灯玄坂の巣の中で

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昼間原狂騒・一岩 - 5

公開日時: 2020年9月7日(月) 03:01
文字数:5,578

翌日、かがりは普段と同じ時刻に目覚めた。

あんな事があったばかりだというのに、染み付いた習慣というのは恐ろしい。

安っぽく鳴り響いている目覚まし時計へ振り上げた手を、力なく下ろす。

帰宅後は食事と入浴を済ませてすぐに寝たから、いつもより睡眠時間は多いくらいだというのに、疲れが抜け切っていない。

それも肉体面ではなく、精神面の疲労が尾を引いている。

一晩明けて気持ちを切り替えたつもりでいても、そう簡単にはいかなかったようだ。

本来なら昨日やり残した仕事を、即ち発生現場の再点検と、他に巻き込まれた者がいないかの確認を行うべきだが、すぐには外に出る気になれず、仕方なく朝食後暫くはだらだらと昨日買った雑誌を読んで過ごした。

その後で少しだけ大掃除の続きと、テーブルを持ち出して新しい商品配置について考えてみる。

じきにやや気分が上向いてきたので、昼過ぎに外へ出た。

万一に備えユウは置いていこうとしたものの、当のユウがどうしても行くと言い張って聞かなかったので、諦めてリードを着ける。


いつもと同じルートをまず巡り、それから昨晩幻に包まれていた方面へ向かう。

道中、変わった事は一切なかった。祭り囃子など聞こえず、異変の兆しすら見て取れない昼間原の日常がそこにあるだけ。

かがりは目に留まった個人商店に入り、適当な品を持ってレジに向かうと、昨晩この辺りで祭りをやっていなかったか聞いてみた。

店の人間は何故そんな事を聞くのか不思議そうに、やってませんでしたよと答える。

他に二軒回ってみたが、どちらも同じ反応だった。次に向かった、がま寿司に近い場所の店でも、やはり祭りなど知らないという。

巻き込まれていないのか、巻き込まれたが忘れているのか。

騒ぎが広まらないという意味では安心すべき結果だろうに、かがりは余計に疲労が増したように感じた。


更に、その翌日。

ようやくほぼ完全に復調したかがりは、朝から報告書の作成に掛かりきりになっていた。

普段なら空欄を機械的に埋めていくだけの作業に、いちいち頭を悩ませる。

どんなに考えても、今回の一件を適切にまとめられずにいた為だ。

正確には、まとめようとすると一行で終わってしまう。


某年某月某日某時刻、唐突に街中に夏祭りが発生し、自然に消滅した。


それだけだ。

祭りの様子、発生地点及び範囲、異変が続いた時間の長さなど、報告すべき事項は山程ある。

しかし、それらは同じ場に居合わせれば素人でも分かる観察結果に過ぎない。

肝心の核となる部分は、やはり「いきなり始まって、いきなり終わりました」の一言なのだ。

首謀者の姿も、こんな真似をしでかした理由も特定できておらず、困って歩いてたら出られましたではあまりに情けない。

かがりが店を受け継いでから、今回のような事は一度もなかった。父からも聞いていないから、前例も無かったのだろう。

そもそも昼間原において、大規模な異変など起こる筈がなかったのに。

キーを打つかがりの指は止まったままだ。

求められているのは事実のみを羅列した報告であって、学生のレポートではないのだから、必要以上の推測や考察は無意味なのだが、それでも何か捻り出そうと頭を悩ませる程、己の無力さを味わって虚しくなる。


