戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

勇者の呼び声

公開日時: 2022年1月11日(火) 19:00
更新日時: 2022年1月11日(火) 19:39
文字数:9,752

 落ちてくる影に呑まれるように消えたマルスを香織達は見ていた。天高くから襲いかかる影を防ごうと隼人が動いたが間に合わず、マルスの体はフッと消えてしまったのだ。思い思いの呼び名でマルスを呼ぶ悠人達だったがただ一人、香織だけが冷静だった。あの時と同じである。やさぐれた顔に赤黒い灰が香織の目に写っている。


「マルス……」


 影の球体は突如として痙攣したように震え出すと怯えるようにペリュトンの影へと逃げていく。ハッとしたペリュトンの目にも、そして地上で晴れていく影の中に佇む人影を見る悠人達も、その人を見る香織の目にも全員が写っていたのだ。赤黒い色をした灰がマルスの戦闘服を包み込み、徐々に形成されていく鎧の姿を。その鎧は金属でできた防護用の塊には見えず、黒い装甲に血が打つように紅模様が周期的に光る鎧だった。背中に広がるマント、脈打つ鎧、普段よりも色が濃く、そして刃渡りも長くなった剣。剣を握って瞳を閉じていたマルスはゆっくりと目を開けた。


「戦ノ神……俺は……」


 意識はマルスのものだった。覚悟をして待っていた香織も目の前のマルスかどうかも分からない相手が発する声を聞いて目を開く。知っている声だった。ずっと香織の隣で話をしてくれたマルスの声だったのだ。鎧の手を握って開いて、マルスは現在の意識が落ちることはなく、戦ノ神のものでもなく、マルス自身のものであることに気がついたのだ。マルスの姿を見て呆然としている悠人達に振り向いてから空に浮かぶペリュトンをマルスは見た。救えるのかもしれない。戦ノ神はこの可能性を知っていたからこそマルスに無闇な攻撃をしないようにしていたのかもしれないのだ。


 人魔大戦はマルスが起こしたとは言い難い。それでも戦ノ神として今まで命を減らしてきた責任や罪はある。その結果が目の前を飛んでいるベイル・ホルルなのだ。彼だけではない。狂気的な亜人を創ってしまったのも全ては遡るとマルスが起こしてきた戦争の数々の可能性が高い。マルスは崇められるべき神ではないのだ。今、大戦争の因果を受けている状態で人間として戦うのは神である自分への裏切りにもなってしまう。被害者でいてもいい存在ではなかった。


「ペリュトン、心ゆくまで聞いてやる。幾千年か? 億年か? 溜まった恨みを吐き出してみろ。ずっと前からの戦争は……まだ終わってないよな」


 吠えるペリュトンは翼を広げて影をマルスめがけて放射。ペリュトンが生まれたのも、その後に亜人が生まれていく歴史が出来上がったのも全て神々の都合だった。まだ地上の文明に神が介入してもいいくらいに穏やかだった頃からこの戦争は始まっている。穏やかな時代が終わって神々の世界と下界とに分け、マルスが下界の総数を調整するようになってから。


 襲いかかる影をマルスは左手を掲げるようにして灰を出現させてかき消していく。下界で一番最初に生まれた存在は魔獣、これは人間達の書物にも書かれてあることでマルスの記憶ともあっていた。その魔獣を生んだのは神々だ。その時から悲しい連鎖は始まっていたのかもしれない。尚更自分を追い出すだけのことをしたエデンに腹が立つマルスだたがそのことを気にしても意味がなかった。マルスが整えるべき力のバランスはこの目の前の魔獣に決定したのである。


「お前は自由に空を飛んでいたのかもしれない。お前を尊敬していた鳥人族もそうだ。『空の勇者』アイツらはそう言っていたよ。それでも、向こうの神々が与えた自由はお前にとっては不自由だったろう? ……そんなこと、今の俺が言える立場ではないがな」


 振り下ろされるペリュトンの爪をマルスは剣で受け止めた。戦ノ神の力を借りる前は両腕で支えてやっとだった重い一撃が今では片手でも羽のように軽い。ペリュトンが羽ばたかせる翼はマルスの手に比べるとずっと重く見えた。ペリュトンがどうして生まれたかの記憶はマルスにはなかった。今のマルスにあるのは穏やかになった世界で飛び続けているペリュトンの姿だけである。影で覆われた爪の一撃をマルスは時に避け、時に受けを繰り返しながらペリュトンの叫びをひたすら聞いていた。その時だ。マルスにも聞き覚えのある声で直接響いてくるような声があったのだ。


