時は少しだけ遡る。研究所に亜人襲来が伝達され、レイシェルはただちに戦闘員を収集することになった。主力で戦えるのは福井班と東島班の二つだけ。残りの戦闘員の班は亜人との戦闘には不向きであると悟った。現在東島班は討伐任務として魔獣と戦闘中だ。そうなると福井班を研究所に向かわせたいが時間がかかる。咄嗟の判断でレイシェルは福井班に討伐任務中の東島班の元へ向かうことを命令。福井班が代わりにその討伐を行い、東島班が研究所に行って魔獣と戦う事にした。
福井班が出動したのを見送ると研究所からも連絡が来る。現在侵入したのは2体の亜人、どちらも好戦的な亜人で現在研究員が一般装備と護身用に製造された魔装で戦闘中とのこと。明らかに戦闘の経験も違えば分が悪いのだが亜人は研究員を無力化するだけで殺しは行っていないことが判明した。
「どういう事だ? 亜人は比較的弱い研究所から叩くことが目的ではないということか?」
「それは私にも分かりません。ほとぼりが冷めるまでシェルターの中に避難するだけです」
レイシェルと連絡している小谷松はどこか安心しているようだった。精密に作られたシェルターの中に避難しているからそれもそうかとレイシェルは思いながら考える。もしも亜人の目的が研究員を殺すではなかったとしたら他の目的は何か。秘密裏に研究所のことを調べていたレイシェルとグスタフ。魔獣を拉致してなんらかの実験をしているところまでは調査済みだ。
研究所のデータは向こうの研究員には知らせていないコードを打ち込むことで網羅することができる。その時に研究所の実験ファイルを確認したのだがそのファイルだけセキュリティが何重にも施されており、なおかつサーバーが複数存在したので特定もできない。かなり封をしたファイルなのだ。
「亜人の目的は拉致された魔獣の救出か? それだと二人もリスクを背負って出向くことはない……ッ!?」
ここでレイシェルは自室に1人、グスタフがいくら経ってもやってこないことに違和感を感じた。こんな時にグスタフはどこで何をしているのか。レイシェルはハッとする。
「佐藤のところへ……!?」
嫌な予感がしたレイシェルはすぐに研究班の部屋に向かったのだった。
「あぁ、いらっしゃい」
研究班のリーダー、佐藤は部屋に入ってきたグスタフを快く出迎えた。グスタフも「急に来てすみませんね」と会釈をする。白衣だらけの集団の中に執事服を着こなした初老の男がいるのはどこか違和感が芽生えてしまう。グスタフはチラリと周りで作業する研究員を見てから佐藤に話しかけた。
「佐藤、魔獣の生態系の話は知ってます?」
「グスタフさん、僕は魔研の研究員なんですよ。知ってるに決まってる。上位魔獣を頂点とした一種の食物連鎖。これが崩れると活性化の要因にすらなりうる。そうでしょう?」
達者な口調でペラペラと話すのを見るに佐藤は生粋の研究員なのであろう。佐藤が言った通り、魔獣には大小構わず生態系がガッシリと組まれる。本能で動く魔獣には上位、中位、下位の3種類の区別がされている。その判断基準は食うか食われるかの違いだ。
「最近はここら一体の魔獣が活性化を始めているようだ。それも知ってるかい?」
「らしいですね。まぁ、活性化はずっと前から。あの戦争以来から起きてることですから珍しくもないですよ」
「今までの魔獣と違って私達人間に怯えたような仕草をする魔獣もいるそうだ」
「それは初めて聞きましたね。本能で動く獣にも恐怖は感じますか」
「その魔獣を護送する目撃報告もある」
グスタフがその言葉を口にすると周りで作業している研究員の動きが一瞬だけ止まる。グスタフは手にしたタブレット端末に写真を映し出した。大型の護送車が鎖で縛り付けて死なない程度に嬲られた魔獣を輸送してる瞬間の写真だ。
「この護送車は事務局からの命令でしか使えないのは佐藤も……」
「把握してますね。活性化の魔石はそれで輸送しましたから」
「それでは誰が輸送の命令を……? 輸送して魔獣をどうしようとした」
