こちらはサーシャ達。レイシェルからの通信を受け取ったサーシャは只今の状況と自分達が何をすべきなのかを理解した。研究所を徘徊している改造魔獣。魔装が使えない中で遭遇するとほぼ確定でお釈迦になることはパイセンも承知済みだった。
「エルフィー、援軍は遠野班だ。彼らが来るまで待機していた方がいい」
「遠野班……ですか? 名前を聞いたのも久しぶりね」
「偶然タイミングがあったからな。改造魔獣に気をつけろ。東島やマルスにはすでに連絡している。援軍と共に改造魔獣を処分し、裏切り者の研究員をも捕まえる。それがお前らの任務だ。私は事務局で本部にこのことを伝えなくてはならない」
「了解です」
通信を切ったサーシャ。魔装が使えなくなったことで軽くパニックになっていた蓮もようやく落ち着いたようで唇をワナワナと震えさせながら声を上げた。
「魔装もない状況でどうやって援軍を待つんだよ……。俺とサーシャは上位適合だからちょこっと体は軽くなるけどよ。肝心の壁がこんなんじゃあ犬死だぜ?」
蓮の隣の隼人、先程のルルグに切られた傷がまだ痛むそうで申し訳なさそうな表情をしつつも「心配はするな」とだけ声を上げる。亜人と遭遇した部屋から一歩も動いてはいない。この部屋は書類や器具を保管する所だったらしくパイセンはその倉庫にあったコンピュータを使って何やらページを閲覧している。
「亜人は研究所に行って何かを盗んだ。その何かが改造魔獣を製造した時の実験データってことだな。コピーされた履歴がある」
パイセンが開いたページにはルルグがメモリーカードにコピーした履歴がしっかりと残っている。ここでコピーされたのは改造魔獣製造の実験データ、製造方法などを記した一種の説明書のようなものだ。研究員の殲滅ではなくデータの奪還、わざわざ亜人が出向くほどだから余程の情報が詰まっていそうだが実際は亜人には関係なさそうなデータばかりである。
「なぁ、サーシャ。活性化した魔獣……空撃大猿とか覚えてるか?」
「もちろんよ。本来の魔獣にはできないことをしていたんだから」
「この研究所が行なっているのは数ある魔獣の優れた部位を機械や兵器で繋ぎ合わせてタイプごとの改造兵士を作る計画だ。そして……この前の活性化魔獣を思い出してみろ。あれはエリスのツタによって遺伝子情報を書き換えられた実験で生まれた」
「ちょっと……似てる?」
「あぁ、魔獣を利用してること、エリスの魔石で製造してること、本来はない魔獣を製造していること。全部一緒だ。違いは機械で遺伝子によるショックを中和している」
パイセンが提示したデータには改造魔獣に使用された人工肝臓や人工脊髄、脳まで侵食するプラグのデータがびっしり。サーシャはハッとしてパイセンを見る。
「もしかして……亜人は……!」
「あぁ、そのもしかしてだ。研究所を……」
パイセンが答えを発する時、何やら殺気を感じた。息遣いが聞こえる。生暖かいような息遣い。這いまわるような足音にヌチャヌチャと音を立てる壁。一瞬だけ生臭い、両生類染みたコケの匂いが辺りを覆う。鼻を押さえながら全員は周囲に気を配った。
「な、なんだよ!?」
「落ち着け、蓮。そんなに怖がるならそこに発煙筒があるだろ。それで照らしてみろ」
パイセンはコンピュータを閉じて大事に抱えながらすみに移動した。蓮は蓮でパイセンも何かいることに感づいてる様子なのを不満に思いながらそばの棚から偶然見つけた発煙筒を取り、ギュッと捻って引火させる。音を立てながら燃え上がる発煙筒。壁に化け物のような影は映らなかった。
「な、なんだ……。驚かせるなよ」
蓮がほっと一息ついたその瞬間、モリのような物が勢いよく伸びて蓮が握っている発煙筒を貫いて隅に移動していたパイセンの真横に突き刺さる。ギョッとした表情で冷や汗を垂らすパイセンに危うく手を貫かれそうになった蓮。暗闇になった部屋の中に映し出されたのは左右別々に動くガラス玉のような黄色の目だった。
