「グホォア……。ガッ……ツゥ……あぁ……ハァ……」
ベイルは斬られた左腕を抑えながら地面に墜落した。顔に衝撃が襲い掛かるが彼にとっては急いで止血をしないとここで死ぬということに焦っていた。首を振りながら止血できるものを探す。
「畜生が……、にん……げん如きにぃ……、グフ……ウゥ……!」
血が吹き出して襲い掛かる痛みに耐えながら必死でもがいていた。するとあの糸使いが使っていた糸が落ちていたことを発見する。これは幸運だ! とベイルは片手で必死に縛り付けて止血をした。痛みは相変わらず襲いかかってくるがなんとか壁に背中を預けながら立ち上がる。
体から脂汗が吹き出して呼吸も荒くなっていた。かなり出血したのか意識も朦朧としてきている。ここで死ぬわけにはいかない……。ベイルは倒れそうになるのを堪えながら歩き始めた。エリスを探さなくては、手ぶらではご主人様の元に帰ることはできないのだ。途中で前のめりに倒れながらもベイルは片手で立ち上がりフラフラとした足取りでエリスを探した。
どうして自分がこんな目に合わないといけないのかがわからなかった。褒美なんかいらない、ただありがとうを言ってもらえるだけでもよかったのに……、報酬をあげるのが面倒だからって家族を、仲間を皆殺しにされた意味がわからなかった。ありがとう、この五文字の言葉が彼にとっては1番の報酬だったのだ。今はただひたすらに人間が憎い。
損得勘定で仲間を皆殺しにした人間が憎い。極端な考えで命を奪った人間が憎い。人間が憎い。
「死んでたまるか……、ご主人様の元に……帰る……んだ……」
壁に手をつきながら必死に彼は歩み進める。体に走る激痛の他にも出血多量による目眩がしてきて吐き気もすごい。それでも彼は血眼になってエリスを探した。
「どんな時でも空の誇りは忘れるな」
今は亡き父が息子である自分に言ってくれた言葉だ。鳥人族に生まれた誇りは忘れてはいけない。空を守るという使命の元、我々は生まれてきたのだ。父はその言葉を自分に聞かせてくれた。そんな父が心臓をライフルで打たれて死んだ。仲間も無残にも殺された。死体を見世物にされて笑われた。自分たちの誇りを踏み躙った。
「人間があぁ……!! 何のために……」
悔しいが何もできなかった自分に涙を流す。血の涙を流しながらエリスを探していると一軒の建物を発見した。そしてその建物の窓に一人の少女が自分をジーッと見ている。ベイルはすぐにエリスであると確信した。
「お、お前が……エリスか?」
建物に近づいていくとエリスはカチャン……、扉をゆっくりと開けた。ベイルが聞くと目の前に大槌を持った人間が立ち塞がる。
「エリスは渡さないよ!」
「ふざけるな……!」
ここまできても自分達のことを邪魔する人間に彼は怒りで狂いそうになるがエリスは違った。
「おじちゃん、ご主人様のところにいた人?」
「そ、そうだエリス。ご主人様のところに戻ろう! あの方々はお前の力を必要としている」
「騙されちゃダメ!」
「お姉ちゃん?」
エリスは何にもわかっていなかった。ベイルは必死にエリスを説得するがエリスは完全に目の前の人間に騙されている。「お姉ちゃんは嘘をつかないもん!」というエリスにベイルは驚きを隠せない様子でいる。
「どうしてお前は人間の味方になろうとしているのだ!? こいつらは邪悪な存在、人間だぞ!?」
「……人間?」
「そうだ! 俺たち亜人は人間のために毎日必死に働いた! それなのに……家族を、友人を殺したのはこいつら人間だ! お前の母親を焼き殺した人間はこいつらだ!」
エリスはそれを聞くと目の前の人間の顔をジッと見る。
「嘘……ついてたの?」
「ち、違うの! エリスちゃん、私達は……」
「こいつが言っていることは嘘だ! いいか、エリスよく聞け。このままお前がここにいると用がなくなった瞬間に殺されることになるぞ。それを知ったうえでお前はここに残るというのか?」
「……」
「エリスちゃん!」
ベイルはエリスに手を差し出して人間はエリスを背中に回して今にも大槌で自分を叩き潰そうとしてくる。その時だった。空をきるかのような音がその場に響く。それはエリスが人間の手を引っ叩いた音だった。目の前の人間がわけがわからないような顔になる。
