荷物を担ぎ上げて教室を出る和の後に野仲も続く。暗い雰囲気の旧校舎。取り壊し予定が伸びに伸びて今に至るらしく、教師生徒ともに立ち寄ることのない、いわくつきの場所である。
今となってはその理由も野仲にはよくわかる。周囲を見渡しながら和の後に続いて旧校舎の薄暗い廊下を進む。
野仲はこの3日間、和に呼び出されて旧校舎で妖を祓ってきた。
「そろそろ感覚忘れてまうやろ、特訓や!」
と何の前触れもなく、唐突に言われて。そんなわけで夜は妖を祓い、日中には眠気と戦いながらここ数日を過ごしていた。
野仲と和はこの日も計5体の低級の妖を祓い、一番最初に待ち合わせをしていた教室へ戻ってきた。
時刻は21時を回り、新校舎にもおそらく残っている生徒がいないであろう時間となった。
「やっぱり旧校舎には結構な数の妖がいるんだね。ここ何日かでそこそこ祓ったと思ってたけど」
「そういう磁場、いうのか、高頻度に沸く場所があるんよ。この旧校舎も条件が色々揃っとるからな」
和が魔法瓶の水筒に入ったお茶を水筒の蓋に注ぎ、ふぅ、ふぅと冷ましながら音を立てて飲んだ。白い湯気が立ち、香ばしい香りが野仲の鼻をくすぐる。
あの大量の荷物にお茶まであったのか。流石に慣れてる、っていうか慣れすぎて遠足みたいになってるのはどうなんだ……。
少し呆れている野仲を尻目に落ち着きながら和が話を続ける。
「封印やらなんやらで根本から対策せんと無尽蔵に出てくるやろな。この広さやし大掛かりな術になってまうから、すぐには出来ひん。んまぁ人の出入りも少ないし、人に害を成せるほど成長もせんやろ。今はこうしてちょこちょこ祓っとけば問題なしや。……して、野仲はどうや? 見てた感じ大丈夫そうやけど、式を扱うのんも多少は慣れてきたんか?」
和がお茶をすすりながら野仲を指差す。式、とは当然式神のことである。野仲は「えっと」と一拍置いて答えた。
「和から預かってる3体は、体感的にはどれも得意不得意なく扱えるかな」
和は「ほぉかほぉか」とお茶を啜りながら相槌を打った。
「んにしても、相変わらず五行の特性があんま偏ってへんなぁ。どの系統もあんまり違和感ない、いうんわなぁ」
「そこはほら、僕の特徴というか呪いというか」
「妖怪ミスター平均点な」
「それそんなに有名なの!?」
都市伝説にノミネートされそうなのもあながち嘘じゃないのか? と野仲が戦々恐々とするのも無視して和がつづける。
「なんもかんもが平均的っちゅうあれやろ? 五行まで平均的なんてあるんか? 式神を扱うのんにも、系統の向き不向きで顕現すらさせられんことが普通にあるもんなぁ。やけど3系統やろ? 珍しいわぁ。逆に普通やないやろ。いや、そんなことないんか?」
と、和は頬杖をつきながらぶつぶつと呟き考え込み始めた。
「普通じゃない? そうかなぁ?」
野仲が頭を掻きながら言うと、和は野仲を白い目で見ながら「なんでちょお嬉しそうやねん、きっしょいわぁ」と吐き捨て、再度思考し始めた、が。
「ま、ええか! わからんこと考えてもしゃーない、精進せえ! ほな、今日のところは帰ろか、寒うてしゃーないわ」
いつの間にか荷物を片付け終えていた和が腕をさすりながら教室の出口に向かう。
「ちょ、待ってよ和!」
野仲もいそいそと準備をして和に続いて教室を、そして旧校舎を後にした。外にはしんしんと雪が降り注ぎ、春の終わりとは思えない景色が広がっている。
「それにしても、もう3日も経つのにまだ雪が降ってる。どうなってるんだろうな、もう夏になるのに」
旧校舎の正門にある古びた門を閉め、錆びて軋む音に顔をしかめながら野仲が呟いた。
「せやなぁ」
興味なさげに和が相槌を打つ。ふと、野仲の脳裏に八条の言葉が蘇った。
——でもあれね、一番に騒ぎ出しそうな和が騒がないのも不思議よね。
やっぱりそうだよな、と野仲は訝しみながら前方を歩く和の後ろ姿をぼんやりと眺めた。
