灯玄坂の巣の中で

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昼間原狂騒・一岩 - 2

公開日時: 2020年9月7日(月) 02:40
文字数:5,035

かがりが最初に選んだ店は、だいぶ年季が入ったビルの百貨店だった。

生鮮食品から衣類まで一通り揃っているとあって、使い勝手の良さから市民の貴重な買い出しの場となっている。

かがりは普段、わざわざここまで足を運ばずに近場のスーパー等で買い物を済ませてしまうが、取り扱う商品の参考にするには、まず品揃えの豊富な店から攻めるべきだと判断した。

ここで大まかに方針を決めてから、細かく絞り込んでいけばいい。


ビルの一階には歩道に面したフードコートを始め、食料品がずらりと並んでいる。

今日明日の献立を頭の中に思い描きながら、これらをまず除外。

食堂にせよ販売店にせよ、物珍しさは日毎に薄れていく。オープン直後の客入りを維持していくのは困難だ。

三歩歩けば競争相手が店を構えている現代、ずば抜けた味か、これという際立った個性か、天才的な宣伝の腕がなくては、食品関係への参入は現実的とはいえない。加えてあそこは立地も商売向きではないときている。


「別に飯屋で生活していきたい訳じゃないんだが……食べ物扱ってて客が来ないと他のより気分が落ち込みそうだしな……」


食品が駄目なのは掃除を始めた時から分かっていた事だ。

かがりは気持ちを切り替えて、やけに細いエスカレーターに乗った。

二階は衣料品売り場である。品揃えは、地方の古い百貨店なりだ。テナントも二軒ほど見られる。

服もまた食品に負けず劣らず難しい。和装洋装ともにセンスが問われる上に、洒落っ気のある店構えについては絶望的だ。

保管面を考えても、湿気の籠もりそうなきつねや向きではない。

汎用性の高い靴下などなら問題なさそうだが、靴下単体で売っても、という感じである。

三階のアクセサリー、宝石、時計。同じく除外。

今日の目当てのひとつである本。悪くはなさそうだが、昼間原には個人書店が三軒あり、うち二軒の店主は顔見知りである。

いわゆる町の小さな本屋さんにとって逆風続きの昨今、新しく本を売り始めましたとなると今後顔を合わせ辛い。

生活雑貨――は、それこそどこででも売っている。ネットで安くまとめ買いという手もある。論外。


「ううん……ちゃんとした店をやろうとすると難しいんだな。

みんなどうやって決めたんだ?」


多くの人間にとって、店は生活の糧を得る為の手段だ。

これで食っていくぞという気概なくして開業は難しいのかもしれない。

正確には開業ではなくリニューアルなのだが、今までが今までだっただけに意識としては新規開店と同じである。

インテリアだのレイアウトだのの本を買うよりも、まず店を開く心構えを記した啓発書から始めるべきなのだろうかと、根が真面目故にかがりは考え込んでしまう。

趣味の店に過ぎない自分でさえこうまで悩むのだから、本業として独立した人達は凄いんだなと尊敬の念が沸いてくる。

腕組みして唸りながら、かがりは何度もエスカレーターの上り下りを繰り返した。


あの店に並べておいても雰囲気の出るもの。

日々の管理にそこまで時間を取られないもの。

頻繁な商品の入れ替えを考慮しなくていいもの。

あとはおまけとして、扱っていて少しくらい楽しければ言う事はない。


「観葉植物……いや生き物は駄目だ、枯れる……。

そうなるとやっぱり質のいい食器や酒器なんかが……もしくは輸入雑貨……いやでもこれの何がいいのか全然分からないな……。

オシャレ……オシャレ……なのか?これは……。丸いトレイに雑な渦巻き模様が付いてるだけで何でこんなに高くなるんだ……?

