朝日と共にぞろぞろと街の人々が補助班の案内のもとにシェルターから姿を表した。変わり果てた街を見て驚きのあまりその場に倒れ込むものや身内の不幸を思い出してその場にいた人関係なしに当たり散らす人、まだ転がっている魔獣の死骸を見て気を失う人でごった返している。戦闘という任務が終わっても戦闘員に残る最後の任務は嫌われ役になることだけだった。
率先して仮設住宅への案内を開始している鳥丸の頬にはいくつかの殴られた跡があり、唇がきれて血を流している。その跡はまだ湿っており、鳥丸も感情を押し殺すようにして案内だけを続けていた。翔太が退避をさせていた堀田と間田は今だに仲間二人が死んだことを認められない様子で呆然としている。新人殺しや八剣班が本気で戦うわけだ。どこか心の中で舐めている自分がいたことに堀田は悔やんでも悔やみきれないような思いに包まれている。
「これ飲んでおけ」
翔太は憔悴し切った玲司に栄養補給のドリンクを投げ渡した。片手で受け止めた堀田はドリンクボトルと翔太を見比べている。空いている左手はアスファルトに爪を立てた状態で。爪が剥がれる勢いだった。
「お前が死なない限り、堀田班は続く。……、申し訳ない。また……間に合わなかった」
遠征の調査任務中に失った稲田とレグノスという戦友。自分が支部に帰ってきたのならこのような悲劇は二度と起こさないと決めていた。そう誓って彼らの墓の前で盃を交わしたのだ。それがどうだ。翔太は大事な戦友のために動くことが一歩、また一歩遅れてしまったのだ。自分が変に燃え上がらないで亜人との戦闘に退散できていれば、堀田の仲間達を少しでも助けられたはずなのだ。翔太は自分の代わりに単独で堀田を助けてくれた新人殺しの班員に心の中で感謝を、そして一人だけに辛い思いをさせて申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
「遠野、アイツは……あの新人殺しの若いやつ……たしか宮村、どうしてる」
「弘瀬と恋塚が助けに行ったから、最後まで戦っていたんだろうな。夜明けが来るまでずっと」
ようやっと爪の痛みに気がついたのか、堀田は地面から左手を外して包帯を乱暴に巻きながら考えていた。体を細かく震えさせながら握手を求めてきたあの無垢な青年、まるでボクシングを始めたばかりの堀田自身そのものだった。なりたい姿を追いかけているようなあの感じ。
「新人殺し……か。ッフ、いつかあの班長と青年には謝っておこう。今の俺は、憧れを受けるべき戦闘員じゃない」
「憧れ……ね。現実ってとこからじゃあ程遠いもんだな。少々、距離がある」
無理に笑っている翔太を見て堀田も無理に笑顔を作った。まだまだ課題の残る戦闘員人生である。残り二人の堀田班でどうやっていくか、堀田は長い長い考えの時間に入っていった。
ーーーーーーー
「エリーニュス……」
頭を抱えながらその場に崩れるマルスは今までの追放騒ぎや戦争がなぜ起きたのか、マルスがいくら調整しても争いが起きる未来が回避されなかったのかを一度に多く知ってしまい、存在するだけで罪を背負い続ける己の宿命にさえ従いたくないような気持ちにまで堕ちてしまっている。
あの戦争はエリーニュスが起こした戦争だ。マルスが他の神々に交渉してるその間、今までマルスの盤面を見ていたエリーニュスが勝手にコマを動かして人魔大戦が起きた。エリーニュスは復讐の神だ。命持つものが必ずと言ってもいいほど抱える他者への執念を司るのがエリーニュスだった。亜人がしつこく復讐と言っていたのもエリーニュスがこの世界に存在していることと繋がっていたのだろう。
「マルス……、お前は……」
「来るべき時に全てを話す。今は……その時じゃない」
足を無理に立たせて上半身を支えながらマルスは立ち上がり、悠人の肩に手を置いてそのまま去ろうとした。そんなマルスを悠人は止める。去ろうとするマルスの肩を悠人は掴んで無理やり正面に向かせた。
「お前の悩みは俺の悩みだ。東島班の悩みなんだ。いつからエリーとは知り合いだ? さっき言ってたことはどういう意味だ? お前は……肝心なことばっかりをいつも俺たちに隠しているじゃないか」
「……それは」
「やめとけ悠人。どうにも人には言えないもんがあるんだろ。それが例え仲間だったとしてもな。無理やり聞こうとするのはらしくない。マルス、また落ち着いたらゆっくりでいいから。な?」
間に入った蓮が悠人とマルスを落ち着かせたことでなんとかことなきを得たがマルスの頭の中はいつになったら真実を言えるのか、この戦争の終わりとはいったいどこなのか。最終的に正体を知った悠人達はマルスの存在を受け入れてくれるのだろうか。一度道を逸れようとした者に対する救済が一切ないこの世界でエリーニュスがどれだけの覚悟で神を、亜人を、そしてマルスや人間に嘘をついていたのか、それほどの覚悟がマルス自身にはあるのか。今は答えれそうになかった。
「支部についたら大和田さんにも連絡ね。マルス君、帰ろ?」
「もう任務は終わりだ、マルス。一旦嫌なことは忘れろ」
