朝食は思った以上に楽しく食べることができた。マルスは病み上がりということで慎也がお粥を作ってくれることになり、ソファに座ってゆっくりとくつろいでいく。ソファ近くのテーブルに置いてあってリモコンを手に取ってマルスはテレビをつけるのだが朝のニュース番組はまた戦闘員の事情を取り上げているようだ。
「極東支部直属魔獣研究所でクーデターが発覚した件についてですが、主犯は研究所所長の小谷松宣久であり、その犯行理由は現在調査中です。民間人への被害はなかったものの偶然その場にいた戦闘員は大怪我をしたとのことで搬送され……」
マルスからリモコンを奪って無言でテレビを消す蓮。
「すまん、思い出したくなかったんだ」
「俺も一緒だ」
マルスは入隊時以来の冷めた表情の蓮を見た気がする。彼は中央部へと分かれて移動していたグループであり、魔装停止に伴った混乱に大いに巻き込まれた人間だ。目元が歪んだ様子でため息をする蓮を見て少々ぎこちない笑顔だが隼人が声を上げた。
「気持ちはわかる。けどさ、せっかくマルスが帰ってきたんだ。その……みんな同じだろ? あの任務のことはさ。今日の朝も……葬式ムードなんて俺は嫌だよ」
「ん〜……」
マルスを挟んで会話する蓮と隼人。挟まれているマルスは彼ら二人の唇がよく見える位置に座っている。どちらも震えていたのだ。それと頬の色が少し薄い。あの任務、改造魔獣の出来事はかなり傷が深いらしい。それもそうだ。自分たちの頼りの綱でもあった魔装や通信機が一切使えない中であの改造魔獣に襲われるなど溜まったもんじゃあない。
あの悲劇、ビャクヤの襲来の時にはまだ隠せていた魔装という安心感。それが一切なくなった研究所では対処する手立てがないので大いに戸惑う筈だ。魔装を扱えたマルスだって戸惑うことが多かったのだから。
「こらこら、二人とも〜。マルス君挟まれて気まずそうでしょー? ご飯、準備できたから一緒に運ぼ」
ソファの後ろから隼人と蓮の肩を掴んでからニーッと笑い、彼らを立ち上がらせて背中を押すサーシャ。チラッと視線があった悠人もマルスに微笑みかけてくれるがどこかぎこちない笑みだった。まだ青年の彼らには刺激が強すぎる。マルスは俯いて自分の手をジッと眺めていた。彼の手首にはなんらかの傷跡があり、そこに意識をすると手首周辺に黒い滲みが出てくることを知り、アッと驚く。
『もう我は汝の中に入っているからな。魔石というものは面白い』
戦ノ神の声を思い出し、マルスは彼の話していたことの意味がどことなく分かった気がした。
「マルス、ご飯できたよ。私の隣座って」
「あ、あぁ……」
香織に連れられてダイニングテーブルの椅子にゆっくりと座るマルス。無理して笑う様子は周りの新人殺しと同じだった。
そのままゆっくりとマルスはお粥を食べ進める。味付けも程よい出汁の風味が効いており非常に食べやすい。一応付け合わせに小皿に盛られた慎也特性漬物も口にする。大根の味が染みていた。まだ味はしっかりと感じる、マルスは何故かホッとしたのだった。
「一応班長の集会に行くが今日も任務はないと思うぞ。序列上がりの任務、想像以上に大変なもんだ……。3位以上の活躍してると思うぜ……」
「まぁねぇ……。そういえば八剣班はまだ遠征なのかしら?」
「らしいぞ? あの人達は遠征で魔獣討伐だからそれなりに忙しいそうだ。俺たちとはベクトルの違う忙しさだがな」
味噌汁を啜りながら口をゆっくりと拭って食事を終える悠人。その対面に座るサーシャは「んぅ」と頷きながら漬物をちょびっと口に入れた。
「この休み期間でみんなの魔装は点検してある。あぁ、マルスの剣もしっかりと研いでおいたぞ。なんせ時間だけは有り余るもんだからさ。しっかりと手直ししておいた」
「そうだったのかパイセン?」
「あぁ、あとちょっと気になったのがさ。剣の色、なんか濃くなってないか?」
ドキッとしたのは言うまでもない。これも一種の魔石の影響なのか。マルスはどう答えるべきか完全に迷ってしまい口をモゴモゴと動かして沈黙を続ける。色が濃くなる。あの灰や戦ノ神が乗り移った時の攻撃、その全ての影響で剣も変化しているのだろうか。今のマルスには分からないが激化する戦争に対応しようと戦ノ神が動いていることは朧気ながら想像がついた。
