先ほどまでは少々熱い学生ノリを披露した新人殺しも車に乗れば戦闘員の面をするようになっている。比較的静かな車内の中でベルゼブブの討伐を任せられた優吾は腕を組みながら車内を観察していた。極東支部からはそう遠く離れていない森の中。発見された覚醒魔獣である蝿王は一番近くで見つかったものだった。名称と写真を優吾は閲覧したのだが想像以上にハエであるこの魔獣は何が特別なのかと考えを巡らせる。
優吾の向かいにある席にはレーダーを使ってハエが襲いかかってこないかを確認している稲田班の佐久間直樹がいる。一緒に行動をしたことはないのに優吾からすれば妙に信頼できる男であった。パッツンの髪に覗く目の色は澄んでいる。信頼してしまう原因とも言える女、霧島咲は直樹の横にピッタリと付いている。
「何にも映らないね」
「そうだね、咲さん。画面……僕は大丈夫だけど酔わない?」
「直樹くんが……心配してくれてる……!」
「ん……、まぁね」
あの悲劇以降に何があったかは分からないが直樹と咲の距離感はかなり近づいていた。演習の時やその後日に優吾が咲から聞いていた話とはまた違う反応である。塩対応なんて言葉は似合わなさすぎる。砂糖のような反応をする直樹と咲を見て大きく戸惑った。
それ以上に優吾を戸惑わせる存在は直樹と咲の隣にいる人物だ。八剣班副班長、見鏡未珠。優吾にとって屈辱的な敗北をとってしまった相手でもあり、引き金の理由を教えてくれた人物。まるで自分がいつか理由を知って迷いなく動けるようになることが分かっていたかのようにこの女は優吾に助言を与え、なんなく切り捨てた。あの時の一閃は一瞬すぎて痛みを感じる前に絶命していたようなものだ。気がつけば控室だった。
『まさかこの人と組むことになるだなんてな……』
心の中でそっと呟く。口には一切出していない気がするのだが今まで無言、無表情を突き詰めていた未珠はニヤッと笑い、初めて声を上げる。
「妾と組むのは嫌か?」
静かな車内に響く未珠の声。優吾はギョッとしてキョロキョロと辺りを確認してしまう。隣に座る慎也、向かいの直樹と咲も急に声を上げた御霊に驚いたようだ。何故か優吾は原因は自分にあると感じたようで目元を少し歪めながら恐る恐る尋ねるのだ。
「……もしかして、声に出てました?」
「否定しないのじゃな」
「アッ……」
「よいよい、どうせわかっておるわ。素直なのはいいことじゃ」
「は……はぁ……」
油断のならない女だ。変な空気が車内に広がり始めるのを誰もが感じていた。どう落とし前をつければいい? 優吾は目だけをギョロギョロと動かして大いに悩んだ。改造魔獣との戦いでメンタルは上がったと思ったのだが人間との対話だとそのメンタルはまだまだらしい。
「え、えぇ〜っと……! そ、その〜、お二人はそこまで仲が良かったんですか?」
両手をパンと合わせて営業スマイルを決めた慎也が正面の直樹と咲を交互に見ながら話を振る。対する直樹は集中してレーダーを確認して何やらブツブツと独り言。慎也のハウリングしそうな声は聞こえてはいない。代わりにと隣の咲が直樹の様子を確認しながら当然とも言える表情で
「えぇ、稲田班長のことで色々あって」
稲田班長の落とし物はこんなところで効果を発揮していたようである。
「な、なるほどぉ〜……」
「……ん? 関原君なんかいった?」
「あ、いえ何も……」
『慎也……すまん』
その場に未珠の笑いが響いた。優吾も慎也もよく似たもので話の振りが下手すぎる。演技にしてはクサすぎるこの二人。一呼吸置いて直樹は目をグリグリと押さえてから始めて顔を上げた。
「何があったかは置いといて。時間もあるから少し状況の整理をしましょうか」
「よ、よろしく頼みます」
