紫宝院和が転校してきたのは、雪景色の広がる2月中旬の頃だった。
3年生が自由登校となり学内が少し静かになった時期に、嵐のように彼女が転校してきたことを野仲は昨日のことのように思い出すことができる。そしてそれはきっと、蓮乃や東雲、八条にとっても同じだろう。
「よし、入れ」という担任教師の淡白な言葉が突如として発せられたホームルーム。その言葉に従ってガラリと扉を開いて現れたのは、日本人形を彷彿とさせる黒髪おかっぱ頭の女生徒だった。
教壇へ向かう横顔だけ見ても、整った顔立ちをしていることが野仲には容易にわかった。
突然のことにざわつく教室の中で教壇に立ち、さらりと正面を向いた彼女は、一際目を引く大きな瞳をクラス中に向けた。緊張など感じさせない堂々とした佇まいだった。
男子生徒諸君の中には、この時点で心臓を鷲掴みにされた者もいただろう。それほどまでに引き込まれる存在だった。
そして、キッと結んでいた薄紅色の唇を緩め、口を開いた。
「おおきに! うちの名前は紫宝院和。陰陽寮大阪支部に所属する陰陽師や。この辺りの気の流れがな〜んや怪しい言うことで調査のために転校して来たんやで! まぁ調査言うても学生の本分は勉強やからな、当然授業にはしっかり参加さしてもらう。身の回りでおかしなことがあったらうちに相談しいや。よろしゅう!」
ポカーンという音が教室内に響いていた。かく言う野仲も口を開けたままアホ面を晒していた。マシンガンのごとく発せられた言葉の数々のうち3割程度しか野仲の頭に入らず、残りは耳を通り過ぎていった。
ちなみに後で聞いた話だが蓮乃はその時、関西弁カッケェと思っていたらしい。
一瞬の静寂の後にクラス中が再びざわつき出すのも気にせず、紫宝院和は満足気に腰に両手を当ててフンッと鼻を鳴らした。その直後に担任教師から「お前の名字は立花だろ? 立花和」と言う指摘でもうカオスだった。
そんなインパクトしか残さなかった自己紹介から、クラス中が様子を伺うような、絶妙な距離感で接する状態が続いた。転校を機にイメチェンをしようとキャラ作りをやり過ぎたのかな、というのが大方の見解だった。
しかし当の本人は気にする様子もなく、キャラがブレることもなく、飄々と日々を過ごしていった。
都市伝説の話で盛り上がっている女生徒たちがいればその輪に加わり、話を聞くと調査や調査やと走り出す、といった具合にはなんだかんだとクラスメイトとの関係を築いていた。
ちなみに蓮乃はその頃、和の関西弁に影響を受けて関西弁を真似していた。野仲は当時のことを、とにかくすごくウザかったしみんなにもウザがられていたと記憶している。
そしてここまでが、野仲以外のクラスメイトたちの紫宝院和に関する記憶だ。
この日の出来事にはまだ続きがある。転校初日の自己紹介を終えた後、静かに物語は野仲を連れて進んでいた。
——立花だろ? 立花和。
そう担任の数学教師、溝渕から発せられた言葉は生徒たちをさらにざわつかせるのに十分なインパクトだった。
「あー、おいお前ら静かに……ったく。立花、お前の席はあそこ、後ろの空いてるスペースに机置くからそこ座れ。あー、野仲ぁ! お前の隣に立花の席作っから、予備室から机持ってこい」
ポカンとしていたところに急に名前を呼ばれ、野仲は「は、はい」と反射的に返事をしてしまっていた。後悔した時にはもう遅い。
「ホームルームは終わりだ。用事がないやつはさっさと帰れよ」
貧乏くじを引いたなと顔をしかめている野仲のもとに立花和が近づいてきて一言、「よろしゅう」と笑顔で告げた。
野仲は担任教師、溝渕の指示通りに予備室へと足を運び、立花和と共に机と椅子を運びだして教室に持ち帰った。本来ならばそこでお役目御免となるところだが、立花和たっての希望で校内を案内することになった。
「——で、ここが美術準備室。四階の端っこにあるし、選択授業でしか来ない教室だから僕もあんまり入ったことはないんだよね」
「ほ〜ん。結構広い学校なんやね」
興味があるのかないのかわからない調子の立花和に最後の教室を紹介した野仲は、「ここが最後だけど、他に何か聞きたいことある? えっと、立花さん?」と聞いた。
「紫宝院や」とすぐさま訂正した後、少し考えた彼女は人差し指を立てて後方を指差した。
「あっち、学校の入り口の反対側に山があるやろ? そこって、あー、なんかあったりするんか?」
「裏山の方? 僕も行ったことないけど、旧校舎っていう昔使われてた校舎があるらしいよ。かなりボロボロだとかで、立ち入り禁止だとは聞いたな」
入学当初に聞きかじった記憶を話しながら、そんな話もあったな、と思い返していると。
「なんやおもろそうやんけ。怪しい匂いがプンプンやね。野仲くん、案内してくれへん?」
紫宝院和の提案に野仲はギョッとして両手を振った。
「いやいやいやいや、立ち入り禁止になってるんだってば! それに良くない噂も……」
あ、と野仲が思った時にはもう遅かった。紫宝院和の目はさらに輝きを増して、獲物を見つけた捕食者のようにすら見えた。
かんっぜんに悪手だ。案内中のやり取りが普通すぎて忘れてた。彼女が自称陰陽師のイタ……変わった子だということを。
そんな後悔も虚しく、紫宝院和はずんずんと下へ降りるため階段に向かって歩き出していた。間違いなく、旧校舎へ行こうと。
きっと僕が案内を断っても、一人ででも彼女は旧校舎に行くんだろう。女の子を一人で旧校舎に行かせるなんて……できるわけないよなぁ……。
野仲はそう諦めると、うなだれながら彼女の後をとぼとぼと追った。外はとうに陽が落ち、月の光だけが白い世界を照らしていた。
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