『正義の権化のような顔をして、貴様は一体、どちらの味方なのだ!!』


「ベイル・ホルル……?」


 その隙を取られてマルスの腹部にペリュトンの足が炸裂し、大きく吹き飛ばされる。体勢を空中で整えれるほどマルスは器用ではない。今まで風の音だったペリュトンの叫び声がベイルの声で聞こえた時にマルスは酷く動揺したのだろう。見た目やその力はペリュトンなのにその中身はいまだにベイルであること、まるで神なのか人形なのか分からない自分自身を見ているようだった。そのまま地面に墜落する覚悟で身を固めていたマルスだったがふわりと受け止めるような感覚が。地面には銀色のクッション材が敷き詰められていた。


「いつだってそうだが、お前は一人で背負いすぎだ」


 怖がる様子もなく、灰を呼吸するようにだすマルスの頭にゲンコツを落としながらクッション材をバットにしまうパイセンがいた。訳がわからなかった。怖がる様子も見せず、ただ間近でゲンコツを落としたパイセン。訳がわからない表情をするマルスに対して頭をかきながら背後まで近づいていたペリュトンの顔面に乱暴な一撃をお見舞いしていた。


「言いたくない秘密があるんだろう? わかるぜ、その感じ。でもな、一人で解決しようとはするな。一人で取り戻せる、そう思うな。人生博打みたいなもんだけどよ、負け試合に賭けるのはバカばっか。燃えてきたとか言って戦ってたら燃え尽きる。そんな気がした」


 パイセンの右腕からは裂けるようにして内側から金属の皮膚が滲み出てきており、それを肩まで右腕に包んだかと思えば合金獣メタルビーストさながらの鋭い爪まで生えてきていた。本人にもこの変化に対する痛みは感じるようで大粒の汗を流しながらマルスを見ていたのだ。


「研究所では俺らもう人間じゃないって話で進んでたろ? 何もお前だけが背負う的ではない。アイツも俺らもおんなじだ。魔石に支配されて訳が分からなくなってるんだ。そんな負い目をお前が感じるんなら俺も一緒に感じるさ」


 違う、そうじゃない。その言葉をマルスが出せれば救済はきたのだろうか。ただ、マルスは俯きながら立ち上がっただけだった。本当のことを言えばいいのか、パイセンの言葉に甘えて真実を隠すべきか。マルスが悩んでいると闇を照らすかのようなレーザーがぺリュトンに襲いかかっていく。影を集結させて飲み込んでしまったがペリュトンの目は釣り上がっていた。


「君たち! ボケっとしないで! 時間なら稼げるからトドメ刺しなさい!」


 ビルの屋上に立っていたのは八剣班の恋塚紅音だった。長時間の戦闘によって戦闘服の上着は破れており、脱ぎ捨てられていた。嬉しい援護射撃になるのだろう。しかし、それではペリュトンがベイルに眠る恨みを利用するだけで何も解決しそうになかった。ペリュトンは翼を広げて咆哮をしたのちに影を纏いながら恋塚めがけて突進していく。爪をむけていたその時に並ぶビルの壁から凄まじい速度で滑っていく戦闘員が一人。梶沢藍、そのひとだ。ペリュトンの爪が紅音に届くよりも前にビルの壁に垂直で立ちながら爪を大鎌で受け止めていた。そのまま押し込むようにしてペリュトンと紅音を離していく。ペリュトンが藍に狙いを切り替えて地面から影の刃を大量に生やして襲わせるがものの抵抗力を一切受けつけない藍は全身を利用して地面や壁を滑り、回避していく。


「すごい、さすが梶沢さん」


 サーシャの声はしっかりと拾っていたのか、少しだけ微笑んだ藍はサーシャの前に着地した。久しぶりに見た藍、髪型も服装も魔装も今までと何ら変わりもなかったがサーシャを見るその表情には余裕が見えていた。