快い優吾の返事に頷いて直樹はレーダーから得られた情報を話し始めるのだった。
「では現状から。僕たちが相手するのは個体名、ベルゼブブ。蝿と人の特徴を持った覚醒魔獣。人の方は分からないけど蝿の方の特徴としては本体とは別に小型の蝿型の魔獣を従えてる。これらが蝿の方の魔獣と性質が一緒なら……本体を倒せば消滅する。だから僕たちは本体一点狙いで攻撃。最も安全なルートを僕が割り出すから皆さんは本体を早期で撃破してください」
「直樹くんと移動車両の護衛は私が担当します。弱い魔獣には私の魔装が効果的面ですので」
「まぁ……。僕たちが相手する蝿王は極東支部にもっとも近い覚醒魔獣です。つまり……」
「妾達がもし、敗れれば他がどうであれ確実に支部は壊滅する。ということじゃな」
おいしいところを持っていった未珠をギラッと睨む咲。
「ちょっと咲さん! その通りです。失敗は許されません、絶対に」
直樹の作戦はいいにして咲に関しては直樹と共にしたいだけだろと思ってしまったがさすが、福井班の目とも言われる佐久間直樹であろう。ここは直樹を頼って正解だそうだ。隣でうっとりと頬を赤らめてハァハァする咲は放っておきながら優吾は考えを巡らせた。直樹自身も、そして会議の写真でもよく分からなかった本体とも言える存在。それがベルゼブブだとすれば周りにいるのは兵士バエということになる。本体をうまく見つけることができれば事はうまく進む。隣の慎也を見ると優吾が教えた緊張した時用の呼吸法を実践しており、慎也のメンタルも大丈夫だろうか? と優吾は心配になった。
「な〜に、心配はいらん。おぬしらが負けても妾が倒してやる。心配せず戦え」
「ヒッヒフー、ッヒッヒフー、ッヒ……ゲホ……」
「おいおい、大丈夫か? 見鏡さん、お気持ち感謝します」
「ゲホ……グフ……。僕も感謝します……」
埃を吸い込んでむせる慎也を見て周りも少し落ち着いたようだ。一旦の静寂。慎也の呼吸も落ち着いた頃に焦る直樹の声が突き刺さる。
「これは……」
「前方より、大量の魔獣が接近!!」
どうやら敵は自分たちからやってきたようだ。すぐに臨戦態勢を整えた優吾達は車から飛び降りた。全員が急いで降りると自然と円形に車を囲うように陣形を整えた。
「直樹くん、ルートは?」
「ちょっと待ってよ!? 今確認できるだけでもハエは百を越えてます!! これじゃあ安全ルートなんて……」
「じゃあ、どうすれば……」
円形に並びながら冷や汗を垂らす優吾達。ただ、見鏡未珠だけは別であった。フンスと鼻息を垂らした後に目を細めながら直樹に向き直る。
「この程度のトラブルは任務において付き物じゃぞ。……直樹、ベルゼブブの本体は?」
車の中で笑う表情とは別、未珠の表情から笑みは削ぎ落とされ真剣な眼差しに。決勝の時とはまた違う何かを射殺すような表情である。極限まで突き詰められた未珠の表情を見て優吾はアッと息を呑んだ。
『この人の真剣な表情は初めて見た……』
一瞬だけ優吾をチラッと見る。その一瞬を優吾は逃さない。ニヤリと笑っている。
「アッ……?」
「見つけました!! 群れの中央、ちょうどこの道を真っ直ぐに突っ切ったところに本体らしき影があります!!」
「それはいい。運転手、助手席に置いといたものをこちらへ」
「……? もしかしてこれのことですか?」
あらかじめ未珠が渡しておいたバッグを運転手から手渡してもらった未珠。未珠の目伏せで察した運転手は一礼をしてから車に乗り込み、踵を返して去っていった。警備班にはまだまだ仕事がある。戦闘員である未珠達は整えた戦場で戦うのみだ。
「それは?」
「これで妾が雑魚共を引き受ける」
当たり前かのように言い放った未珠の言葉に待ったをかけるのは優吾だった。
「無茶だ。いくらアンタでも百体以上の魔獣を相手するなんて」