肩上で切り揃えられた、日本人形を彷彿をさせる漆黒の髪がさらさらと風に揺れている。漆黒の髪とその上に薄く降り積もった雪が、何かを明確に分ける境界線のように見えた。
この数ヶ月、和を見て、和を手伝ってきた中でわかったことがいくつもある。校内で不可思議な現象が起きた時、和は騒ぎ立てながらもその実しっかり調査はしているし、妖が原因だったら対処もしていた。
野仲はそう思いながら、数ヶ月間の数々の出来事を反芻する。
妖相手で心配しすぎなんてことはない、とも以前話していた。その和がこの異常気象になんの疑問も持たず、興味すらも持たず調査もしないだろうか。
旧校舎から新校舎までの間の、雑木の合間を歩きながら考える。地面にふわりと積もった雪をギュッギュッと踏みしめる音だけが暗い道に響く。
そういえば旧校舎に呼び出されて夜な夜な妖祓いの手伝いをさせられ始めたのも3日前、雪が降り始めた頃だったっけ。2年に進級してからはほとんど呼び出されることもなかったのに。もしかして和は何か知っていて、僕にもそれを隠してる?
そんな確証の無い推論が野仲の頭をぐるぐる回っているうちに、気がつくと和との帰路の分かれ道に辿り着いていた。
「ほなお疲れ。今日も手伝いありがとうな、ゆっくり休み。ほなな」
「あ、うん。和も。あったかくして、お腹冷やさないように」
「おかんかお前は」
ひらひら手を振って翻す和を見送り、野仲も帰路につく。
考え事をしながら歩いていたせいか、寒さにあまり気づいていなかったようだ。
「さぶっ」
冷気をはらんだ風に吹き付けられ、野仲は思わず身をすくめる。
明日あたりに、和にハッキリ聞いてみようかな。もやもやするし。そう考えながら雪に包まれる街を歩く。
ふと、遠くの路地に目が移った。雪とは異なる、白い何かが街灯に照らされながら動いているのが見える。
「白装束……?」
って言うんだっけ、と心の中で続けながら目を凝らす。
真っ白な装束を着た人、女性だ。この寒さの中、コートも着ずに歩くのは中々に危険ではなかろうか。
ゆっくりと、だがしっかりとした足取りで揺れるように歩く姿に、野仲は目が離せなくなっていた。白装束を着たその女性が、ゆっくりとこちらを向くのに気づきながらも、目線を外すことができない。
パチリ、と目があった、気がした。ひどく冷たい目。
しかし、瞬きの間に女性の姿は消え、野仲の目線も自由を取り戻した。
「……幽霊?」
野仲は抱きかかえるように自身の両腕をさすりながら足早にその場を立ち去った。
見てはいけないものを見た気がする。身体が内側から凍えるようだ。
その晩は疲労からか恐怖からか、ベッドに入るや否や野仲は泥のように眠った。
*****
「た、助けてくれっ」
尻もちをついた男が、雪にまみれながら後退りして懇願する。
金に染めた髪をツンツンと四方八方に尖らせた、ホスト然とした見た目の男だ。男の目線の先には、ひたすらに白く、美しい女が立っていた。暗く、冷たい瞳が男を見据えている。
「わ、悪かった。美人だったから、ちょっと、ほら、ナンパってやつだよ」
ホスト風の男が青白い唇を震わせながら言い訳めいた言葉を女に向ける。
女は一歩、男に近づく。
「ひっ! た、たのむ、助けてくれ、嫌だ」
涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになった男がさらに懇願する。
女が男に向かって細く白い手を差し出すと、男は恐怖に顔を歪ませる。
「ば、バケモーー」
女の手が男に触れた瞬間、言葉は途切れた。
女は空を仰ぎ、両手で顔を覆う。
「……嫌い。きらい。キライ」
——大っ嫌い。
立てた爪が女自身の顔をえぐる。女は手を下ろすと、纏った白装束を翻した。顔についた深い傷から血は見えず、まるで人形のように無機質だ。
女はその場をゆったりとした足取りで離れ、降り頻る雪に紛れて消えていった。
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