「ん、立派になった。元気で何より」


「梶沢さんも無事でよかったです」


 易々と攻撃が避けられたことにより、ペリュトンの心に一瞬の傷が生まれていた。ペリュトンの怒りは本体であるベイルの怒りと繋がっている。マルスが聞いたベイルの声はそれだ。魔石による変化を体が受け入れている時にだけ、ペリュトンが発している音の意味がわかるのだ。八剣班の手助けは非常に信頼できるし、頼もしい。が、それだけでは解決できない問題もある。このまま魔石ごとペリュトンを破壊しても治る問題ではなかった。


「東島さん、皆さん。補助班の方々には撤退命令を出しています。この街に残っているのは私たちと福井班、そして民間人だけです」


「八剣班長……。了解です。迅速な討伐をしなければ。これ以上長引かせるのも……」


「待ってくれ悠人」


 悠人の言葉に待ったをかけるのはいつぶりであろう。マルスは灰をなるべく抑え込むようなイメージで悠人と玲華の間に入っていった。玲華は久しぶりに見た東島班の新人が来ている服があまりにも違っていることに内心、驚いていたがこれが例の魔石による侵食なのだろうと心の中で片付けている。


「ペリュトンの怒りの原動力は亜人、ベイル•ホルルの怒りだ。その怒りを取り除かない限り、この戦いは終わらない。ただ魔石を破壊するのではなく、魔石とベイル•ホルルの体とを分けないといけない」


「目の前の魔獣がペリュトンであれ、亜人であれ。私達の討伐対象であることには変わりありません。貴方が不思議な力を持っていることは承知済みですが……民間人の本意を考えるのなら、討伐は致し方ないでしょう」


「それだと何も解決しない……! また同じように怒りを抱えた亜人がやってくるぞ。そうなれば今よりももっと酷くなってしまう……! 亜人の怒りがなぜ生まれたかを忘れたのか? そうやって排除に動いた結果、亜人が根絶やしにされた悲劇を……」


「その戦争はもう終わっているのです。彼らが引き起こしたこの争い、報いを受けるべきは亜人達。そうしないと私達の未来はないに等しいものです。……貴方はどちらの味方なんですか?」


 正面に塞がるように立っていたマルスの肩を剣で退かすようにした後、玲華はペリュトンに向かって走っていった。今まで自分が信じていた人間の素晴らしさとは一体何だったのだろうか。マルスは不意に分からなくなってしまう。振動によって光る玲華の剣は影の刃を弾きながらペリュトンに近づいていく。立体的に襲いかかる刃達を片手間で相手しながら大きく振り上げられた爪の隙を見てペリュトンの腹部に剣を突き刺したのだ。コンマ0秒の世界の中で玲華はそれらの行為をやりきっていた。


 あれが魔獣戦における八剣玲華。恐ろしく早い剣裁きに陽動が一切通用しない無駄のなさ。見惚れるように玲華の剣裁きを見ていた悠人だったが隣のマルスは何も感じていなかった。何だか大きな余興を見ているような気分である。


「民間人のため……か。手腕を見せているようにしか見えないが?」


「お主」


 そんなマルスにかけられる聞き覚えのある声。見鏡未珠だ。未珠の顔もどこかマルスと似たような表情だった。そのことにマルスはふとした違和感を感じたのだが直ぐにいつも通りの笑みを見せてから真剣な顔で鎧の姿のマルスを見ている。それから腰にかけた刀に指をかけて短く息を吐いた。


「これで終わりとは思っておらんの」


「ペリュトンはまだ死なない」


「……彼の悲しい声が聞こえる。まだ己のことを『勇者』と言い聞かせることで自我を取り留めてる状態じゃ。あの風は己に都合の悪いことは一切受け付けんよ。暴君と成り果てた鳥の風は何を吐き出すべきかよく分かっておる。如何にも、お主が考えるように終わりのない悲しい風じゃ」


 ハッとした顔で未珠を見るマルスに右目を閉じた状態で魔装を発動させ続ける未珠の様子を見て何かに気がついたようだった。その頃玲華は剣を斜めに捻ってからたしかな手応えを感じ、ゆっくりと剣を引き抜く。が、その時に玲華は急ぐようにして後方に下がり迎撃姿勢をとっていた。玲華の判断は正しかった。目がグルリと回転したかと思えばペリュトンは腹に口を出現させたのだ。正確には影で作り出した仮初の口である。影から作り出したものは魔石を介しているが故に迎撃などができる代物なので生身の腕がその口に呑まれることがあれば呆気なく喰われてしまうだろう。


