極東支部より遠く離れた土地である通信がその班を驚愕で埋め尽くした。レイシェルからの通信を聞いてその場にいた全員が体を震わせる。沈黙の中、心を押し殺して反応したのは玲華だった。
「本当ですか……?」
「あぁ、レグノス班は全滅、稲田班は半壊だ。本格的に亜人が動き出したな」
八剣玲華はその通信のことを正直信じることができなかった。自分たちが遠征で極東支部にいない間にこんな悲劇があったことを認めたくないという気持ちでいっぱいだったのだ。八剣班は現在、極東支部より遠く離れた土地の遠征用戦闘員事務局にいる。ここは日本の各地域に一つづつ配置された遠征班を迎え入れる施設で、大きさは極東支部と比べると何まわり小さいか分からない程度だが機材などは充実している。八剣班はここを拠点としつつ民間人に危害を加えかねない魔獣の討伐を行なっていたのだ。
極東支部付近では見られない珍しい魔獣と相手したがその間に亜人の襲撃があり、レグノス班、稲田班が崩壊したことでもしかして自分たちがいなかったからではないか? と不安にもなる。責任感が強い玲華はタラリと冷や汗を垂らした。
「レイシェルさん、亜人の襲撃は解決したのですか? まだというなら私たちが……」
「その心配はない。東島班が亜人に致命傷を与えて撃退した。彼らのおかげで稲田班は半壊で済んだと言ってもいい。とにかく、八剣班にはもう少しだけ任務の追加を考えている」
東島班、彼女達の記憶には新しい極東支部の問題児が集まる班。演習前なんぞ名前すらほぼ知らなかった班なのだが決勝戦でギリギリの戦いを求められたほど実力のある班だった。レグノス班と全滅させ、稲田班を半壊させた亜人に致命傷を与えるか……玲華は自分が相手したマルスを思い出した。彼だけの力ではないと思うがあの若造たちは想像以上に強力になっていたらしい。
レイシェルからの追加の任務を聞いて現在の極東支部の現状も聞いた玲華は少し間を置いてから「分かりました」と呟く。そうやって切れた通信に彼女はフーッとため息を吐いてから会議室に集まっている隊長級の班員達に視線を配った。
「未珠さん……」
「分かっておる。今は悲しむ時間ではない。玲華よ、それはお主もそうじゃろう?」
「その通りです……。ただ急な戦死報告に私も混乱しています。レグノス班も稲田班も相当な実力者の集まりですし」
「どうやら亜人は妾達の予想を越える技量を持つのじゃな。全く、レイシェルに奴も対策が遅いわい」
少し不機嫌そうな顔で言葉を紡ぐ未珠。服装はいつもの緩い着物であるが腕を組んで瞳を閉じてキッと歯を食いしばるような顔はいつも見せなかったので玲華達は戸惑った。表には出せないであろう、未珠の何かを感じる。
「魔獣の種類を調べろって言ったけど……討伐任務の時に僕は確認してたんだ。ここは極東支部付近よりも活性化した個体が少ない印象だったよ」
空気を変えるかのように声をあげたのは左目に片眼鏡を装着した八剣班の偵察役、明通歩夢である。酒癖が非常に悪い彼であるが普段はこのような冷静沈着でまともな思考の優等生なので会議がスムーズに進む。頬杖をつきながら何か考えるかのように目頭を抑える歩夢。考えるときの癖である。
「新人殺しが主に相手している活性化した魔獣は極東支部付近でよく見つかるんだよね? それじゃあ手を加えている亜人はあそこ辺りに潜んでいる可能性が高いとも……いや、まだそれは早いか」
「結局のところ何が言いたいんだよ、歩夢さん」
「僕らにできることは今は任務だけだね。変に動いて被害受けるよりもそれがいい」
椅子にもたれかかってうーんと伸びをする歩夢。それをずっと隣で聞いていた戦闘員、水喰昇は「しょうもねぇな」と舌打ちする。
「俺たちは戦闘員、それに1位の班なんですよ? そんなことにビクビクしてるんなら一気に勢力で叩いた方がいいですって! ここには上位適合が何人いると思ってるんですか? 新人殺しに俺たちの本当の力を見せつけて強さを……!」
「昇、落ち着け」
机をコンコンとノックするように鳴らして弘瀬駿来が昇を落ち着かせる。昇はたしかに上位適合の中でも当たり中の当たりの魔獣と適合している。孤軍鯱の力は誰もが唸るほどの凄みをもってはいるが昇の場合はその力に頼りすぎている側面があるのだ。故に決勝戦の東島悠人戦で昇は敗退したと見える。性能でいえば昇は圧倒的に上だったが実力、格闘術や剣術の身のこなしは東島悠人は圧倒的であった。今だに負けたことが悔しいのだろう。強さを見せつけるのもあの班長に違いない。そんなことを思い出して駿来は頭を掻いた後に声を発する。