「やだなぁ……」
佐藤は不意に白衣の袖を捲る。そこには彼が普段からつけている立派な腕時計があった。それをすぐさま起動させようとしたのをグスタフは察して気龍を出現させる。気龍は凄まじい速度で佐藤に接近し、両腕を変形させて彼を縛り上げた。
「うぅう……! お前……!!」
その光景に周りの研究員は一瞬訳が分からなくなってグスタフを止めようとしたがグスタフの「動くな」という声でピタリと動きを止める。いつもは優しい笑みを浮かべるグスタフが一切の笑みを捨てて一瞥したから当然だ。年季の入ったシワのある表情は周りを凍てつかせる。
「調べたところ。佐藤以外の研究班と研究所のとある開発チーム以外はシロですか。佐藤、一体君はいつ魔装を製造した」
「どうしてそれを……!?」
「毒怪鳥襲撃時の時だ。君から魔石の力を感じた。気龍で強化をしていた私だけが気が付いた事だな」
あのベイルが襲いかかってきた頃、グスタフは対空砲付近の護衛に入っていた訳だがその時に佐藤の魔装が起動していたというのだ。佐藤の腕時計を気龍は取り上げてグスタフへ丁寧に渡した。
「ベースの適合は停止梟。能力は運動能力の低下。あの時の針の不自然な遅さはアナタの仕業だったのですね」
「そのことまで把握してるんです?」
少し焦った表情でグスタフを見る佐藤。なす術がなくなったことと部下に自分の悪いところが公になったことへの焦りだ。冷や汗を垂らしながら引き攣った笑みを浮かべる佐藤を横目にグスタフは説明を始めた。今まで東島班が採取した活性化した魔石。これらの研究を佐藤は部下に行わせていた訳だがその研究データと魔石を護送車で送るついでに魔獣の拉致まで行っていたのだ。主に行っていたのは周囲を散開していた邪虎などの中位魔獣だ。
「その魔獣もそうですが中には上位に匹敵する魔獣もアナタの動きを止める魔装で連れ出したようですね。アナタ一人でよくこんな種類もの魔獣を集めました。その結果、ここらの生態系は崩れてしまい、最近は魔獣が頻繁に出現するようになった」
「それは関係ないでしょうに」
「そうやってサンプルを拉致したのは誰だ? 何の目的のために魔獣を拉致した」
佐藤は俯く。周りの部下の目も不安に溺れて狼狽る者、俯く自分を見て「どういうことですか!」と声を上げる者。それもそうだろう。このことが本部に伝わると佐藤は間違いなく処分、地獄行き。この研究員たちもペナルティが侵されるのだから。それを防ぐにはどうすればいい? そのための計画じゃないか。佐藤はニヤッと笑う。
「研究ねぇ……。たしかにしましたよ。僕が魔獣を拉致して研究しました……」
佐藤は予備用に持っていたもう一つの腕時計を起動させる。発動した時計は自分に力を加えていた気龍の活動を停止させる。その状態で身体強化を施し、気龍を振り解いた佐藤はハッとしたグスタフめがけてメスをなげつけた。避けようとするグスタフだが足が動かない。見ると自分の足に紫色のオーラのようなものが蠢いていた。
「なに!?」
「アンタが死ねば全てが無かったことになる。処理の準備は整ってるんだ」
余裕の笑みで飛んでいくナイフを見た佐藤は部下をどうしようかと考えた。コイツらはもうダメだ、計画の一環で処理をしようと呑気に考えているとカギャン! と金属質な音が研究室に響き渡る。
「なっ……!」
「遅くなったな……佐藤」
部屋に飛び込んだレイシェルが手にしたクナイでメスを弾き飛ばした瞬間だった。メガネが魔装のレイシェルにとって身体強化はすでに施している。ギンと佐藤を睨むレイシェルの後ろにはグローブをはめた田村がいた。田村は糸を射出して佐藤の隙をつき、彼をしっかりと縛り上げる。身体中を糸で巻かれてミノムシのようになった佐藤は今度こそ何もできない。
「いい魔装使うと思ったけど……まだ完全には使いこなせないのね」
「田村……!!」
「田村さん……でしょ?」