「手応えは感じたはず……。あの時の覚醒魔獣と似ているけど何かが違う……」


「玲華、あやつは一筋で倒せる獣ではない。お主には聞こえないじゃろうが、妾には獣の声が聞こえる。それは本能だけで生きる魔獣とは違うのじゃ」


 マルス、そして魔石に侵食させた右腕を向けながら警戒をしていたパイセンと優吾はペリュトンの声を聞いていた。風が木の間を吹き抜けるような音と思えていたのは魔獣の祖に体を奪われたベイル•ホルルの声だったのだ。


『救いはある……! ペリュトンは必ずや貴様達を根絶やしにしてくれる……! 勇者の血は決して廃れぬ!! 勇者の歴史は決して終わらぬ!! 天空の勇者は決して堕ちぬわぁ!!』


 その分、優吾にはベイルの声だけでなく、ペリュトンの影へと、翼へとなっている亡霊の声全てが聞こえていた。ペリュトンの自由を願って信仰していた鳥人族や生み出された魔獣達の声だろう。何を言っているのかは分からなかったが優吾にはそれが悲しい誰かを呼ぶ声に聞こえたのだ。唯一の希望、天空の勇者を呼ぶ悲痛な声に。


「アイツ……本気だ……」


 優吾の呟きを聞き逃す仲間はいなかった。あまりにも危機迫った状態で己の種族の歴史を途絶えさせないためにも、体を奪われた状態で自我を取り留める執念に怯えていた。優吾はその呼び声を無視しながらも銃口をペリュトンに向けようとするが呼び声は更に強くなっていく。しかもその声は優吾を説得しようと必死なのだ。耳を越えて脳髄を絡めとるように優吾の周りを回るに回るその説得の声を聞き流しながら銃口を向けるが目に宿った魔石は宿主の理性を無視して野性の本能に従い呼び声を忠実に届けていく。


「優吾さん……!?」


「俺は……俺は……!! 俺は勇者じゃない……! 俺は違う……! 俺はあんな奴と一緒ではないんだ……!! 俺は……!!」


『貴様以上に苦しんだ者達がいたのではないのか?』


 呼び声は容赦なく優吾に真実を伝え続ける。マルスは後ろを振り返りながら優吾の状態が危険なことを察知し、ペリュトンを見てみた。翼が光っている。その翼からはうっすらと手のようなものが伸びていて優吾の体にゆっくりと巻きついていくのだ。ペリュトンが優吾を呼んでいる。マルスは剣を握ってペリュトンの呼び声を阻止しようと一歩踏み込むが影の刃がマルスの足を貫いた。


「ガァア!! ペリュトン!! その人間は関係ない!! 落ち着いてくれ!! 襲うなら俺にしろ!!」


 ペリュトンは目だけを動かして玲華をジッと見ている。玲華はマルスが足を貫かれたのを見て下手に刺激をさせてはならないという思いから思うように動けないでいた。その眼は一心になって玲華の行動を監視しているようで先ほどのマルスに行った「人間の敵」という言葉をずっと引きずっているようでもある。


 ペリュトンの手は優吾の目を舐めるように覆いかぶさった後に魔石ごと抜き取ろうと力を加えようとしたその時だ。空を切り裂く弾丸の音がした。ありえない表情でペリュトンは優吾達を見ている。ペリュトンの翼を撃ったのは紛れもなく、目を塞がれていた優吾自身だった。手は引っ込むようにして翼の中に収まる。優吾の目は青白く光っている状態で徐々に人間としての虹彩を取り戻しつつあった。


「辛いことがあったのは分かったよ……。それに関しては同情する」


 優吾は両手に構えた銃を引っ切りなしに発砲した。弾丸は呆然と突っ立っているペリュトンの翼に少し大きな穴を開けた。心配して背中に捕まっていた慎也の頭を優吾は優しく撫でながら目をグシグシと押さえてマルスとペリュトン、そして未珠を見る。


「俺はもうこの環境で仲間ができている。すまんな、戦闘員の契約解除は手続きが面倒だから。お前が被害者だってことは十も承知。マルスが叫んでたことも、八剣班長が叫んでたことも分かる。それに……お前が呼んだ声の意味も」