ギョロリギョロリと動くその様は不気味だ。目玉と粘着質な液体がまとわりつくモリは視界に捉えることができる。それ以外は見えない。モリは途中で透明になっており、明らかに姿を消した何かがいると言うことが伝わってきた。
「やっぱりなぁんかいるじゃねぇか!?」
「蓮、隼人! 逃げるぞ、この部屋は危険すぎる!」
蓮と隼人は頷き、ドアを蹴り開けたサーシャに連れて急いで研究所の廊下を走り抜けていった。停電かのように暗い廊下に「キュルルル……ウィー」と言った電子音が響き渡る。冷や汗にまみれたパイセン達は走るしかない。幾分か体温も落ちてきており、呼吸も荒い。
「あれが改造魔獣なの!?」
「それ以外に何があるんだよ! チクショウ……悠人達は大丈夫なのか!? 援軍は……」
廊下を走っている彼らは交差点のような分かれ道に直面した。研究所の廊下が入り組んでいることは知っている。止まったのは迷ったからではないのだ。パイセン達の正面に緑色の目を発光させる新手の改造魔獣が待ち伏せしていたんだから止まったのだ。こちらは緑色の発光する目に二足歩行の猿のような見た目をした改造魔獣だ。
「ルルル……ピンポーン」
「通せんぼ……!?」
辺りを見渡すパイセン。迫る足音、ゆっくりと歩いてくる二足歩行。前と後ろは塞がれており現在は詰みだ。でも左右はガラ空きだったことに気がついたパイセンは先に怪我をしている隼人と蓮を左側の廊下に逃した。その瞬間である。正面の二足歩行がなにかを投げたのだ。爆弾かと身構えたパイセンだが違った。それは発煙筒だったのだ。それもパイセンの足元に起動して白煙を待ち散らかす。
「畜生! ただでさえ道がわかんないのによ……」
「パイセン、奴らは本気だぞ。このままだと俺たちは悠人達に会えずに死ぬ……!」
次々と計画が破壊されていくパイセン、彼にとっては苦手な戦法だ。白煙の中、前も後ろもよく分からない中でもはや絶望としか言いようもない時、どこからか声が響いたのだ。
「新人殺しさん! こっちよ!!」
全く聞き覚えのない声にパイセンは戸惑ったがここは声に従った方がいいと踏んだ彼らはその声が聞こえた方向を信じて走り抜ける。誰を信用すればいいのか分からないが誰かに流される自信だけはあるパイセン達。少ない情報の中で従うべき存在すらわからない中で彼らは声に従うことを選んだのだ。
「ちょっとついていってもいいの!?」
「今はそれしか頼るものがないんだよ!!」
パイセンの叫びを聞いてサーシャは少し彼に頼りすぎたと思い知らされ、それ以上のことはなにもいえなかった。蓮と隼人もなにも言えてないようである。煙の中を必死に走っていると奥に3人ほどの人影が見える。その3人が見えてきた時には煙は晴れていき、それぞれ姿を表した。
1人は燃えるような紅い髪を背中に流した女性だ。戦闘員にしては珍しく理系のようなキリリとした線の細い顔であり、赤縁のメガネをかけている。それに合わせて桜色の唇が印象的だった。口紅……を少ししているからか、色合いが綺麗なのである。巫女服のような白と朱色の基調が美しい着物を着ており、懐に扇が大事に仕舞われていた。
「よかったわ。報告に聞いていた通り、中心部に向かったアナタ達と会えて。迷路みたいに入り組んでますもの」
心の底からホッとしたような声を出して出迎えてくれた。目をパチパチさせて戸惑うパイセン達を見て「あら」と声を出した後にクスリと微笑んで女性は自己紹介した。
「申し遅れました。私、遠野班副班長の蛍原紅羽です。もうちょっと歩いたところに仲間が待っているわ」
こんな緊迫した瞬間だったのにその緊張が揺らいで眠たくなってくるかのような安心感を与えてくれる女性、蛍原。一級品の和楽器の音色を聴いているようで眠くなってくる。が、パイセンは遠野班の名前を聞いて「あの……遠野班!?」と驚いたような表情を見せたのだ。
「な、なんで戦闘員事務局に駐在せずに遠征だけで戦っているアンタ達がここにいて……俺たちを助けてくれるんだよ?」