「玲華さん、とにかく俺たちは当分、まだここで活動をするということですね?」
「そのようですね。稲田班は現在、福井班として新生されたそうです。残された東島班のことも心配ですが今は私達にできることをしましょう。……藍さん? 藍さーん」
コクッコクとうたた寝をする班員、梶沢藍は「ハ……」と声を漏らして現実世界に帰還する。究極の夜型である藍は今のようなお昼時の会議など眠いも同然。任務中は仕方なく起きるが日中はほぼベッドでグッスリな眠り姫だった。上位適合で魔装も実力も相当であるが睡魔には勝てないようである。
「藍さんは俺と一緒に水辺を調べたけど特に異常はなかったぜ? なぁ、藍さん」
昇が顎をしゃくるようにして藍に話を振ると藍は「ん……」と返事する。話す必要がないという考えの彼女は一風違った無口といったポジションであった。ある程度会議も纏まりつつある中で恋塚紅音は駿来の隣に座る未珠の様子が少しおかしいことに気がつくが何も言い出せないでいた。モジモジしたような紅音に気がついて駿来がアイコンタクトで紅音と会話。そことなく未珠に話しかける。
「未珠さん、どうしたんですか?」
「ん? あぁ……ちと妾は外の風を浴びてこようかの。ずっと部屋の中だとなんだか居心地が悪うてな」
未珠はそういってゆっくりと椅子から立ち上がって会議室を出るドアに手をかけた。その時に左目を一瞬だけ閉じて紅音の感情を読み取る。心の中で「心配するでない」と呟いて少し戸惑う玲華を放って外へ出た。会議室から外のベンチに行くまではすぐである。極東支部より狭いこの遠征場所の間取りなどたかが知れていた。木陰の下にあるベンチに御霊はゆっくりと座って木々から差し込む光を見つめる。
「見ておるのか? 光輝、円、レグノス、ギーナ……」
そういいながら懐からいつも大事にしているある写真を取り出した。それは八剣班発足以前の見鏡班時代、未珠が班長をしている班だった頃の写真である。そこにはまだ戦闘員になったばかりの初々しい光輝達が写っていた。元々、光輝、円、レグノス、ギーナは見鏡の教え子だった。彼らに戦闘員として必要な知識、技量、熱意を導いたのは未珠だったのだ。ずっと班長として責任を持つ管理職をしていた未珠であったが八剣玲華が事務局にやってきて志願してきた時に彼女に眠る潜在能力を誰よりも早く察知し、そろそろ管理職に疲れて来ていた未珠は新入りの八剣を班長とする八剣班を作ってくれとレイシェルに頼んだ。
極東支部としては失われたくない戦力である未珠の言葉にレイシェルは一瞬考えたが人数の問題があったのでこう提案したのだ。稲田、月輪ペア、レグノス、ギーナペアを班長副班長とした班を二つ作る。そして見鏡は新生八剣班の副班長になるという条件で生まれた班が現在の八剣班である。見鏡班が解散になってからも光輝とレグノスとはある程度の交流があったのだが、遠征中に戦死するとは未珠も予想外だった。円もギーナも死亡である。表向きでは仕方がないと思うのと同時、玲華達には見せれないが深い悲しみがあるのも事実。未珠は長い間忘れていた悲しみを急に思い出したのだ。
寂しい。自分が教え、導き、立派な戦闘員に仕立て上げたし、彼らとは深い絆で結ばれていると思っていた。班長ではなく、「見鏡先生」と自分のことを呼んでくれる光輝達を可愛く思える時期もあったのだ。そんな光輝達が亜人達によって呆気なく死んだ。あの光輝達が戦死した中で救援に向かった東島班は重軽症で済んだというのだから相当である。東島班のことも少しは心配であった。彼らがいなくなると自分は楽できないのであるから。そう思ってふと写真を見るとレグノスの隣にもう2組の男女ペアがいることを思い出す。その男女ペアを見てまた呟く未珠。
「こやつらはどこで何をしてるじゃろうな……。翔太……紅羽……何をしてるんじゃい」
未珠は翔太と呼ばれた男性を指差しながら呟く。写真の中で彼はレグノスの肩に手を置いて笑っていた。未珠が副班長になった時、ひっそりとその人物は戦闘員の班を立ち上げて現在は遠征で日本中をまわっているらしい。この前の演習でも少しだけ顔を出した程度で未珠も姿を見ることができなかった。
「せめてお主だけでも生きてくれてるのなら……妾はまだまだ頑張れるわい」
未珠は写真を懐に戻してゆっくりと立ち上がる。昼を少しすぎた風が彼女の髪を優しく凪いだ。紫のウェーブがかったロングヘアが優しく揺れる。この風も翔太が起こしてくれたのだろうか……。未珠はふとそんなことを思いながら会議室へと戻って行ったのだった。
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