戦ノ神の新約戦記

これは神より堕ちた戦ノ神の新約戦記
天方セキト
天方セキト

コーヒーカップ

公開日時: 2021年5月20日(木) 19:04
文字数:3,141

「ふぅ……これで……最後……」


 マルスは額に垂れる汗をタオルで拭いながらやっと終わった引越しに対してのため息をついた。リアカーで荷物を屋敷まで運んだ後は一週間のうちに改装してもらったマルスの部屋となる場所へ事務局の清掃員と協力しながら運び、昼をとっくに越えて夕方の今までずっと作業をしていたのだ。ベッドや机などは備え付けだが着替えなど細々とした日常品の整理にマルスは手間を尽くした。


 かなり大変な作業でマルスを担当した清掃員もかなり疲れた様子だったが最後の備え付けを終えた時は無言で堅い握手を行うほどの仲になっていたことに今気がつき、マルスは苦笑いする。


「それではこれでお引越し終了ですね。お疲れ様です。一つお伺いしてもいいですか?」


「なんだ?」


「部屋の依頼……どうしてこんな書庫を自分の部屋にしようと思ったのでしょうか?」


 清掃員が少し不思議な表情をしてマルスに聞いた。この部屋は屋敷の中にはあったがレグノス班は全く使わなかった書庫でマルスはここを自分の部屋にすると依頼したのだ。


 書庫と言っても資料がギッシリ詰まった本棚が壁沿いにあるだけで映画のような大図書館なんで鼻で笑われるような量だったがマルスにとっては十分だった。


「少しな。調べ物をしたいが資料部屋までいくのは面倒だ。都合がいいからここの書庫を利用することにしたんだ」


「なるほど、勤勉なんですね。それでは私はこれで失礼……」


「世話になったな」


 一礼してマルスの部屋から出ていく清掃員を見送りながらマルスはもう一度部屋をグルリと確認する。この部屋は二階建ての屋敷の真ん中より少し右に位置するところにある。コの字のような形の屋敷であるこの建造物は一階が集合部屋兼リビングやシャワールーム、武器庫といったある意味生活特化な場所で二回はほとんど班員の部屋だった。この班は9人しかいないので部屋がほとんど余ってはいるが倉庫としても使えるであろう。マルスは部屋の真ん中にある机に何冊かの資料を持って行き、椅子に座る。


 真ん中から部屋をグルリと見る。天井は高い方であるが開放的な窓から夕日が差し込み、それはいい雰囲気を醸し出す部屋だった。フッと笑ってからマルスは資料に目を移す。この書庫は戦闘員の任務の報告書一覧まで完備されており、最近の辺境調査の結果なども全て閲覧できる。


 マルスはそれらを見ながら電気ポッドでお湯を沸かしているとふと気になる記事を見つけた。いつものように自分が幽閉されてた頃の歴史を読んでいると「ライカンスロープ解放戦線」といった項目が見えたのだ。とりあえず、お湯が沸いたのでコーヒーをいれて一口飲んでからマルスはその記事を見る。ライカンスロープは虎と人間を足して2で割ったような種族で尖った虎の耳とヒョロリとした尻尾が特徴的な人間のような見た目をした亜人だった。体格もほっそりとしてるがその身体能力はかなり強く、生身でも魔獣と張り合える力を持っていたらしい。


 ライカンスロープは反乱を極力防ぐために人間から分割統治を強いられていた。領地の北側に住む者には支援し、南側には支援しない。簡単な分割統治である。実際、このような戦闘民族は頭が悪い。マルスも何度かライカンスロープの内乱に関わったのでよく分かる。こうすることである意味で仲間割れをさせて支配されている国家へは反逆できないようにさせるんだと。そうではあったがとうとう南側でもリーダーを名乗る存在が現れ、「ライカンスロープ解放戦線」を名乗り大反乱を始めた。この反乱で支援を受けていた北側のライカンスロープと国家に大量の犠牲者が溢れ、「亜人はいつか反乱を起こす」という風潮が高まり、人間の中で迫害の精神が生まれた。そのような記事だった。