これならまだぬいぐるみを並べた方が分かりやすい。かわいいし」


近くにあった500円均一のぬいぐるみの山から、かがりは適当なひとつを拾い上げた。

大きなプラスチックの籃に雑に突っ込まれている割に、縫製は丁寧だ。

白と黒のツートンカラーの、いわゆるペンギンの背中が二箇所大きく盛り上がり、ヒレと足の位置からは茶色い毛に覆われた長い四肢が伸びている。裏返すと、値札にはフタコブペンギンラクダと書いてあった。

かがりは無言で山に戻した。


百貨店裏手にある駐輪場の隅で待っていたユウは、かがりが戻ってくるのを確認すると出掛かった欠伸を引っ込め、体を起こす。

リードはポールに結んであった。こんな事しなくても逃げないのにとユウは不服だったが、動物を単独で放置しておく行為自体が人間社会では好ましくないというのはかがりに言い聞かせられていた為、なるべく人目を引かないようおとなしくしていた。

とはいえ街中における動物というのは、ただそこにいるだけで目立ってしまうものであって。

駐輪場にやって来た人間は、例外なくユウの前でおっという顔をして足を止めた。

半分くらいは変わった犬だなと首を傾げて去っていき、もう半分ははっきり狐だと驚いて去っていく。

あらあ、と嬉しそうに声をかけてきた一人は、散歩中に面識のある人間だった。

いずれにせよ、静かにしていれば危害を加えられはしない。ただの狐ではないから、不届き者に連れ去られる心配も無用である。

屈んでリードを外すかがりに向かって、ユウは周囲に誰もいないのを確認してから聞いた。


「どうだった? いいの見付かった?」

「んー……まずまず、かな。次に期待しよう。

うちみたいな小さな所が参考にするには、やっぱり専門店の方がいいのかもしれない」


立ち上がりながらかがりが言う。

成果は今ひとつだったような口振りの割に、持ち帰った荷物はそこそこ多かった。

紙袋にプリントされた「書店」の文字が半透明のビニール越しに透けて見えるから、目当ての本は見付かったらしい。

それよりもユウは、最も大きく膨れたビニール袋の方に気を引かれていた。自然と尻尾が揺れる。


「そっちはごはん? 何買ったの?」

「小松菜とかき菜とトマトとレタス。長葱と豆腐に油揚げ。ごぼう、こんにゃく。白菜漬け。ハム。きゅうり。ブロッコリー。あとほっけの干物とソーセージ、緑茶と紅茶とコーヒー。納豆。大根半分にチューブ生姜。安かったロールパン」

「やったあ」


主に魚と油揚げに反応したユウは、尻尾をぴんと伸ばしてぶるると震える。

鱗隠しの服を着ているとはいえ、まだまだ外は寒い。

次があれば、下に敷ける座布団を持ってこようとかがりは思った。


「寒かったか?」

「ううん平気、山の方が寒い」

「そうか」

「でも暇だった。次は俺も入れる店がいいな。ないの?」

「盲導犬なら別だが、動物が店に入るのは難しいよ」

「テレビで見た! あれなら出来るよ俺。そっちは危ないぞって教えてあげればいいんでしょ」

「いや喋ったら駄目だろ」


人に準ずる知能というアドバンテージがある分、英雄より介助狐の方が余程世間の役に立ちそうだとは、かがりも言えなかった。

リードを軽く引いて促され、ユウも歩き始める。

待っている間に自分の体温で温まっていたらしく、アスファルトに踏み出す一歩は思いのほか冷たかった。

駐輪場を出て表通りに戻り、参考にできそうな店を探しながらぶらぶらと歩く。

寒さのおかげで生鮮品が傷むのを気にする必要はない。気楽なものだ。

茶葉屋、却下。青果店、却下。和菓子屋、却下。

地方都市でまだ息をしている個人商店となると、どうしても食品関係が多くなる。

他に目につくのは飲み屋だ。あのスペースにカウンターを設置して熱燗を提供している自分の姿を想像してしまい、かがりは首を振った。

書店……はもう見た。弁当屋、却下。ハンコ屋、これは一応候補に入れておく。不動産屋、そもそも何を参考にしろというのか。


こうして意識して眺めてみると、かがりが思い描く光景に近いのは、日常で頻繁には利用しない品を扱っている店であった。

ただ、そうした店はいかんせん高級そうで敷居が高い。気軽に狐は入れますかと聞けない雰囲気が漂っている。


「……ん? どうした?」


ユウが立ち止まり、口でリードを咥えて引いていた。

人の多い場所で話す訳にはいかない為、何かある時はこうして注意を引く決まりになっている。

黒々とした鼻先が向いている方へ、かがりも目をやった。白い壁に黒の幌が被った、小ぢんまりとした造りの店。

アンティークショップ、と日頃口にしない単語を無意識に呟いている。

確かにこれなら、現状かがりが大雑把にイメージしている新生きつねやの姿に最も近い。

こう言っては何だがアンティーク商品に昼間原でさほど大きな需要があるとは思えず、あれこそまさに趣味の店の最たるものであろう。

アンティークショップというより古道具屋か中古品販売店と呼んだ方が相応しい店構えのきつねやでも、得るものはあるかもしれない。

よし、とかがりは決意し、横断歩道を渡って店に向かった。

入口のドアは大きく開放されている。覗く店内は明るすぎる事もなく、かといって一見では入り辛いと感じるような暗さでもなく、これが客商売たる者の照明かとかがりは早速感心した。道路から中がまるで見えないきつねやとは大違いだ。


