事をしているんだと不審がられないよう始めた店だというのに、その初志はどこへやらである。

なにせユウがやって来るまで、看板すら作らずにいたのだから。


かがりは近くにあった小さな木箱を手に取る。

ふっと息を吹いて埃を飛ばし、蓋を開けると、布に包まれた焼き物が入っていた。茶碗だ。

箱の底に貼ってあった値札はすっかり黄ばんでしまっており、文字はインクが薄れてまともに読めない。

品は結構良いものの筈だが、これでは台無しもいいところだった。

値札は店での売値ではなく、旅先で買ってきた時のである。つまり土産物をそのまま商品として並べておいた事になる。

仕入れといえば仕入れなのだろうが、ユウから見てもこれで利益を出すのは難しそうに思えた。


「こんなのでお店潰れちゃわないの?

たまーに人が来ても差し入れとかお喋りばっかで全然売れてないし、それとも妖怪退治ってそんなに儲かるの?」

「うん……? ああそうか、ちゃんとした説明をしてなかったか。

私は生活費を店で稼いでる訳じゃないんだよ。妖怪退治の方も同じだ。

依頼を引き受ける事もあるけど、臨時のアルバイトみたいなもんだな」

「どういう事?」


ユウは首を傾げた。

一般に、金を稼がなければ人間は生活していけない筈だ。

かがりは木箱にしまった茶碗を元の位置に返そうとして、思い直したようにその手を胸元へ戻す。

これは使おう、と思ったらしい。


「毎日毎日、決まった仕事みたいに私は市内を見回ってるだろ?

事実あれは決まった仕事なんだよ。私は昼間原市と契約……というか市に雇われてここに住んで仕事をしてるんだ。

そういう意味じゃ自営業っていうより公務員だな。ん? いや民間委託っていうのか、こういうのは」

「雇われヒーローだったの!?」

「なんだ雇われヒーローって。

驚くのは分かる。こういう商売でも私みたいなのは滅多にいないしな。

妖怪退治やお祓いなんて、本物偽物関係なく普通は公的にやる仕事じゃない。

ところがここは街全体が呪われている。そして当然、行政側でも上層部は事情を把握してる。

だからこの問題にも自治体として取り組む必要が出てくるんだ」


以前にかがりが話した、昼間原にまつわる諸事情を知る者というのは、まさしく役場の一握りのお偉方に他ならなかった。

ささやかとはいえ呪いは呪いである。存在を認識しているからには、市としても放置はできない。

とはいえ公に呪い対策課を立ち上げる訳にもいかず、結果、昼間原においては外部に委託する形式が成立した。

根本的な解決が暗礁に乗り上げて久しい現在、かがりの立場は対症療法を行う医者に近い。

表向きは民間の商店として街中で営業しながら、市内をパトロールして妖の駆除を行い、月ごとに報告を行う。

勿論使用した消耗品などは経費で落とせるし、決まった額の給料も定期的に振り込まれる。

原則、命のやり取りをする程の危険も発生しない、自由は利かないがある意味ではぬるくて安定した仕事だといえた。


つまり、かがりには店で稼ぐ必要がそもそも無い。

地方都市といっても、分類するなら昼間原は紛れもない田舎である。

毎日毎日市内を歩き回っていれば、あそこの家の女は仕事もしないで何をやってるんだと間違いなく噂になる。

よって店の役割はカモフラージュ。届出を含めて個人事業としての体裁は整えてあるが、ごく稀に売れていく商品からの、あるいはかがりの立場を知る限られた人間の依頼を片付けて受け取る報酬は、ちょっとした小遣いの枠を出ない。

自分の実力の程度を弁えているかがりも、高額の代金を吹っ掛けたりはしなかった。


しかし兄弟狐の襲撃を切っ掛けに改めて目を向けてみれば、確かにユウの言う通りこれはあんまりだ。

店内を破壊されたのはいい機会かもしれない。この際、一から陳列する商品を考え直して、本格的に商売の真似事を始めてみるのも悪くなさそうに思えた。

もしも大繁盛してしまったら、などという取らぬ狸の何とやらもしてみたくなる。

本業との兼ね合いは、市から注意が来るならやめればいい。食い下がらなければ首切りに遭う事もあるまい。


「でも……そうだな、もっと店らしくしてみるのもいいかな……」

「おおー! やるの?」

「いや、ちょっといいかなと思っただけで本当にやるかは……なんでそんな悲しそうな目で見るんだよ。わかったよ、やるよ。

昼間の空き時間を使って少しずつ進めていこう。来た客は驚くぞ」

「うん、きっとビックリだよ!」


ぴんと垂直に尾を立てるユウに、押し切られてしまったなとかがりは苦笑した。

そうと決まれば善は急げだ。先程発掘したての茶碗で朝食をとってから、開かずの間ならぬ崩されずの雑貨を除去しにかかる。

まあ、出るわ出るわ。どこにあったのか、何故あったのかというガラクタの山が後から後から。

いまやすっかりユウの寝床と化している檻もここから引っ張り出した事を、かがりは思い出す。

発掘した品は、おおまかな種類別に分類して並べていく。

なにぶん使えるスペースが限られている為、明らかに捨てていい物はゴミ袋に放り込んで庭へ。

幾らか商品価値のありそうな物は、畳を汚さないようやはりゴミ袋に放り込んで奥の間へ。

期限を大幅に過ぎた災害時の非常食に、戦闘糧食を含む缶詰まで出てきたが、食品関係は論外だ。

今日び大抵の人がスーパーなりコンビニなりで買ってしまうであろう、タオルを始めとする日用品も厳しい。

きつねやのような小さくて地味な店でも売り物にできそうな、むしろ小さくて地味な店である事で逆に味が出せそうな品となると、今回、偶然最初に拾い上げた食器などの工芸品だろうか。