田村はレイシェルとグスタフに一礼する。レイシェルは田村を呼んで正解だったと思いながらミノムシ状態の佐藤を一瞥した。
「お前の通話履歴やその内容。研究のデータは既に本部へ送ってある。安心しろ。お前の部下は減給で済んだ。免職はない」
その言葉を聞いた部下の研究員は佐藤に罵詈雑言を浴びせ続ける。中にはミノムシ佐藤を蹴りつけるものもいてしばらくはカオスな状態が続いたのでレイシェルはジッと黙っておいた。何分かたって部下が疲れてきたタイミングで会話を再開する。
「部下の者はすまない。補償は考えてあるから安心しろ。佐藤はまぁ……地獄行きだろうな。研究所でのお前が属していたグループも同じ結末だろう」
「レイシェル……お前……」
「お前以上に私は監視していた。私にも守りたいものがある。研究員には分からん、それが戦闘員だ。ここに入る少し前に、移動中に確認したが魔獣を使って新たな兵器を作ろうとしたらしいな、小谷松と共に」
「……」
「通りで東島達が活性化の魔石を送ると嬉しそうにしていた訳だ。いい動力源になるんだろう。その研究所も今では亜人が襲いかかる場になっている。東島達にはそこに向かわせた。無駄な犠牲者は出さない」
佐藤はそのことを聞いて少しだけ嬉しくなる。よりによって東島達があの研究所に向かったということ。まだまだ隠された仕掛けは残っているのだ。今のうちに排除して起きたい戦闘員のリストに入っている東島班があの研究所にいる。これはチャンスなのだ。
「そうなんですね……。あぁあ、東島君達は生きてここに帰ってくるのかな?」
「どういうことだ?」
「仕掛けはまだ残ってる。果たしてあの若人はその仕掛けの中で亜人の戦闘と僕らの結晶に打ち勝つことができるのか? これ以上戦闘員が死ぬとアンタの位は消える。アンタは失脚の運命からは逃れられないさ」
佐藤達の目的はレイシェルの失脚だ。レイシェルは研究所で何が起きているかはまだ謎が多い。後ろを確認すると佐藤の部下がコンピュータを起動してファイルを確認している最中だった。
「これって……」
「どうしたんだ?」
グスタフがそのコンピュータを確認しにいく。何故かファイルのセキュリティが全て解除されており閲覧が可能になっていた。それを見ると改造魔獣のデータがいくつも……。
「異なる魔獣同士を組み合わせた改造兵器そういうことか……。対人用にも使える自発型の魔装。レイシェル様、これを使っての戦闘員の数減らしが目標だったようですね」
レイシェルは舌打ちした。こんなことをしてまでもこの研究員達は権力に溺れるのかと思うと反吐が出る。亜人と改造魔獣の戦闘に東島班だけだと太刀打ちできるかわからない。八剣班はまだ遠征で地方にいるので急いだとしても1日はかかる。援軍として出動できる班はもうここにはいない。しかし、運はレイシェル達戦闘員に微笑んだ。急にレイシェルの通信機にあるメッセージが来たのだ。彼女がそれを確認すると「こんな時に……」と顔を歪めたがすぐにメッセージを送信した。ほぼ仕事終わりの彼らには申し訳ないが大事な依頼である。
「佐藤、その心配はない。援軍が到着する」
「なんだって? 八剣班は来ないはずだろ……?」
「それよりも早くやってくるやつだ。最近はどこに行ってるか、見ない顔だったが帰還途中だったそうだ。彼らに援軍を頼む」
レイシェルはさっきのメッセージ「おばちゃん、お土産いつ渡そうか?」に対しての返事を送ることができなくて申し訳なく思った。しかし、久しぶりに彼に会うことができるのは少し楽しみである。あの八剣班副班長の人物、見鏡未珠の最後の弟子。1番の問題児とされ、レイシェルも厄介だと思っていたヤンチャな風来坊が帰ってきたのだ。
「遅いぞ……翔太」
レイシェルの通信機、送り主にはしっかりと表記されている。極東支部所属序列4位遠野班班長、遠野翔太。またの名を「トラベラーズ」。
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