「マルスさん、ぐっすり寝た方がいいですよ。ずっと戦ってたんだ」
「慎也のいう通りだ。後のことは警備班達に任せればいい」
「気持ちはわかる。でも……せっかく生き残ったんだ。そんな顔するなよ」
新人殺しの仲間達はそれぞれマルスに声を掛け合いながら移動者の集合地点まで歩き始めた。足元がおぼつかないマルスの肩を香りが支えてマルスはさらにもうしわけないような表情をとる。香織は何も気にしていない様子だった。
「ねっ? 帰ろ?」
ただ、香りにだけはもう余計な心配をかけたくなかったマルスは「うん」とだけ返事をして変わり果てた街を背に歩いていくのだった。その間もマルスは原初から起きた戦争の記憶を再生し続けている。その後は神々がマルスを囲み込んで創世記の裁判をしているという記憶だった。マルスは生まれるべくして生まれた神なのだろうか。それとも生まれない方がよかった神なのだろうか。そしてエリーニュスは……。
ーーーーーーー
地下シェルターの一室には朝日に逃げるように帰ってきていた亜人達がそれぞれ怪我の手当てや腹拵えをしている最中だった。kくじ目立った傷や疲れの様子が見えるがどことない満足感を感じていたのも事実。ようやっと始まった人間への復習に心躍っていた。乱暴にリンゴを齧りながら考え事をしていたルルグはふと立ち上がってドアをじっと見ている。
「どうした?」
「ベイルは……帰ってきてないね」
魔石の光に呑まれるようにして取り込まれた空の勇者の末路を彼らは見届けていない。あの出来事は亜人達からしても衝撃的なものでいくら己の種族に盲信的でも自我を捨てる覚悟があるほど誇りを持ってはいなかった。ベイルはただ、己の種族の歴史を途絶えさせたくなかっただけなのだろう。その思いがペリュトンという魔獣を産んだのだ。現代に始祖の魔獣が蘇ったのだ。
途端にドアが開かれてそこからヴァーリ、エリス、そして姫君エリーニュスが登場。エリーニュスは王座のような立派な椅子に腰掛けて隣に立つヴァーリを一瞥してから淡々と事実を告げた。
「ベイルが殺されました。人間に殺されました」
大方の予想はついていたとしても亜人達にとっては衝撃的なことだった。彼らにとって当たり前に存在していた種族の最後を見届けてしまったも同然。思わず立ち上がってしまったクレアは落ち着きを取り戻してゆっくりと座る。
「ですが……純粋なるペリュトンの魔石は私たちの物です。私は戦ノ神を、あなた達は人間への復讐がしたい。それはヴァーリもそうでしょう。ですから私は人魔大戦で苦しむあなた達を救い、力を授けたのです」
瞳を閉じたエリーニュスはそばに立っているエリスの頭を撫でながらパッと目を開いた。祈るふりをしているがベイルにトドメを刺したのは他でもないエリーニュス。が、ベイルの仇を取るべき思いはエリーニュスではなく、人間に向いていた。
「姫君、次の指令はいつですか? 私はいつでも貴方の脚に、牙になります。何なりと……」
「クレア、落ち着きなさい。貴方の勇姿は良いものです。その力はまだ使わないで」
クレアは再び椅子に座った。神々によって身勝手に生み出されたエリーニュス。傀儡として生み出されたエリーニュスともう一人の神は偽りの創造主として下界に君臨していた。が、力を増大させる下界の動きに恐れ慄いた神々が宣戦布告した原初の戦争。その戦争により、種族の力や権利は分散され、魔獣人間亜人の順番で生命が生まれていった。正確には強大な力を持つ原初の、偽りの創造主の力が分散されて生み出された存在がエリーニュスである。神々によって支配されるもの。神々として支配するもの。二つに分かれることになったのだ。
「私がいない間、ヴァーリには苦労をかけました。とは言っても……戦ノ神の行動を追うためと人間について調べるためでしたから目的は達成。黙っていて申し訳ありません。あなた達を混乱させたくなかったのです」
エリーニュスは立ち上がり、右手に抱えたペリュトンの魔石を掲げる。魔石は淡く光り輝いた。純粋なる魔石の光に見惚れる亜人達。彼らにはその力を解放できるだけの鍵が眠っている。種族としての力が。始祖の魔獣の血を引く純粋なる力が。
「敵がこれでハッキリしましたね。次に彼らに会うその時まで……爪を研いでおきなさい。テゥポンの力を取り戻し……理想郷を創り出すのはもうすぐ……。貴方達の望みも叶うでしょう」
ヴァーリはその場に跪き、亜人も深く礼をした。死んだ仲間のことよりも己の救済を求めて動いている。それはエリーニュスも同じだ。本格的に動き出したこれらの行動はエリーニュスの運命から逃れるための救済。神々によって虐げられてきた偽りの創造主、テゥポンの「支配されるもの」としての誇りを守るためなのだ。これは神より虐げられた讐ノ神の戦争、今まで虐げてきた神々への、対となる「支配するもの」の戦ノ神、マルスへの復讐なのだ。
美しいものだけが、救済を与えるとは限らない。
朧月夜再生編、完
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