欲張って沢山の種類を並べるよりも、数を絞り、陳列に工夫を凝らせば高級感を出せそうである。


あれほど店などどうでも良かったのに、いざ真剣に考え始めると意外に興味をそそられてしまい、かがりは時々掃除の手を止めてまで、新しい商品陳列について考えるのに没頭した。

しかし台や棚を配置するにせよ、まず部屋の完全な姿が明らかにならなければイメージのしようがないので、結局は根こそぎ室外に引っ張り出してから、という事になる。

年末はとうに超えたというのに、春を目の前にして思わぬ大掃除だ。

出入口までの道としてしか認識していなかったかがりの前で、少しずつ部屋が生まれ変わっていく。

割れた扇風機に、空の火鉢。いつの物なのか不明なお歳暮の下からは、大人でも一抱えはある潰れかけのダンボール箱が出てきた。

表面は灰でも被ったかのように白くなっている。抱えれば服への被害は免れまい。

運ぶぞ、と、かがりは気合いを込めた声でユウに宣言した。


「今週は……ずっと晴れが続いたっけな」

「テレビの天気予報で言ってたね。でもどうして?」

「粗大ゴミは掃除が済むまで外に出しっぱなしにしておくからだ。一週間はかからないと信じたい、自分を」

「外に置いといたら盗まれちゃわない?」

「盗りたいとも思わないだろ、こんなもん。ちょっとは価値のありそうな物は選別しておくし……うわっ!?」

「ぎゃあネズミっ!?」


箱を退けるや足元を猛スピードで走り抜けて外へ逃げていった鼠に驚くあまり、ユウは四肢を伸ばしたまま垂直に飛び上がった。


「お前、役に立たないな! ネズミ獲れ!」

「い、いきなりでビックリしたんだよっ! でもほら、掃除して良かったでしょ」

「……それはそう思う。想像してたより闇が深いぞ、このスペース……」


一度手を付けてしまったが最後、際限なく時間を吸われる。

数十年という時の重みは伊達ではないと痛感したかがりは、ひとまず今日の目標をこの部屋を空にする事のみに定めた。

あとはせいぜい、床や壁の汚れを大まかに取り除ければ良しとする。いっぺんに終わらせようとすると自滅する魔窟だ、これは。

明日には廃棄する物を確定させて、回収の申し込みを済ませておく。


区切りを決めると却って作業が捗る効果もあり、それからたっぷり午後まで使って、室外へのガラクタ類の排除と二度の床掃除、そして壁拭きと窓拭きが終わった。

埃が落ちてくる為、本当なら最初にやった方がいい天井には、脚立の類が見当たらず手を付けられていない。

掃除機の先端に雑巾を縛り付けて拭くのも試してみたが、思うように力が込められず、これは明日以降に持ち越した。

どろどろに濁ったバケツの水を変えること数知れず。廃棄した雑巾、古くなったバスタオル、いらないシャツなど数知れず。

幾多の尊い犠牲を出したおかげで、とりあえず床に指を当てて擦っても真っ黒に染まる事だけはなくなった。

吸い込む空気からも埃っぽさは消えている。がらんとしてしまった室内を満足そうに眺め、かがりは言った。


「よし、今日はここまで」

「やめるの? まだ暗くなるまで時間あるよ」

「率直に言って掃除ばかりやっていたくない。お前だって一日中埃まみれは嫌だろ。

着替えて気分転換がてら買い物に行って、ついでに店に置くのに良さそうな物を探して、あと本も買う。

どうせやるなら見栄えを良くしたいから、インテリアやレイアウト関係のを揃える。

あとは商品を並べる棚もだな。中古の家具屋を覗いてみよう」

「すっごい乗り気になってる」

「ああ、それと壁紙も必要だな、これは。

こうやって空っぽになってみると、床も壁も汚れが染み付いていて見窄らしすぎる。

リフォームまでする気は起きないが、せめてもう少し店らしく落ち着いた高級感の出るような……」

「すっごい乗り気になってる!」


特に趣味の分野において多い、やり始めはあれもこれもと多方面に手を伸ばしたくなる典型的な症状にかがりは陥っていた。

ユウにとっては初めての本格的な大掃除もなかなか楽しかったのだが、それはそれとして外に出られるのは嬉しいので同意する。

身支度の為に奥の間に引っ込んだかがりは、暫くしていつもの首輪とリードと服と、そしてメモを手に戻ってきた。

買い物ついでにチェックすべき項目を書き留めてきたらしい。

もっとも、得てしてこういうのは帰宅後に新しく必要なものを思い付くのだけれど。


かがりはユウを連れて外に出る。

通路は部屋へと昇格を果たしたものの、不用品を狭い庭に積み上げたせいで今度はゴミ屋敷のような外観になってしまっていた。

折角の看板もすっかりゴミの後ろに埋もれてしまっている。回収が来るまでの一時的な辛抱だと、かがりは自分に言い聞かせた。

わかってはいても、なかなか近所の視線が気になる光景である。


「留守中に火とかつけられたらどうしようね」

「物騒な事を言うんじゃないよ」


とはいえ家を囲って積まれた焚き木に見えなくもない。木造の古い家屋は、乾燥した空気も相俟っていかにも燃えやすそうだ。

出掛けに一度ちらりと玄関先を振り返ってから、かがりはユウと共に冬の灯玄坂へと歩き出した。


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