 優吾は驚くほどのマイペースで歩いてマルスを起き上がらせてから街を見渡した。窓ガラスは割れ、一部のビルは崩れ、地面には投棄された車。そして地下には現在の地上の戦いに怯えている民間人がいる。それを思い出した後に優吾は奥歯をグッと噛み締めていたのか、一呼吸を挟んでいた。


「もうやめてくれ……。ここはみんなの街だ……!」


 ペリュトンはその優吾の訴えに何かを思い出したのか動揺したように動いていた。ペリュトンに眠るベイルの記憶の中には人魔大戦で惨殺された仲間や人間の間に入って必死になって説得しようとするベイルの姿が視えていたのだ。


『頼む、やめてくれ!! ここはみんなの庭だ!!』


 ペリュトンは優吾の言葉に震えた後に手の力を弱め始め、優吾をジッと見ていたのだが心の中の勇者はペリュトンを許すことはなかった。


『そんな言葉に屈すると思ったか!! 二度も人間には降伏しない!!』


 置いて行かれたように口を半分開けて呆然とする優吾。震えながらも飛び上がったペリュトンは両腕、翼を広げて影を一斉に中心へと集め始めたのだ。もうすぐ朝日が登る。なんとしてでも民間人の暁だけは守ってあげたい。優吾もそれは承知だ。が、相手はそれでも戦うことを望んだ。空の勇者は人間を決して許すことはなかったのだ。


「優吾」


 未珠は呆然とする優吾に顔を向けながら刀の鍔に指をかけていた。


「話し合いですまない相手もいる。よいな?」


「……マルス、悠人」


 その言葉を聞いた優吾は唇を噛んで鉄の味がする状態で振り返った。その目からはほんの少しだけの涙が流れている。


「どうする。どうやったら……奴を倒せる」


「ペリュトンの翼を狙え。あれが影を操っている」


「優吾だけじゃダメだ。皆さん……!」


「紅音さん、駿来さん、歩夢さん、いけますか?」


「ずっと待ってたわ」


「いつでも」


「どこを狙えばいい?」


 紅音の指輪が全て光り、駿来のガントレットから砲台が飛び出し、歩夢が弓を引いた。悠人が目伏せをして隼人がパイセン用の台を結界で作り上げ、その台にパイセンの円柱型の砲台を乗せる。スコープを覗きながら狙いを定めたパイセンは優吾のことをチラリと確認したくなったが堪えて集中していた。


「今です!」


 玲華の号令に合わせてまずは歩夢が弓を放つ、無数の嵐のような矢がペリュトンに襲いかかり、翼に着弾してある程度のダメージを与え続けている。流石のペリュトンも翼を守ろうと影の刃を出現させたのだが蓮がナイフを投げるのが早かった。影の刃を親ナイフの誘導によって器用にくぐり抜けたその先、ペリュトンの腰元に一本刺さる。ペリュトンは一斉に痺れて影の操作が困難になるのを感じた。


「いつのまに仕込んだのよ?」


「隼人が結界用意してた時。思いの外うまくいったな」


「隙ができましたよ! 今がその時です!」


 蓮のナイフに仕込まれた慎也の針が腰元に刺さったのはツボの位置を蓮がしっかりと聞いていたからであった。この技術、研究所でマルス達が療養しているうちに蓮と慎也が体得した遠隔操作の針ツボである。魔装起動のタイミングを利用すれば蓮のナイフに仕込んでツボを発動することが可能であった。


 奇想天外な蓮と慎也に頷いてからパイセンの砲台からモーターの回転音が聞こえ、サーシャの水で冷却しながら自分も悠人に目伏せして攻撃のタイミングを待っていた。


 パイセンの砲台が吠え、紅音と駿来のレーザーが唸りを上げてペリュトンに襲いかかる。これには影を集める暇もなく、翼で体を覆うようにして防ぐことになったペリュトン。一連の動きを見て動き出したのは八剣班の水喰昇だ。身体強化に頼った乱暴な跳躍でビルを踏み台にしながらペリュトンの懐まで迫った昇は飛び上がる時の空気を剣身に固定させて勢いよく振り回した。