「お姉ちゃんのこと……信じてたのに……」
「エ……リスちゃん?」
「嘘つき!!」
エリスはその場で今までで一番大きな声で人間のことを怒鳴った。そして差し出すベイルの手をキュッと握る。ベイルは「よし……」と呟く。
「ハハ……クゥハハハハ!! 人間、これだけじゃあ終わらんぞ……。いずれ……いずれご主人様がお前達を嬲り殺しにしてくれる……。その時までだ! ハハハハ!!」
高笑いがその場に響いてベイルと自分を睨むエリスは虚空の彼方に消えていった。その場には大槌を地面に置いて茫然とエリスに引っ叩かれた手を見つめる人間、香織だけが残された。手の甲は少しだけ冷たいような気がするがピシリとした痛みが走る。
「香織!」
その時に仲間達が茫然としている香織の元にやってくる。仲間に囲まれて「エリスは?」と聞かれる香織は声にも出さずにただポロポロと涙を流していた。
「香織?」
「……、連れて行かれた……」
「畜生! 取り返しに行かないと!」
「もういいよ……、隼人」
「何言ってるんだよ! 敵の手に渡ったんだぞ!?」
「あの子は……初めから敵だったよ……」
「香織……」
隼人も黙り込んだ。エリスは亜人の少女だ。母親は焼き殺された、それしか家族の思い出がない悲しい少女だった。そんな彼女を人間のたまり場に迎え入れるなんて無理な話である。
「ねぇ、みんな。私たちがさ……、こうやって戦ってることって罪なの?」
「急にどうしたんだ?」
東島がわけもわからないような顔で聞き返す。
「亜人達は私たちの先祖の行いを今でも恨んでああやって襲いかかってくる……。こうやって魔獣を戦うことって……亜人への償いになるの?」
東島はその言葉を聞いてその場で黙りこんでしまった。あの鳥に切り掛かった時は楓の仇! と怒りで一杯になったが本来怒りに染まっているのは相手の方ではないか? もしかして自分はとても幼稚なことをしているのではないか? 自分の行いを思い出す。
「……」
「そう思うところがあるならな……歩め」
香織の目を見て声を出すマルス。彼としては亜人の気持ちは痛いほどわかっている。身勝手な神が生み出した悲劇の運命に飲み込まれた亜人達の味方をしてやりたい気持ちがあるが自分の仕事は人間を守って均衡を保つことである。同情をかうことではない。そのことを必死に頭の中に叩き込みながらマルスは話し始めた。
「何かを求める時、人間は創意工夫を凝らして新たな道を切り開く。だから人間はどの種族よりも発展したんだ。だからお前だって何かを求めれば強くなれる。死ぬ気で強くなれよ、死なないから」
何かを我慢するかのように口をモゴモゴと動かしながらマルスは話す。その拳は固く握りしめすぎて爪が少しだけ食い込み、赤く腫れていた。そんな彼の言葉に香織は少しの間、考えた後ゆっくりと武器を手に取って立ち上がる。もう叩かれた後が消えかけた手を見つめながら香織は声を上げた。
「強くなって……エリスちゃんともう一度話をする。その時に私が謝る。亜人の気持ちを知ったのはここにいる私たちだから。エリスちゃんには私が謝る」
「好きにしろ」
その謝れる日までに自分が亜人側に回るかもしれないがな、とマルスは心の中で舌打ちをしながらマルスは頷いた。ある程度の話を終えてからマルスは肩越しに振り返る。
「んで? 班長さんよ、ここに落ちた死体の掃除は俺たちがするのか?」
「今俺が言おうとしたんだよ」
「ハイハイ、どうする? 班長」
「馴れ馴れしいぞ! この新人が!」
「まぁまぁ二人とも!」
慎也が間に入って止めてくれる。相変わらずこの班長は騒がしいと舌打ち。それにしても……亜人が生き残っていたのに亜人側の神はもういないことが何よりも気になった。これから起こる亜人達との戦闘のためにも強くなることを決心するマルス。均衡を保つことは想像以上に大変なことを知り、ため息をつくのであった。
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