「さぁな。改造魔獣の攻撃は火薬も使っていただろう。撃たれすぎて何か変わったのかもしれない」
「それは俺もよく分からんけど……。わりぃ、今聞くことじゃあないな」
パイセンも隠すかのようにご飯をかき込んで食事を終えた。ゴトトンとテーブルに茶碗を置いてコップの水をグビグビ飲む。明らかに周りはマルスの変化にどこか気がついている節があるのかもしれない。マルスは滴る冷や汗を隠すので精一杯だったが食事残すことはできそうになかったのでゆっくりとお粥を食べ進めるのだった。
全員の食事が終わってからは悠人が班長集会に出かけて屋敷を出る。それを見送った蓮と隼人とパイセン、優吾は顔を洗いに洗面所へ歩いて行った。慎也とサーシャ、香織、そしてマルスは手伝いとして後片付けである。慎也が残った漬物をパックに詰めて冷凍。香織とサーシャは洗い物。マルスはテーブルを布巾で拭いていた。
絞ったばかりの布巾を広げてテーブルを拭く。腕を動かすこの動作を続けていると何故か考えが進んでいった。戦ノ神が石として自分に宿っているのなら今のマルスは一体何者なんだろうか。戦ノ神から人形と呼ばれている自分自身は一体誰なのか。結局自分は何のために作られた存在なのかがまだ分からないのである。戦ノ神に隠された力、神々が都合が悪いと思う存在、そして人魔大戦を起こしたとされる逃げた亜人の神。まだ繋がりを見せない謎。人間でもない、亜人でもない自分の存在。
「……ヴァゥ!」
考えれば考えるほど頭が痛くなってきたマルスは布巾をテーブルに置いてその場にまた倒れこんでしまった。頭がズキズキと痛む。それに合わせて自分の中に何かが入り込んだような気持ちの悪い異物感、吐き気にも苛まれたマルスは心配してかけよる香織を無視してトイレに駆け込んだ。
生温かい胃液が吐き出された後に吐き出すものが無くなった胃から嗚咽が漏れ出る。
「俺は……俺は一体……何者なんだ……?」
便器に顔を隠すように覆い被さり、マルスは泣いた。二度目の泣きである。寂しくて仕方がない。戦ノ神でもなければ人間でもないし亜人でも魔獣でもなんでもないのだ。おそらく戦ノ神は石の状態で自分の体に入ったとしても……自分が誰だか分からない。この吐き気はまさしくそれだ。胃液に混じって涙も滴る便器の中をマルスは覗きながら物思いに沈んだ。
「マルス? ねぇマルス? 大丈夫?」
コンコンとノックをしながら心配している香織の声が聞こえた。本当に心配しているなら今はそっとしていて欲しいマルスであるがトイレットペーパーで口元と目をしっかりと拭ってから洗い流しトイレのドアをゆっくりと開けた。
「マルス……」
拭いたとしても目に残っている泣き痕を見て香織は息を飲む。マルスはフンと息をしてリビングへ行き、テーブルに置いていた安定剤の瓶から3粒薬を取り出して慎也が用意していた水と一緒に一気に飲み込んだ。
「すまない慎也。せっかく作ってもらったのに……無駄にした」
「いいえ、気にしないですよ。今日は……ゆっくり休んでください」
マルスは無言で頷いてリビングを抜けようとドアに手をかけるがその時に香織と鉢合わせになったのである。一瞬だけ時が止まった。
「マル……」
「今はソッとしておいてくれ」
香織の肩をポンと叩いてマルスは去って行った。これほどに寂しいと思ったことは初めてだった。仲間にも申し訳がない。もし自分が完全に神になってしまうようなことが起き、仕事だと言って口減らしをすれば……それは過去の人間が起こした戦争と何の変わりもない。それでは世界は変わらない。安定した世界にはなるはずがない。そのためにもマルスは守るべき人間は守らないといけないと思うのだ。彼らがいないと神々も、そして世界も歩むことができないんだから。
階段を一人で登りゆくマルスの背中はどこか小さかった。
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