「そんなことはないが、まぁそういうなら直樹を貸せ」
またまたの衝撃発言で凍りつきそうになったのは咲である。優吾と違って一瞬だけ顔を青くしてから一歩二歩と未珠に詰め寄って声を上げるのだ。心配の裏に期待が隠れる優吾とは違って咲の心には心配以外何もなかった。
「ちょっと!? 直樹くんは非戦闘員なのよ!?」
「戦えとは言わん。きちんと綺麗に返してやる。それにおぬしの魔装では一匹二匹止められたとて、これだけの数は狩りきれんじゃろう?」
その通りだった。咲の魔装はチェーンソーの駆動音を聞いたものに本能的恐怖、焦燥感を与える魔装。相手がハエなら近づいた一匹二匹なら動きを封じれるかもしれない。羽音にかき消される恐れもあるなら……咲の魔装は無効化される。
「それはそうだけど……」
その時だ。顎を開けて突進してくる二匹のハエが見えた。人間の顔よりも大きく、おそらく顔から首元までは覆い隠すことができるほどの大きさのハエであった。不規則に飛行しながら襲いかかる。そのスピード、飛行の安定性は異常だ。知覚速度を上昇させた優吾が撃ち殺そうとしたのだがそれでもまるで早送りにしたかのような速度。そんなハエをなんなく斬り落とした未珠。断末魔を上げながら墜落したハエの死体を見て一同は思い知らされる。時間がない。血のついていない未珠の刀を見ながら咲は考えていた。
「ほーれ、もう来てしまったぞ? はよ決めんか」
「咲さん、僕は大丈夫だから」
少々呆れ気味な視線を送りながら刀をポンポンと手に当てて催促する未珠。咲は歯を食いしばって直樹を未珠に差し出した。
「直樹くんがそういうなら、きちんと返しなさいよ!!」
「分かっておる。おぬしらは前だけ見よ。この道を真っすぐ進むだけじゃ」
「了解!!」
歯軋りをしながら直樹を差し出した咲は優吾と慎也に目で合図を送ってハエの軍勢に突撃していった。彼らの健闘を祈りながら直樹は未珠を見る。未珠は焦りも恐怖も感じさせない顔で直樹と目を合わせた。
「で、僕は何をすれば?」
「簡単じゃ。このリュックを開けよ」
「はい……!? なんですかこれ!? くっさい!!」
チャックを開けた瞬間にあたりに広がったのは凄まじい腐乱臭。バナナやリンゴと言った直樹も大好きな果物がたくさん詰まっていたのだ、腐ったものだが。全体的に黒っぽく変色したグロテスクなゾンビフルーツ達を見ながら直樹は鼻を摘んで声を上げる。
「なんでこんなものを!? 腐ってるじゃあないですか!」
「じゃろうな。ほれみろ」
鼻をつまみながら首をしゃくる。振り向くとリュックの匂いにつられてやってきたハエの軍勢が。
「うっわ!?」
直樹はすぐに飛び避けた。その瞬間に未珠は間合いを詰めて直樹の目には確認できない速度でハエを切り倒していく。切先から緑色の体液を巻きながら金切声を上げて痙攣したのち、ハエは動かなくなった。優吾ですら目視することはできなかった未珠の一閃。直樹も間近で圧巻したのちに未珠からリュックを受け取って冷や汗を垂らした。
「それってまさか……」
「それを背負ってレーダーで敵の動きを見て誘い出せ。それでおぬしに寄った連中を妾が切る。簡単じゃろう?」
「要は囮……」
「さぁの、ほれいかんかい。美味そうに歩くんじゃぞ」
「助けて咲さん……」
直樹は自棄を起こして叫びながらレーダーを抱えて囮を全うすることになった。泣きそうになるのを堪えながらレーダーのキーを叩き、位置を特定。寄ってくるハエ、斬り落とす未珠。体液がかかったリュックの匂いは更に増す。永久機関の完成をしつつ、理想の囮を全うする直樹なのであった。
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