「かがり」

「……ん。ああ、もうこんな時間か。待ってろ、何か作るから」

「そうじゃないよ、お客さん来てる。っていうか、あの市長のおじさんだよ!」


ぼやけた頭が一気に覚め、かがりは向かっていた年代物の文机から跳ね起きた。

机に負けず劣らず古びている、既にバッテリーが効かないノートパソコンのプラグが勢いで外れかけたのを慌てて差し直し、店の方へ出てみると確かに蟻巣塚が立っている。

昼間からどうしたのかと聞くかがりに、予定が空いてたから昼休憩で寄ったと蟻巣塚は答えた。

成る程、肩越しに見れば表に車が停めてある。

どうせ一昨日の事で悩んでるんだろと言う蟻巣塚に、まさにその最中だったかがりは気まずく黙り込むしかない。

蟻巣塚は豪快に笑って、持参した寿司の折り詰めをかがりに押し付けた。がま寿司、と書いてある。


「はい、これ約束の寿司。

店で奢ってやってるの見られるとうるさいからな。途中で握ってもらってきた。

特上だぞ特上。わーいと喜べ」

「はは……ありがとうございます」

「あっ、お寿司あるの!?」

「おう、狐くんのは半分稲荷寿司にしてもらってあるからな」

「やったあ! ありがとう市長のおじさん! あと俺はユウだよ」

「どういたしましてだ。そろそろアリスって呼んでもいいんじゃないんかねえ」


かがりがひとまず畳の間に置いた折り詰めを凝視しながら、ユウはぶんぶん尻尾を振っている。

体は前へ向けながら上半身のみ捻って後方へ向けるという、実に器用な体勢だ。

寿司をくれた蟻巣塚への義理と、その寿司が気になってならない心とを両立させた結果だとしても、苦しくないのだろうか。

かがりが勧めた茶は、当たり前のように断られた。

がま寿司へ立ち寄った時間も含めて、どう考えてもそんな暇はありそうにない。

おそらく今日のまともな昼食をとる時間を潰してまで寄り道してくれたのだと思うと、かがりは申し訳なくなった。


「そういや外がえらいゴミだらけだったけど、何あれ?

こっちの部屋も空っぽになっちゃってるし」

「これは……大掃除の途中で」

「あー思い出した、あん時に言ってたアレか。やらないの?」

「取り掛かり始めたところに先日の騒動があったでしょう。なので今はちょっと……」

「や、あっちの事も考えなきゃならないのは分かるけどさ、

かといってほっぽっといても粗大ゴミが歩いて集積所まで行ってくれる訳じゃないでしょ。

まずあれこれ悩まなくて済む単純作業を終わらせちゃいなさいよ。汚いままだと尚更気が滅入るしさ」

「……その通りなんですけどね」

「見回り、行ったの? なんかいつもと変わった所あった?」

「ありませんでした」


かがりは見てきたままを伝えた。

まだ二日目に過ぎないとはいえ、昼間原は日中も夜も不気味な程いつものまま――いつもの穏やかに異常なままだ。

激流にはなり得ない浅い小川の中に、時々躓きかける小石が出っ張っているだけの。

詳しく調べようにも、手持ちの文献は父から譲り受けた基礎的なもののみ。

ならばと、高度な技術を扱っている専門家に頼ろうにも、まず教えてもらえそうな人物に当てがない。

同業の他家との交流が、かがりにはほぼ無いのだ。

余所と関わる機会といえば必要な消耗品の仕入先程度で、それとて伝票上のやり取りだけで深い付き合いではない。

ある意味で、半役所務めの弊害がここにきて一気に噴出したと言える。


「今回の一件だけどね」

「はい」

「フッチーの手には正直余ると思う」

「悔しいですが同感です」

「あ、悔しいんだ」

「一応これでもプロの端くれですので。

今は……譲渡によって更に力が落ちてしまっていますし」

「そうだねえ。そこにきてこの前代未聞の異常事態勃発となると……」

「クビですか」


あえて率直にかがりは切り込んだ。

自暴自棄ではなく、声は冷静である。一昨日、帰宅した時から頭の中をちらついていた可能性だった。

あれが一度きりで終わる保証はどこにもない。

いつ次が起きるとも、いつまで続くとも、次は死傷者が出ないとも限らない外部からの攻撃。

何度も同じ事が続くなら市としても対策を打たねばならず、そこに今回為す術なく翻弄されるだけだったかがりの居場所はない。

手に負えない仕事なら手に負える者を探すのは、至極当然の事だ。

ましてかがりは、助けなくていい狐を勝手に助けて力の一部を失っている。

仕事をするのに支障はないからというのも、今まで通りの仕事なら、という前提あっての話。

設備の故障した工場に、更に規模の大きな仕事を任せる依頼主などどこにもおるまい。


「すぐにそんな事にはならないよ。

代わりを探すにしたって、ねえ。当てはあるんかい?」

「残念ながら私にはありません。日頃から関わりがあるのは、消耗品の仕入先くらいです」

「だよねえ。それに、もし代わりを探すにしてもそれはあなたの仕事じゃなくて、こっちで交渉して手配する事になる。

代打探しにあなたがあちこち頭を下げて回る必要はないから、今は自分の仕事をきっちりやってなさい」


代わりが必要になる可能性を否定はしないまま、蟻巣塚が言った。

はい、と答えるかがりを、不安そうにユウが見上げている。

蟻巣塚はそれから、空っぽになっている店内をぐるりと眺めた。

すっかり物が退けられ、埃っぽさや湿っぽさも取れて窓から光も入るようになり、隅では空気清浄機が低く唸っている。

部屋の端に一台ぽつんと置かれた折りたたみ式のロングテーブルの上には、五種類ほどの商品が統一感なく並んでいた。

ディスプレイのテストをしようと雑誌を見ながら並べ、そのまま放置していたものである。


「ちゃんとした店にしようとしてたんだっけ?

