お母さんが、ずっと家へ帰って来ない。きっと、今もあの大きな箱の中で眠っているのかな。それとも、天の国に到着したのだろうか。もう、あれから一週間が経つ。
お母さんが眠ってしまったのは、雪が深々と降り積もる夜の事……。
病室のベッドで、お母さんは静かに眠っていた。どうして、顔に白いハンカチの様な物をかけているのだろう。
「ねえ、お母さん……起きて。一緒に家に帰ろう。ねえ……お母さん」
俺はお母さんに声をかけるが、起きる様子は全くない。そんなお母さんを潤んだ瞳で見つめ、お父さんは言った。
「……永戸、お母さんはもう起きないよ」
「え、どうして ? お母さんはいつまで眠るんだよ」
「お母さんはね、永遠に眠るんだ」
「嘘だ……そんなの嘘だ ! お母さん、起きてよ」
お父さんの言葉を、俺は信じられなかった。だって、お母さんは昨日まで、毎朝起きて普通に一日を過ごしていたんだ。それなのに、もう二度とまぶたを上げる事がないなんて、考えられない。そんなの嫌だ ! 溢れ出す涙が止まらなかった。
俺は、いつかお母さんが目を覚ますと信じていた。まさか、そのままどこか遠くへ行ってしまうなんて、思ってもいなかったんだ。
花が綺麗に飾り付けられたこの広い会場で、お母さんは姿を消す事となる。
大きな箱の中で、お母さんは気持ち良さそうに眠っていた。今日こそは目覚めてほしくて、俺はまたお母さんに声をかけた。
「ねえ、お母さん……どうして、今度は箱の中に入ってるんだよ。起きて出てきて」
「お母さんは、もう直ぐ遠い所へ行くんだよ。だから、皆でお別れ会をするんだ」
お父さんは、悲しそうに言った。それなら、あの黒いスーツを着た人々は、お母さんを見送りに来たのか ? 皆、涙目でお母さんの寝顔を見にやって来る。
「嫌だ。お母さん、行かないで。どうして、どこかへ行っちゃうんだ。俺の事、嫌いになっちゃったのか ?」
「違うよ……そうじゃない。お母さんは、元の世界へ帰るんだ。人間はね、この人生での役目を終えると、天の国へ行くんだ。そして、そこから優しく私達を見守ってくれる」
お父さんの言う通りなら、俺はもうお母さんに会えなくなるのか ? どうして、空の国へ行ってしまうんだよ。俺を置いて行かないでくれ。いつまでも、俺は泣きじゃくった。
この日から、お母さんは一度も家へ帰って来ない。天の国から、俺達を見守ってくれているのだろうか。きっと、いつか俺の元へ帰って来てくれるよな ?
お母さん、俺はいつまでも待つよ。
「ここで手を合わせて、心の中でお母さんに声をかけてごらん。そうすれば、その思いは天の国に居るお母さんに届くからね」
お父さんはそう言って、黒いタンスの様な物の前へ、俺を座らせた。これは、何だろう。中には小さな花が添えられていて、その奥に仏様が飾られている。全体的に、金色でとても綺麗だ。
「……これで、お母さんと会話できるのか」
「お母さんからのメッセージを、心で感じ取りなさい。目を閉じて、気持ちを穏やかにしてやってごらん」
俺は、お父さんに軽く頷く。そして、そっと瞳を閉じ、手を合わせた。お母さんに心を使って話しかけてみる。
「お母さん、会いたいよ。俺は、お母さんの帰りをずっと待ってるから」
これで、俺の言葉はお母さんに届いただろうか。それなら、きっとここへ帰って来てくれるよね ?
「お母さんからの返事が聞こえない」
「……お母さんは、とても遠くにいるからね。そんな簡単には、感じ取れないさ」
「俺の言葉は、しっかりお母さんに届いた ?」
お父さんは俺の頭を優しく撫で、こう答えた。
「ああ、必ずお母さんに伝わっているよ。これからも、話しかけてあげなさい」
それから、俺は毎日ここで、お母さんに思いを伝えた。お母さんはもしかしたら、遠い場所からこちらに向かっているかもしれない。
寂しいのは、俺だけじゃない。お父さんも、きっと俺と同じ気持ちだ。だって、壁にお母さんの写真を飾っているから。お母さんの事がよっぽど好きで、早く会いたいんだろうな。
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