「食物連鎖を越えた孤軍鯱ロンリーキラーの一撃、避けてみせろやァアアアアア!!」


 影で覆われた爪は昇の一撃を弾き返そうとしたが想像を超える馬鹿力に空の勇者は目を見開いた。驚いたような表情に興奮した昇は二度三度とペリュトンの爪を弾きながら翼の防御を無防備にしていく。腕による守りで翼をおざなりにしたその時、素晴らしい速度で背後を取ったのは藍とサーシャだった。水の鎧を身に纏うドラゴンボディを発動させた状態で一撃の威力を上げたサーシャの一撃、空気抵抗を一切受けない一撃必殺の藍。翼の根元を狙われて無事なはずがなかった。一斉に影を放出しながら散り散りになって消えゆく翼を見て目から血の涙を流しながらペリュトンは吠える。


『おのれ、貴様ァアアアアア!! 勇者の証に触れるでない!!』


「今のあなたは勇者じゃなくて怪物ね」


 サラッと言い放たれたサーシャの言葉に顔を歪めたペリュトンはムキになって空いている左腕を向けたが青白い弾丸がそれを許さなかった。その弾丸、もとい精神弾はペリュトンの……いや、空の勇者の義手を吹き飛ばしたのだ。


『やさぐれの鳥め……! そんなに勇者である我が憎いか!!』


「いや……哀れだ」


 今までの優吾達の会話を思い出していたマルスは神々の歴史、そして盤上で見た下界の歴史、そして失われつつある己の記憶とを走馬灯のように映し出しながらペリュトンの正面に飛び上がっていた。剣を握っていたその時、ペリュトンの目からはかつての戦争で散っていった下界の兵士達にも似た生を求める眼差しだけが見えていた。


「……すまん」


 深く刃を斬り込ませて一気に裂いた。空の勇者の内部にあった魔石はヒビ割れて立派に生えていた角や翼、義手の跡さえも消え去っていった。地面で結界を広げて待っていた隼人が落ちてきたマルス達を包み込むように受け止めて生還。勇者はただ一人、支えるものもなく地面へと堕ちた。


 衝突音だけが響いて血を噴き出したかと思えば細かく震えているだけで動けそうにもなかった。マルスの鎧やサーシャの水、隼人の結界にパイセンの金属は大人しく引っ込んで元の姿に戻っていく。今度は倒れることもなく、マルスは荒い呼吸を整えながら勇者を見ていた。


「……終わったな」


 マルスの言葉に合わせてペリュトンの魔石が勇者の側に落ちてきて割れた。朝日が登っていた。その光は勇者を包み込むようにして差し込んでいた。


「……魔石は回収。その死体は……、……埋めてやろう」


「貴様らが墓を……!?」


 悠人の言葉に反応してベイルは鬼のような目を向けた。まだ生きていたことに全員寒いものが背中に走る。ベイルは左腕損失、翼も捥がれている上にまだ体は痺れている状態だ。しかも魔石は抉られたようなものなのでぼっかりと胸に大きな穴が空いている。ここまでの傷で生きていることが末恐ろしかった。


「あと……少し……一手でも……! あと一手でも……!!」


 最後の力を振り絞って起き上がったベイルは目の前のマルスに爪をむけて走り出そうとしていたのだがベイルの胸に剣が後ろから貫いてきてその野望は打ち砕かれた。貫いた剣、マルスはそんな剣を見たことがなかった。それは八剣玲華も悠人も同じだ。誰の剣かは分からない。さした主はベイルの背中に隠れている。


「なぜ……あなたが……?」


「愚かな……そして哀れです。ペリュトンの力を使ってでも勝てない貴方はもう用済み」


 そのまま剣を横に振ってベイルの体を裂いた者は剣を鞘にしまっていた。白い剣だった。何も色を受け付けたことがないほど白い剣だった。


「姫君……!!」


 勇者の死は呆気なかった。そうであってもマルスは、そして香織、その者を知っている戦闘員は思わず倒れてしまうかもしれない衝撃を覚える。その人は、その人は姫君と呼ばれていた。地面に崩れるベイルを埃を見る目で見ていた人物を見て思わず声を上げてしまう。


「どうして……どうして……!?」


「あの人って……!」


「貴方もしかして……!?」


 マルスは突き抜けていく神々の記憶の中に映る白髪の少女の顔を完全に思い出して反射的に声を上げてしまったのだ。マルスの剣も尋常じゃないくらいに震えている。


「エリーニュス……!!」


 白子、姫君、またの名を『エリー』

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