それっぽくなってるじゃないの。ただ片付けただけっていうより、これから動き始めようとしてる息吹を感じる」

「……まずいですか?」

「構わないよ。一応ね、形としては民間に委託してるんだから、

あそこは何やってるんだと疑われるようなボロ屋より、多少ちゃんとした店の方がややこしくならない」


意外にもというべきか、蟻巣塚は改装については肯定的だった。

重要なのは本業の方であるから、肯定的というよりどうでもいいという扱いが正しいのかもしれないが。


しかし口頭とはいえ許可が下りても、かがりは手放しで喜べなかった。

眼前にある大事件の解決の糸口が掴めない焦りと、店の改装をしたところで他の人間が仕事を任されて、最悪、昼間原にいられなくなるかもしれない可能性が浮上してきた為だ。

いずれ、それも遠くない未来に出ていかざるを得ないかもしれないと思うと、自然、熱も入らなくなる。


仮にそういった判断が下されたとしても、蟻巣塚を始めとする市の決定を恨むつもりは、かがりにはなかった。

今までずっと街の為に尽力してきたのになどと憤る資格は、市の息がかかっていない者のみが持つ。

莫大な見返りこそ得ていなくても、仕事の楽さと安全さを思えば、むしろやらせてもらっていた立場だ。

この業界は実力が全てだという事くらい、食うか食われるかの世界から離れていたかがりでも意識はしている。

今は店の飾り付けよりも、もしもお役御免になったらどうやって食っていくかを優先して考えてしまう。


「あのね、市長のおじさん」

「ん?」


声をかけられ、知らぬ間にすぐ足元にいたユウを蟻巣塚は見下ろした。

小さな狐は夢中だった寿司の折り詰めからも目を離し、前肢を揃えて座っている。

黙ったまま、ずっと話を聞いていたらしい。


「かがりね、俺が仕事の邪魔しちゃって迷惑かけたけど許してくれて、殺されそうだったのも助けてくれて……。

お店もずっとほったらかしにしてたのを、よしキレイにしようってなって、すごくやる気になってたんだ。だから……」

「あー、クビなんて言ったから心配してんのか。

そーだなー……そこは政治屋曰くの『適正に判断する』ってやつだ。

荷物まとめていきなり出てけなんて事には絶対させないから、そんな深刻そうにしょんぼりすんな。

オレが買ってきてやった特上寿司がまずくなっちまうぞ。特上だぞ特上、な?」


やはり立場を保証するとは言わなかったが、それでも浮かべた笑みは作り物ではなく感じられた。

それから蟻巣塚は、ロングテーブルの上に並べてあった品物のひとつを拾い上げる。

純粋に関心を持ったようでもあり、若干沈んだ場の空気を察して話題を変えようとしたようでもあった。


「さっきから気になってたんだけど、この変なのは何だ」

「フタコブペンギンラクダのぬいぐるみだよ! おすすめだよ、かわいいよ!」


すかさずユウが売り込みにかかる。

なんでこれを売ろうとしたという顔をしながら、じゃあ折角来たしこれ買うわと蟻巣塚が言い、なんでこれを買おうと思ったという顔をしながら、かがりが無言でぬいぐるみを受け取った。


「ま、かるーく宣伝くらいしといてやるよ。あの店ちょっと新しくなったみたいだぜ、ってな」

「それは……気持ちはありがたいですが、あまり客が押し寄せても困りますので……」

「なんでちょっと宣伝したぐらいでこんなあばら家に客が押し寄せて困る妄想してるんだよ、恥ずかしい奴だな」

「前言撤回します。確かに恥ずかしい妄想でした。あと余計なお世話です」


かがりは悪態をつきながら、滅多に使わないレジカウンターで手早く会計を済ませた。

最初に売れた品がよりによってこれというのが店の未来を暗示しているようで、どうにも不吉である。

儲けは雀の涙。百貨店で買ってきたのをそのまま置いただけだから当然だ。

元の値札が付いたままになっていないかもう一度確認してから、かがりは怪しいぬいぐるみを袋に入れて蟻巣塚に渡す。

あそこの百貨店で売ってますよと教えようか迷って、結局やめた。

ユウだけが、自分がきつねやに関わってから初の売上げにはしゃぎ、ビニール袋をぶら下げて出口へ向かう蟻巣塚を見送っていく。

その後をかがりも追った。外の日差しは冷たい中にも厳しさが薄れつつあり、着実に近付く春を教えてくれている。


「そうだ、ひとつ思い付きがあるんだ是非聞いてくれ」


車に乗り込もうとする直前で、蟻巣塚が振り返った。

祭りの時といい、この男は去り際に一言残していく癖でもあるのだろうか。


「いいか、こいつはあくまでオレの思い付きで、誰かと相談して出した結論じゃないし根拠がある訳でもない。

テレビドラマの次回を予想するみたいな、いや映画の続編を予想するみたいなテキトーな雑談と思って聞いてくれ」


雑談だと、あらかじめ前置きされたのにも関わらず。

何故かかがりには、蟻巣塚の口が次に動くまでの時間が、ひどく長いものに感じられた。


「大ナメクジの野郎……ひょっとしたらまだ生きてやがるんじゃねえのか?」

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