「ごめんください」


おまけになんと入口を跨いだだけで、シャランシャランと涼やかなベルの音色が頭上から鳴り響くではないか。

うちなら何が鳴るだろうとかがりは考える。ガタピシと引き戸の軋む音か。

あまり広くはない店内に、他に客はいなかった。ベルの音を聞いて、奥から店長と思しきエプロン姿の若い女性が出てくる。

エプロンといっても家庭で着用するような実用本位の物とは違い、艷やかな光沢を放つ生地からして上質なのが見て取れた。

どうも見学すればする程きつねやとの格差が開いていくばかりの気がしてくる。


「いらっしゃいませぇ。手にとってご覧になりたい時には一声お掛けくださいね」

「あ、ありがとうございます。

それで……当たり前の事をお尋ねしますが狐は中に入れませんよね。この、これ」


かがりは数回リードを引っ張ってみせ、律儀に自分だけ入口の外で待っているユウの存在を伝える。

確認するまでもない事である。古くて高価で繊細な品を扱っているアンティークショップに、動物を立ち入らせて良い筈がない。

かがりが聞いてみたのも、ここまでおとなしく付いてきているユウに一応の義理を通そうとした為だった。

が、続く意外な返事にかがりは僅かに目を見開く。


「そちらの狐ですか? 大丈夫ですよ、どうぞー」

「えっ、入って大丈夫なんですか?

……あの、狐ですよ? 犬じゃなくて狐です。ぬいぐるみじゃなくて生きてるやつ」

「はい、問題ありませぇん。亡くなってからのご連絡か事前予約が多いですけど、当店では持ち込みも受け付けております。

あっ、どんな具合に仕上がるかよろしければ現物ご覧になります? 奥でいっぱい待機してますからぁ、たくさんの子が。

わたしぃ、これでも腕には自信があって、師匠からも『お前にはもう教える事はないぞよ』とか言われちゃって! きゃっ!

今奥にあるのだと、名付けて『龍に立ち向かう岩魚とトビケラ弾』が我ながら渾身の作で」

「違います剥製じゃないです!! ここはアンティークショップでは!?」

「あら、これは失礼しました! てっきりこっそりシメて最高の鮮度で剥製を作ってくれという非情非合法非常識な素敵お仕事かと!

……まあ……でも灰銀色混ざりなんて珍しくて素敵な毛並み……うふっ」


既にずるずると後退りして一刻も早く入口から遠ざかろうとしているユウに、店長の女はうっとりした目を向けた。

首輪が頬骨に引っ掛かっているせいで、またあの散歩を拒絶する柴犬の顔になっている。

ユウをさりげなく背中に庇いながら、かがりはもう一度聞いた。


「アンティークショップなのでは……?」

「ええ。アンティーク、好きです」

「そうですか」

「でも剥製も好きなんです」

「そうですか……」

「いかにして生前の躍動感を再現するかが、アンティークにも通じるものがあって」

「通じるんですかね、それは」


静かで落ち着いたイメージのあるアンティークに躍動感は必要なのだろうかと、かがりは力説する女に懐疑的な目を向けた。

中には動作を強調した品もあるのかもしれないが、躍動感の追求にしても何故岩魚がトビケラを伴い龍に立ち向かっているのか。

いかにも聞いてくれと言わんばかりに、女は眼鏡の奥の瞳を輝かせている。

全く気にならないといえば嘘になるものの、深く踏み込むのはやめた方が良さそうに思えた。

店内の商品レイアウトは参考にできそうだが、ここにはもう来る事はあるまい。色々な意味で危ない。

かがりは礼を言って店を出た。帰り際に渡された名刺を財布にしまいながら、足元のユウを見下ろす。


「参考にできそうかな?」

「しないで」


呟いたかがりに、ユウが言葉少なに求めた。


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