 分割統治からの大反乱。よくある流れだ。この争いはマルスも起こしている記憶は何となくあったが解放戦線のことは知らないでいたのだ。言わばゲリラでもあるこの部隊を作った覚えはない。そもそも亜人と人間を戦争させても大した収益はないのでマルスはあまり起こさないでいたのだ。そう考えると自分以外に闘争本能を引き上げる神がいたのか……あるいはただの自分のミスか……。更に気になることが生き残っている亜人のことだった。


 現在、確認されている亜人は鳥人族、狐人族、蜥蜴人族。共通して言えることが同系統の魔獣を配下として連れているところ。問題なのが最近調査でよく発見されるのが邪虎イビルタイガーという虎の魔獣であったことだ。可能性は低いがもしかするとあのゲリラ部隊の生き残りがいるのかもしれない……と考えると寒気がした。あくまでも可能性である。たしかにイリュージョンフォックスの時はかなり分かりやすかったがただの偶然かもしれない。そう考えてもどこか気持ちが悪かった。マルスは本をパタンと閉じてコーヒーを啜る。苦い。


 その時、ノックの音が。


「ねぇ、マルス。入ってもいい?」


 香織だ。マルスは「いいぞ」と声を出す。ドアがガチャリと開かれて香織が「わぁ」と声を上げながら入ってきた。


「すごいね。本がいっぱい」


「まぁな。こういう調べ物は大事だから。ここを部屋に選んだ」


「マルスらしいわ。コーヒーまで飲んじゃって。ずっとこの本読んでたの?」


 香織はマルスが読んでいた資料をパラパラとめくりながら難しい顔をする。正直、興味がない人はかなり眠たくなる内容の本なので香織にはキツかった。


「そろそろ俺たちも任務が再開だ。八剣班は遠征、福井班がいたとしても上位魔獣との相手がほとんどになるんだろうな」


「まぁ……そうだろうね」


「あの時以来……そういうのが不安になってな。対人戦と魔獣戦じゃあ強さの意味が違う。一人でも失えばダメージは大きい。そう考えると下手に動くことは出来なくなる。ただでさえ、亜人の行動を読み取っていかないといけないのだから。リスクはかなり高いぞ」


 マルスの言葉を聞いて少し曇った表情をする香織。彼女だって分かってる。3位になったのはあくまでも繰り上がり、人数整理のような物だ。屋敷を与えられても自分たちの実力はまだそこまでには達していないということ。能力を制御せずに暴走してしまう香織には尚更悩むことだった。


「いいから、気にするな。お前だけが背負う問題でもない、だろ?」


「う……うん。まぁね」


 怖がらせてしまったことを後悔したマルスは椅子から立ち上がって香織の肩をポンポンと叩く。香織はクスリとだけ笑ってうーんと伸びをした。


「本当、マルス変わったね。出会った頃とは大違い」


「そうなのか?」


「そうそう、意外と坊やさんだし」


 マルスに一歩だけ近づいてニッと笑う香織。パシャンと髪がはだける。出会った当初はスカートが苦手と言っておきながらマルスと会う時は可愛らしいスカートを履いてきたり、自分がいないところで手鏡で髪の毛の整理をする香織。これも立派なアプローチでマルスに伝わってるかは分からないが少し「は、ハァ……」と返事するマルスを見ていつも通りだと確信した。


「お前も飲むか? コーヒー」


「いただくわ。砂糖はなしね」


 コポポとペーパードリップでコーヒーをいれるマルス。ほらよ、とカップを香織に手放した。


「じゃあ、乾杯ね」


「カンパイ?」


「知らないの? カップをこうやって少し当て合うの」


 カツンと香織のカップとマルスのカップが触れ合う。マルスはその様子を一瞬、「キスみたいだな」と思ったが香織がしたいことは何となく分かった。


「こうやって二人きりになったのも久しぶりだからな。ほらよ」


「フフ……マルス、カンパーイ」


 カツンと夕日越しに触れ合うカップ。間接的なキスを終えたマルス達はコーヒーの苦味の中にあるはずのない甘みを感じる。こうやって身の回りの物に美しさを感じれる香織を羨ましいと思う、マルスなのであった。

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