蛍原は一瞬だけ立ち止まった後に振り返り、神妙な顔つきで返事をする。
「あなた達には……借りがあるし。まだ若い……大事な後輩さんだから」
借り……、この言葉はパイセン達に重く響いた。蛍原がつれていった先には少しだけ広い部屋があり、その部屋は窓以外はなんの設備もないようなただ広いだけの空間だったのだ。
「ここは……どこだ?」
「ここは研究員が一般装備や魔装の試験を行うところよ。実験場に近いかしら。ここに私の仲間があと2人待っているはずなんだけど……」
「蛍原副班長!」
実験室に入った蛍原を快く迎える1人の男性。髪は男にしては長い方で一つにくくればちょうどいい気もするが本人はくくっていない。黒と銀色が混じったような色であり、独特の光沢を放っている。忍者服のような軽装な服装だが露出は控えめだ。右口元にある大きなホクロが特徴的な男性だった。顔を輝かせて蛍原とパイセン達を交互に見てから声を上げた。
「よかった……。兄さんと僕が行けばよかったんですけど……なんかすみません」
丁寧語で話しているがどことなく違和感を感じる。発音が少し違うというか……少々早口というか……。目をパチパチさせて戸惑うパイセン達に今度は後ろから大柄な男がやってきたのだ。敵かと勘違いして驚く新人殺しを見て少々ショックを受ける男。
「そんな、ビックリせんといてくれや……。俺がビビるわ。蛍原さん、うまい具合にまいたようやな。ここに奴らがやってきたら一気に叩くで」
その大柄な男は茶色と銀色が混じったような髪色で全体的に短く切られており、オールバック気味に整えられていた。筋肉質な体格かつその顔も無駄な肉が削ぎ落とされたかのように洗練された形でイカツイ……という表現が似合う。ジャケットにズボンという比較的新人殺しと変わらないようなシンプルな戦闘服を着ていた。ただ、ジャケットの中からうっすら覗くアンダーウェアからは鍛え上げられた筋肉が垣間見える。体格が大きく見えるのも納得だ。
「兄さんが急に後ろから来たらビックリするよ……。あ、僕は遠野班所属の日暮颯太。こっちは……」
「兄貴の日暮大智や。颯太は20歳で俺は22歳やで。よろしゅう」
雰囲気がまるで違う兄弟だ。兄の大智は大柄な体格で荒々しい見た目であり関西弁、弟の颯太は比較的大人しそうで丁寧語で喋り、体格も平均的なレベル。何故颯太は関西弁を喋らないのか、そこが疑問だったが今は置いておくことにした。
「あの……どうしてここの部屋に私たちを誘導したんですか? 援軍さん……ですよね?」
「ここの方が私も戦いやすいので。大丈夫、貴方達に怖いことはしないわ」
「えっと……それは……借り……?」
「そうね。話せば長くなりそうだからお話の続きは事務局に帰ってからにしましょうか」
未だに緊張が拭えないサーシャ。そんな彼女に蛍原は嘘偽りもなく話を続ける。どうやら悪い人間ではないらしい。槍をギュッと抱くようにするサーシャを見てパイセンもグッと押し黙った。自分たちでは魔装も使えないし、メンタルもボロボロだ。なにもできそうにないのが不甲斐なかった。
「まぁま、ここまでよぉ頑張った。あとは俺らに任せとき」
ポンポンとパイセンも大智に肩を叩かれる。その後ろにいた蓮と隼人もホッとしたのか深呼吸を行い、荒くなった呼吸を元に戻そうと頑張っていた。
「そろそろ……奴らはボク達の存在に気がついたと思いますよ……。えっと……新人殺しの君たちは下がって休むといい」
お言葉に甘えて後ろ側に隠れるようにするパイセン達。本当に彼ら3人に任せてもいいのだろうか……。いくら援軍と言ってもあの改造魔獣に勝てそうなのか……。いつも以上にマイナスな考えに支配されていることを自覚させられる。今はただ深い眠りにつきたい気分だった。
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